幻想の果実
ある日、姉さんはいなくなった。僕というたった一人の肉親を置いて。
村の人たちは言っていた、姉さんは幻想の果実を食べてしまったのだと。
それを一度でも口にした者は、二度と目覚めることのない夢の中へと誘われてしまうという幻の果実。そんな得体の知れないものに、僕の心のよりどころが奪われてしまったなんて数年経った今でも信じられない。
南北の強国同士による大規模な戦争に巻き込まれ両親を失ってしまった僕と姉さんは、戦火から逃れながらこの村にやってきた。ここでは戦争の飛び火が移ってくるような国境近くのではなく、のどかな田園風景が広がる田舎の集落であった。
長き逃亡の果てに身も心も憔悴し切っていた僕と姉さんは救いを求めて村長の家にすがり付くように押しかけて、そして保護してもらうことができた。
しばらく村長の家で療養した後、僕たちはある農家の家族に引き取られることになった。
その家の主は、つい先日、戦争による徴兵によって一人息子がいなくなっていた。そのせいあってか、戦争の犠牲者である僕たちを養おうと思ったのらしい。僕たちは、どうにか休める場所を手に入れたのであったのだった。
その人たちはとてもよくしてくれた。僕たちも農作の仕事を手伝いながら束の間の幸せというものを築き上げていた。
僕はずっとこの家で暮らしてもいいと考えていた。だけど、姉さんは違っていた。
姉さんは元のあの生活に戻りたがっていた。父さんと母さんと一緒に、楽しく笑い合って日々を暮していたあの頃に。
そんな日はもう二度と訪れないんだと、しかし、そうだと言っても姉さんはずっとあの頃を思い出し、毎日気が抜けたような生活をしていた。
本当は僕がしっかりしなくちゃいけなかったのだろう。だけど、まだ子供だった僕は姉さんに甘える方に夢中だった。
そんな僕を疎まずに、姉さんはただ笑って僕の側にいてくれた。
姉さんが消える前日、僕に姉さんはこんなことを言っていた。
「誰もが簡単に幸せを見つける方法、あなたは知ってる?」
僕が首を横に振って答えると、姉さんはいつもの優しい口調で僕に言った。
「思い描くのよ、自分の望む未来を。そこで描かれていることは、いつも自分の幸せだけ。妄想の中に入り込んでしまえば人はいつまでも幸せでいられる。どう? やっぱり馬鹿馬鹿しいかしら?」
最後に自分をなじる姉さんを、僕はただ心から「馬鹿馬鹿しくない」と言って答えた。結局のところ、姉さんがどんなことを言おうとも、僕はそんな風に答えたのかもしれない。
何故なら、僕にとって姉さんはかけがえのない親友であり、恋人であり、家族であったから。
もしかしたら姉さんもそんな風に思っていたのかもしれない。
だけど、姉さんはいなくなってしまった。
いなくなったその日には村の外に一本の奇妙な木が立っているのを村の人が見つけた。村長が言うにはそれは、幻想の果実を口にした者のなれの果てだという。
僕は姉さんが消えたその日から、幻想の果実について必死に調べた。
幻想の果実は、終わらない夢を見ることができる禁断の果実。たとえどんな願いでも、夢の中で叶えてくれるという。
いったいどこに生えて実をつけるのか、そもそも実在するのかもわからない謎に包まれた伝説上の果実。しかし、言い伝えには確かに存在するといい、世界の各地で幻想の果実を口にしたなれの果てが発見されているのも事実であった。
幻想の果実は、現実を否定し、自らの理想に生きたいと願うものの前に現れるらしい。
気付けば、姉さんはずっと思い描いていた。あの日々を心の中で。そしてその中で永遠に生きたいと願っていたのだ。
僕には姉さんの心を救ってやれなかった。救うどころか、気付いてあげられなかった。
姉さんのなれの果ての一本の木。
僕がその木の存在を知らされたときには既に村人によって焼かれていた後だった。その木がつける幻想の果実によって、また新たなる犠牲者が出るのを懸念した村長の判断だった。
人は夢の中では生きて行けない。
まるで、そんなことを教えられたようだった。
初投稿です。
この作品はもともと長編にと考えていたのですが、短編という形をとらせていただきました。
テーマとしては「現実から逃れる人の姿」と思っているのですが、書いているときは全く考えなしに書いてます。