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短編No.41-60

No.57 誕生花の花言葉

作者: 藤夜 要

 地元を離れて、もう八年。東京の大学に進学した私は、そのまま東京の企業に就職した。三年も勤めれば、一応一人前扱いだ。毎日があわただしく過ぎていた。――そう、よけいなことを考える暇もないほどに。

「どうして今日が休日なのかしら」

 休日の解放感が、私によけいなことを考えさせる。ただ寝るだけの場所と化しているアパートで私は独りごちた。


 今年も彼から誕生花が届けられた。遠い故郷で暮らし続けている彼から毎年贈られて来るプレゼント。小さな田舎町で営まれている、小さな花屋の跡取り息子。気が優しくて大人しくて。別の言い方をすれば、気弱でなにごともなかなか断れない、という軟弱な人、とも言える。

 眼鏡の奥でゆるく描かれる弧の美しさに気づいた瞬間、どきりとした。彼の一歩引く日頃の態度の理由が、気弱さから来るのではなく優しさからだと知った瞬間でもあった。見かけばかりにのぼせ上がって、手痛い形で失恋をした私にくれた、最初の贈り物。

『誕生日、七月だったよね。トルコ桔梗の花言葉はね、“希望”なんだよ』

 もっと君にふさわしいステキな人と、きっと出会えるよ。彼はそう言って気高い紫色の花束をくれた。

 まだ中学二年生の夏。まだ幼かった彼と私。それが意外と気障な演出だったなんて自覚すらなかった幼稚な彼と、少女マンガに出て来るヒロインにでもなったかのような錯覚に陥った自己中な私。はっきりと言えない彼と、物の言い方を知らなくて、時には人を不快にさせるほどはっきりと言ってしまう私。

 受験生になろうとする頃には、周囲も知るほどの“意外な組み合わせのふたり”としての関係が出来ていた。


 独りで摂る食事はつまらない。結局朝ご飯はコンビニで買っておいたグリーンサラダひとつだけ。

 ダイエットに勤しんでいた高校時代を思い出す。細身な彼の傍らにふさわしい自分でありたいと必死だった、まだ可愛げのあった自分を思い出すと苦笑が漏れた。

 彼はそこそこの高校を狙える頭脳を持っていたのに、地元の商業高校へ進学した。

『もったいないわ。国立大コースだとばかり思っていたけど、って、中学の頃、担任の先生が私にまでぼやいたくらいなのよ。まだやり直しが利くでしょう。進学校へ行き直したら?』

 もっともらしい理由を並べ立て、私は彼に自分と同じ進路を強く勧めた。

『キミはキミらしく、そのままでいい、と僕は思う。でも、僕には店があるから。東京へ出る気は、ないんだ』

 そう言ってその年も、トルコ桔梗の花束をくれた。

『自由で、希望を忘れないで頑張るキミに、この花はとてもよく似合う』

 と言ってはにかんだ笑みを零していた。

『あなたも諦めなければいいじゃないの。だいたい今どき跡取りなんて、時代遅れよ。ナンセンス』

 彼の両親や家業のあり方を、私は当時、さんざんなじった気がする。彼がひとり密かに傷ついているとも知らないで。

 結局彼は進学せずに、代々続いて来た家業を継いだ。私との関係は、清算もせず、かと言って将来の約束も交わすことなく、「帰って来い」とも言わないまま、笑顔で東京の大学へ進む私を送り出した。彼の母親が作ってくれた、と言って、ラベンダーのポプリをお祝いの品に添えて届けてくれた。花言葉にまるで疎かった当時の私は、ラベンダーに「あなたを待っています」という意味があることなど、知らなかった。


 いつからだろう。誕生日に贈られる花が、トルコ桔梗からライラックに変わったのは。

「はっきり言えばいいのにね」

 テーブルの上に飾ったライラックに向かって私はそう呟いた。今年はメッセージカードの代わりに、彼のお父さまの名前と一緒に、中学の時、私達と同じクラスだった女性の父親名を連ねた分厚い封書が添えられていた。

 遠距離恋愛になってからも、私が大学の長期休暇に入ると彼は東京を訪ねてくれた。家業を休むのは気兼ねや苦労があるだろうに、と、今の私なら気づけるけれど、当時の私は甘ったれた学生だった。私は親のすねをかじっている学生の身。交通費だってバカにならない。そんな言い訳を自分にして、大嫌いな田舎へ帰ることを拒んでいた。

 彼とのずれを感じ始めたのも、多分その頃からだったと思う。せっかくの時間を、世間の狭い彼との喧嘩で埋めてしまうことも多かった。

 喧嘩でさえなかったのかも知れない。私が一方的にまくしたてていただけ。彼は困った顔で笑みを浮かべながら、「うん、キミの言うことも解るけど」と、やんわりとながら持論を貫いた。

 彼の足が遠のくことはなかった。だから気づかなかった。私と同じように上京している友達を交えて会うようになったことも、極自然ななりゆきだと思っていた。そこに地元からの友達が加わっていくのも、ごく普通の流れだと思っていた。

 ただ、歯痒さは感じていた。二人きりの時間がほとんど取れなくて。皆で集まって近況を語らう中で、“そういうこと”なのかな、と思い、強引に彼をアパートに泊めたことがあった。だけど彼は、何もしなかった。私達の間に、進展は何もなかった。ふたりの間にせまり来る影を認めたくなくて、かなり足掻いた。それならばと私が道を踏み外した時、彼はそれに気づいていたのに、見て見ぬ振りを決め込んだ。

『今年は手渡しが出来てよかった。家の花だと渡すまでにしおれてしまうから、こっちで買ったものだけど』

 そう言って手渡されたのは、色とりどりのライラック。

『色によって花言葉の意味も変わっていくんだよ』

 紫色は、初恋の感激。白は無邪気や美しい契り、青春の喜び、若き日の思い出。

『キミは僕の初恋の人だから。いつでも前を向いて元気で希望を忘れないキミでいて欲しいな』

 ライラックは、私の誕生日の誕生花だと初めて知らされた。贈られる花が変わった理由を、彼はそう言ってごまかした。


 はっきりと言えない軟弱な人。

 優し過ぎて自分の気持ちを押し付けることで傷つけるのが怖い人。

 そんな彼を、知らずにずっと傷つけ続けて来たのは、私。彼は、自分の意思で地元に残ったのに。自分の家業に誇りを持っていたのに、私は彼を好きだと思いながら、たくさん彼のすべてをなじって来た。挙句の果てに、彼の愛情を計った。愛想を尽かされるのは、当然だ。

 思い返せば、何ひとつ約束などなかった。「付き合おう」のひと言さえ交わしてなどいなかった。

 花のプレゼントに添えられていた、分厚い封書に手を伸ばす。

「ものすごい勇気が要ったでしょう。あなたにしては、上出来なけじめのつけ方ね」

 そんな彼に、今の私が出来る唯一のこと。彼の罪悪感を拭い去ってあげること。私は案内状に印刷されている出席の文字を丸で囲み、その右肩へ“慶んで”と、その下へ“させていただきます”と書き添えた。

ライラックの花言葉どおり、「友情」を匂わせ、「思い出」に変えられたとアピールし、「若き日の思い出」を懐かしい気持ちで思い返せると殊更に伝える一文を添えて。

“実直で奥ゆかしいおふたりは、とてもお似合いだと思っていました。ふたりの幸せのお裾分けをいただきに、喜んでうかがわせていただきます。お幸せにね”

 一度も届けられることのなかった誕生花、ユリ。オーソドックスなそれを敢えて届けなかった彼。その真意が、ようやく解った気がする。

 ――威厳。壮大な美。

 ユリの中でも、カサブランカを目指し、私はそうでありたい、と今は強く思う。友人として、彼にいつかその花を届けさせるために。きっとそんな自分になれた頃には、彼に届けてもらえるかどうかなど、どうでもよくなっているくらいに視野の広い人間になれているような気がするけれど。今はまだもう少しだけ、彼の存在に甘えさせてもらおう。

 言外にモノを言う彼の真意を本当につかめているのか、私には解らないけれど。

「……泣き言言ってないで、頑張ろう」

 二十六歳の誕生日に、私は生まれ変わったつもりでこれまでの自分を振り捨てた。

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