~Prologue~
はるか昔の時代。
雪がしんしんと降りしきり、世界が銀世界一色となっていた頃、「忘れられた森」と呼ばれる森の奥深くに、身も心も疲れた一匹の獣が現れた。
その獣は、毛は逆立ち本来の毛色が解らぬほど汚れ、心を深く傷つかせ荒んでいた。
獣は大きな体躯をよろめかせながら、森を彷徨っていた。
まるで、何かを探すように。
しかし、あるのは獣が残した雪の上の足跡だけ。
森の奥のさらに奥深くへと進むと、そこには大きな一本の樹が佇んでいた。
樹を見つめながら獣は「ここにしよう。」とつぶやくと樹の根元に身を横たえ、そっと眼をつむる。
「何もかも疲れた。静かに眠ろう。」
最後に言葉をもらすと、獣はそれきり動かなくなった。
しんしんと降る雪だけが、静かに獣の体躯を優しく覆い始める。
すると、一匹の小さなリスがそろり獣のそばによって来た。
「あなたは、身体をけがしています。手当てしないといけません。」
しかし、大きな獣は
「もう疲れたのだ。放っておいてくれまいか。」
と言い、小さきリスを威嚇し追いやってまった。
しんしん。
また暫くすると、今度はキツネがそろりと木の実を持ってやってくる。
「何か食べないと死んでしまうよ。さあ、これを食べて。」
しかし、大きな獣は
「私にかまうな。もう死なせてくれっ!!」
と言い、キツネを威嚇し追いやってしまった。
しんしん。
「忘れられた森」に住まう獣たちは、獣を心配し幾度となく声をかけるが、獣は警戒し一匹たりとも近づけさせなかった。
いつしか、森に住まう獣たちは、傷ついた獣に近づくのをやめてしまった。
しんしん。
気がつくと、横たわる獣は雪に埋もれ、樹の根元の一部になろうとしかけていた時、樹の枝からピチチチッと小鳥のさえずりが聴こえてきた。
「あらまぁ。身体を汚して、心の傷ついた獣がいるわ。なんて醜いのでしょう。」
ふわりと風が舞ったと思ったら、甘い香りと柔らかな声が獣の頭上から聴こえてきた。
「あなたは、ここで何を待っているのかしら?」
その声に獣は、
「死を待っている。」
と答える。
「なぜ、死を待っているのかしら?」
その声に獣は、
「疲れたからだ。」
と答える。
「なぜ、疲れたのかしら?」
その声に獣は、
「喜びを得ようとしたら、怒りをもたらした。楽しみを得ようとしたら、悲しみをもたらした。生きることを得ようとしたら、憎しみをもたらした。全てを得ようとし、全てを失った。縋る力も失くし、守る心も失くした。―今度は安らぎを得るために死にたい。だから、静かに眠らせてくれまいか。」
と答える。
すると、
「あなたは、まだ一つだけ得ていないものがあるわ。」
と柔らかな声が言う。
その言葉に獣は眼を開ける。
「それは一体なんなのだ?」
「ふふ。悪いけれど、簡単には教えられないわ。だって、私は魔女だから。」
獣は顔をあげ、眼を頭上へとむけると、そこには美しい魔女がいた。
彼女はこの世界に住まう4大魔女の一人、西を統べる春の魔女だった。
魔女はにこりと笑うと
「魔女はこの世界の中立。誰かを願いを聞き、叶えることはしないわ。質問もまた然り。魔女から何かを得るには、自分の大切なものを差し出さなければならないわ。」
しかし、
「私には大切なものなどない。―ならば、一生解らぬままだ。やはり、死しかなかろう。」
そう答えると、獣は再び眼を閉じようとした。
すると、
「―けれど、魔女は気まぐれな性格よ。私から、あなたへ良いものを贈りましょう。」と言いながら、魔女は獣の前に手を差し出す。
獣はのそりと顔をあげ、魔女の手の中をのぞいてみると、そこには小さな種があった。
「これは、世界にたった一つしかない花の種。これを大事に育ててごらんなさい。そうすれば、あなたが知りたい最後の得るものが解るはずよ。」
「こんな種を育てて何になる!!」
獣は、春の魔女にむかって吠えた。
しかし、魔女は鈴を鳴らすように笑い、
「ふふ。魔女に全てを聞いてはだめよ。信じてもだめ。魔女は中立で気まぐれだから。あなたの眼で確かめてごらんなさい。」
魔女は、花の種を獣のそばへ置くと、笑い声と甘い香りを残して消えてしまった。
残ったのは、獣と獣のもとにある小さい花の種。
獣はスンと鼻を鳴らすと、あたりを見回した。
「私はどれほど寝ていたのだろう。」
気がつくとしんしんと降り注いでいた雪は止み、獣の身体に降り積もっていた雪は解け、周りの雪もいつにまにか無くなっていた。
あるのは、あたり一面に広がる色とりどりの草花。
そう。
―西を統べる春の魔女は、花の種とともに「わすれられた森」へ春の訪れをもたらしていたのだ。
周りを見回した後、「私はまだ何かを得られるのだろうか。」と獣はぽつりと囁いた。
そして獣は、暫くの間、小さな花の種を見つめていた。
―そよそよと風が花の甘い香りで、獣の優しく包み込んでいる頃。
獣は、生涯大切にし続ける花と出会う。
ほのぼのしたお話になるよう目指していこうと思います。