枯れた霜月
10年位前に書いたものを書き直してみました。
霊が見えたり気配を感じる人は少数だけれど確実に存在しています。わたしはその事実を知ったとき、羨ましいと思ったと同時に、わたしと同じ世界を共有している人に会ってみたいと思いました。
わたしには、花が見えます。大地に咲く花、水面に浮かぶ花。きっといろいろな場所で花を見ることがあると思いますが、きっとどの人も胸のちょうど真ん中に育つ花を見たことがないでしょう。わたしには心音を栄養に育つ花が見えるのです。だから彼に出会った時に、ひどく感動して涙をこぼしてしまいました。ずっと会いたかったのです。
公園のベンチで休んでいたわたしに彼は言いました。綺麗なお花だね。指をさした先はわたしの胸元でした。こんな平凡な出会いを誰が予想していたでしょう。呼吸をするように涙は溢れ、ぽたりぽたりとスカートに濃紺の染みをつくりました。きっと彼は困惑したでしょう。ただ綺麗なお花だねと話しかけただけの見ず知らずの女が、いきなり泣き出したと思えば涙で溺れそうになりながら、それはどんな花なのと返してくるのですから。
小学校に上がってすぐ、花の図鑑を眺めるようになったおかげで様々な花の種類と、人の胸に咲く花には全て意味があるものなのだと知ることができました。例えば親戚の結婚式に参列したときには、新郎新婦の胸には真っ赤な薔薇の花。産婦人科に入っていく女性の胸にはぼってりとしたいちじく。そういった具合に宿主の近い未来を花が表していました。どうしてわたしにはお花が咲いていないのとよく泣いて両親を困らせていましたが、自分の未来が気にならない人は少ないでしょう。ただ純粋にわたしはこれから自分にどんなことが起こるのか知りたかったのです。ですが、成長するにつれてわたしと同じように花が見える人がわたしの胸に咲く花を教えてくれるだろうという考えに至りました。いつか、白馬の王子様が迎えに来てくれる、という妄想に似ていますね。両親もわたしがぴたりと花の話をしなくなって安心していました。
「んー黄色い花?」
突然泣き出したわたしを見て彼は少し困っていましたが、ひまわりのような笑顔でそう言いました。実際彼の胸に咲くひまわりがこちらを向いています。ああ、失恋です。王子様の胸のひまわりはわたしと出会う前に咲いていたのですから、このひまわりはわたしの為のひまわりではありません。初恋(と呼んでもいいのでしょうか)は儚く散ってしまいましたが不思議と悲しくありませんでした。やっとわたしと同じように心臓に根を張る花が見える人に出会えたのですから。すぅっと涙は引っ込んだので、残りの雫を袖で拭いながら花の特徴を詳しく聞くことにしました。
「葉っぱはどんな感じですか?」
「葉っぱ?ないよ!」
珍しいです。わたしが見た全ての花は、地面に咲いているものと同じような形をしているのですから。何度も開いて確認した図鑑を思い出す。葉がない花なんてあったかしら。
「ええと、もう少しその花の特徴を教えてくれませんか」
「うーん、よく見る花だよ!なんて説明していいかわかんない!でもよく見る花!」
そう言う彼のカラッと夏のような笑顔は印象深いもので、じんわりと心にあたたかさが宿った気がしました。貴方に出会えてよかったです。
「元気になった?さっき寂しそうにしていたから心配したよ。元気になったなら僕もう帰るね」
くるり半回転して手を大きく振りながら、夕陽に向かって彼は歩き出しました。わたしは彼の姿が見えなくなるまでじっとその場にいました。
日がとっぷり暮れた頃、寒さに我慢ができなくなったので帰ることにしました。家に帰ってから説明文も空で言えるくらいに何度も眺めた図鑑をクローゼットの奥から引っ張り出して読み返しましたが、やはり葉のない花はありません。
明日の天気は晴れ。きっと彼とは明日もあの公園で会えるでしょう。なんとなくそう思いました。眠る前にカバンの中に図鑑をそっと忍ばせました。
翌朝、公園へ向かう途中で彼に会いました。
「おはようございます」
「あーっ昨日の君だね。すっかり元気になったんだね」
相変わらず全開の笑顔が眩しいです。隣に並んで挨拶をするだけで、心が落ち着きました。学生時代は見えないものが見えるとキチガイ扱いされていじめられていましたから、こうして同じ世界が見えているもの同士というのがすごく居心地がよく感じます。
「あの、わたしに咲いている花、どれか教えてもらおうと思って今日は図鑑を持ってきました」
わたしの言葉を聞いた彼は、頭上にクエスチョンマークをいくつか浮かべて、そのあと戸惑いながらこう返してくれました。
「今日は、昨日と違う服だから、花なんか咲いてないよ!」
まさか
「昨日ここに咲いていた黄色い花、今日もどこかにつけてるの?」
彼の指は自分の首元を指していました。なんとなく、気づいていましたが、それでも、それを認めたくなかったのです。彼が昨日きれいだねと言った花は、わたしのブラウスの襟元に刺繍されていたたんぽぽです。彼には胸に咲く花が見えていなかったのです。
「あ…そうですね、あのブラウスお気に入りだったんですよ。」
わたしは来た道を走って彼から逃げました。彼は追いかけてきませんでしたから、逃げるという表現は少しおかしいかもしれませんが、とにかく彼から離れたかったのです。
家に帰って何度も握ったカミソリを持って浴槽に向かいました。心臓がドキドキしています。どうしてわたしの胸に咲く花が見える人はいつまで経っても現れないのでしょう。悔しくて悲しくて、涙も流れる血も拭うことなくそのままです。きっと今のわたしは醜い姿でしょう。どんな花が咲いているのでしょう。でも、もう、今それを知っても遅いです。わたしは死にます。
刃を内側に向けてざっくり胸のあたりに這わせました。もうすでに手首からの出血だけで胸元も赤く染まっていましたので、綺麗な赤い線はできませんでした。胸の血を手のひらで掬うと、異物の存在を感じました。まじまじとみると、それは細長い長さ2センチ程度の黒いものでした。わたしはそれが何か、見ただけでわかりました。種です。マリーゴールドの種。マリーゴールドの花言葉は絶望です。




