第十二話「測定不能」
「ではレイン、早速外へ出ましょうか」
セレナに促され、俺たちは屋敷を出て、広大な稽古場へと足を運んだ。青々とした芝生の向こうには、剣術の訓練にも使われる広場が続いている。朝の柔らかな風が頬を撫で、木々の葉をさらさらと揺らしていた。
「セレナさん……いえ、セレナ先生。僕はまず何をすればいいですか?」
呼び方を改めても、セレナは特に気にした様子もなく、小さく頷いた。魔法学院の教授として、普段から「先生」と呼ばれることに慣れているのだろう。
「そうですね……普通なら、まずは魔力量を測るところから始めます」
そう言うと、セレナは魔導衣の内ポケットへ手を入れ、掌に収まるほどの小さな魔導具を取り出した。
滑らかな漆黒の外装には銀の幾何学紋様が精緻に刻まれ、中央には蒼い魔晶石が埋め込まれている。上部には細かな目盛りが並ぶ文字盤が備えられており、その姿はどこか古びた懐中時計を思わせた。
「それは……?」
「魔力測定器です。帝国では、この型が最も広く普及しています」
そう説明したセレナだったが、測定器へ視線を落としたまま、どこか言いにくそうな表情を浮かべる。
「それで、魔力を測ればいいんですよね?」
「ええ……やってみても構いません。ただ――」
言葉を切ると、彼女は小さく苦笑した。
「この型では、おそらくレインの魔力量は測定できません」
「測定できない?」
「この測定器が扱える魔力量には限界があります。その上限は、内部に組み込まれた魔晶石の質や大きさで決まるんです」
彼女は測定器を指先で軽く回し、中央の魔晶石を見せる。
「魔晶石はとても希少な鉱物です。帝国中へ普及させるとなれば、どうしても小型のものを使わざるを得ません」
蒼い魔晶石が陽光を受け、かすかに青白く煌めいた。
「そのため、私やレインのように規格外の魔力量を持つ者は、幼少期の測定で『測定不能』になることが珍しくないのです」
そこでセレナは肩をすくめ、少しだけ笑う。
「もっとも、その時点で『魔導師』級の才能があると判断されますから、実務上はあまり困りません。むしろ魔法学院への推薦が約束されるくらいですね」
(あれ……?)
そこで、ふと疑問が頭をよぎった。
「先生」
「はい?」
「普通の人は、魔力が見えないんですよね? なのに、どうして僕の魔力が『規格外』と分かったのですか?」
その一言に、セレナの動きがぴたりと止まる。紫の瞳がわずかに見開かれ、遅れて苦笑が浮かんだ。
「……そういえば、その説明をまだしていませんでしたね」
小さく肩を落としながらも、その紫の瞳にはどこか感心したような色が滲んでいた。
「本当に、魔法について何も知らないのね」
その一言だけは、教師として取り繕ったものではなく、素の彼女の口調だった。
彼女は測定器をしまうと、俺のほうへ向き直った。
「確かに、私たちは魔力を『見る』ことはできません。でも、『感じる』ことはできます」
「感じる?」
「ええ」
セレナは静かに頷いた。
「例えば、怪我をすれば痛みを感じますよね」
「はい」
「切り傷と火傷では痛みが違いますし、傷の深さでも感じ方は変わります。目で見なくても、『どんなふうに痛いか』や『どのくらい痛いか』は分かるでしょう?」
「……そうですね」
「魔力も、それと少し似ています」
穏やかな口調のまま、彼女は説明を続ける。
「私たちは、自分の魔力なら訓練を積めば次第に感じ取れるようになります。属性の異なる魔法を使えば、魔力の感触がそれぞれ異なることも分かります。レインの目には、火属性の魔力は赤く、水属性の魔力は青く見えるのでしょう? それと同じことです」
「一方で、他人の魔力を、自分のものほど明確に感じ取ることはできません」
さらりと風が吹き抜け、セレナの栗色の長髪を揺らした。
「もちろん、まったく分からないわけではありません。莫大な魔力量を持つ者が魔力を体外へ漏らせば、その気配は周囲にも伝わります」
その声音が、わずかに真剣味を帯びる。
「全身を押さえつけられるような重圧や、空気そのものが震えるような威圧感として感じられるのです」
俺は思わず息を呑んだ。
セレナは紫の瞳で、俺をまっすぐに見つめる。
「ですが、今のレインからは、魔力の気配がまったく感じられません」
一拍置き、彼女は静かに続けた。
「普通の子どもであれば、それ自体は珍しいことではありません。まだ魔力量も少なく、魔力を外へ放出する機会もほとんどありませんから」
そこでセレナは、理解できないものを見るようにわずかに眉を寄せた。
「けれど、レインは違います。普段は何も感じられないのに、魔法を使った瞬間だけ、抑え込まれていた莫大な魔力が一斉に溢れ出す」
先ほどの光景を思い返すように、その紫の瞳が細められる。
「まるで、普段は完全に閉ざされている水門が、魔法を使うときだけ一気に開くように」
セレナは小さく息を吐いた。
「おそらくレインは、無意識のうちに魔力を制御し、普段は体外へ一切漏れないよう抑え込んでいるのでしょう」
そう言われて、俺は自分の身体へ視線を落とした。
確かに、草花や目の前のセレナからは絶えず光の粒が溢れているのに、今の俺の身体からは一粒の光すら漏れていない。
「普通なら、その域に至るまで血の滲むような訓練が必要です」
セレナは小さく肩をすくめる。
「火事を起こしてしまったのは、初めて魔法を使ったことで加減が分からず、一度に魔力を流し込みすぎたのでしょう」
そこで彼女の表情が、わずかに引き締まった。
「先ほど無詠唱で魔法を使ったときも同じです。普段はまったく感知できないほど抑え込まれていた魔力が、魔法を発動した瞬間、堰を切ったように溢れ出したのです」
なるほど。
俺は意識して抑えているつもりなどない。それでも、身体は無意識のうちに魔力を閉じ込めているらしい。
(……試してみよう)
ほんの少しだけ、身体の奥へ意識を向ける。
その瞬間だった。
胸の奥で、何かの留め具が外れるような感覚が走り、無数の光の粒が身体中から一斉に噴き出した。
それらは瞬く間に激しい奔流となり、決壊した堤防から水が押し寄せるような勢いで、周囲へ溢れ出していく。
「――っ!?」
セレナの表情が凍りついた。
一歩。
さらに一歩。
反射的に後ずさった足がもつれ、小柄な身体がそのまま後ろへ倒れ込む。
――だが。
ふわり、と。
地面すれすれまで落ちた身体が、空中でぴたりと静止した。
長い栗色の髪がふわりと揺れ、衣の裾が風を孕む。
咄嗟に無詠唱で浮遊魔法を発動したのだ。
……さすがは帝国最高峰の魔導師。この反応速度は尋常ではない。
「す、すみません!」
慌てて魔力を抑え込み、駆け寄る。
「大丈夫ですか……?」
セレナは宙に腰掛けたような姿勢のまま、ゆっくりとこちらを見上げた。
そして――。
半眼になり、じとり、と俺を睨む。
「……急に驚かせないでください」
静かな声だった。けれど、その一言には確かな圧があった。
「私だから対処できましたが、相手によっては威嚇されたと受け取るかもしれません」
セレナは静かに地面へ降り立つと、乱れた魔導衣の裾を軽く整えた。
「莫大な魔力を間近で浴びせられることは、人によっては刃を突きつけられるよりも恐ろしいのです」
そう言って、小さくため息をついた。
「次やったら、本気で怒りますからね」
その目は、悪戯をした子どもを叱る教師そのものだった。
「……本当にすみません」
頭を下げながら、俺は自分の手を見つめる。
俺にとっては、「ほんの少し魔力を意識した」つもりだった。だが、それだけでセレナをここまで驚かせてしまった。
この力は、自分が思っている以上に危ういものなのかもしれない。
今後はもっと意識して、魔力を解放する量を調節しなければならない。
セレナはひとつ深呼吸をすると、気持ちを切り替えるように表情を整えた。
「……まあ、一応やってみましょうか。魔力測定」
「はい! やってみたいです!」
差し出された魔力測定器を、両手でそっと受け取る。
掌へ伝わるのは、ひんやりとした金属の感触。
中央に埋め込まれた蒼い魔晶石は、長年使い込まれてきたものなのだろう。表面には細かな傷が幾筋も刻まれ、陽光を受けて鈍く光っていた。
「それを持ったまま、身体の内側にある魔力へ意識を向けてください」
セレナは念を押すように続ける。
「測定器がごく微量の魔力を吸い上げ、魔晶石を共鳴させます。その反応の強さから、体内の総量を読み取る仕組みです。ですから、自分から魔力を流し込む必要はありません」
そこで彼女は、わずかに目を細めた。
「……今度は、急に解放せず、ゆっくり意識を向けてくださいね」
先ほどの一件を警戒しているのだろう。俺は思わず苦笑し、小さく頷いた。
「はい。気をつけます」
測定器を包み込むように握り、意識を身体の奥へ沈めていく。今度は、固く閉ざされた水門を一気に開くのではなく、ほんのわずかに隙間を作るように。
慎重に。ゆっくりと。
すると、中央の魔晶石が淡く明滅し、身体の内側からごく微量の魔力を吸い上げ始めた。
吸い取られている感覚は、ほとんどない。けれど、魔晶石へ流れ込んだ魔力に反応して、文字盤の針が――
コチリ。
ゆっくりと動き始めた。
「おお……」
思わず声が漏れる。
針は一定の速度で滑るように進み、次々と目盛りを越えていく。
三分の一。
半分。
そして、あっという間に目盛りの端へ到達した。
だが、測定器の反応は止まらなかった。
針はさらに先へ進もうとするかのように、端へ押しつけられたまま震え始めた。
カタッ。
カタカタッ。
細い針が小刻みに痙攣し、文字盤全体がかすかに震える。
中央の魔晶石も、呼吸を乱したように明滅を繰り返した。
「……」
俺は固唾を呑んで見守る。
これ以上は、もう進めない。
そう訴えるように、針は目盛りの端を何度も叩き、小刻みに跳ね返されていた。
やがて――
ピタリ、と。
すべての動きが止まった。
静寂が稽古場を包む。セレナは測定器を一瞥すると、予想していた結果を確認するように小さく息を吐いた。
「……やはり、測定不能ですね」
その音声に驚きはない。
最初から分かっていた、という口ぶりだった。
「そうですか」
俺は素直に頷き、測定器を返そうと手を差し出す。
その時だった。
パキッ。
乾いた小さな音が、妙にはっきりと耳へ届いた。
「……え?」
中央の魔晶石に、一本の細い亀裂が走っていた。そこから枝分かれするように、蜘蛛の巣状のひびがゆっくりと広がっていく。
「…………」
セレナは無言で測定器を見つめていた。
やがて、額にそっと手を当てると、困ったように小さく笑う。
「……壊れてしまいましたね」
「えっ!?」
「まあ、予備はありますから気にしないでください」
そう言いながらも、その笑みにはわずかな困惑が滲んでいた。
その表情を見る限り、測定器そのものが壊れる事態は珍しいのだろう。
セレナは壊れた測定器を魔導衣の内ポケットへしまうと、ゆっくりと俺へ向き直った。
先ほどまでの穏やかな空気は消えていた。
紫の瞳が、真っ直ぐ俺を見据える。
「レイン」
静かな声だった。
しかし、その一言だけで、場の緊張が一段深まった。
「予定を変更します」
その表情は教師らしく引き締まっていたが、紫の瞳の奥には、未知のものを前にした研究者の熱が隠しきれずに滲んでいた。
「これから行うのは、一般的な魔法教育ではありません」
彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「レイン、あなたのためだけの、特別な訓練を始めます」
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