第9話 大宗師の存在
俺の棺が東京開封府に入ったとの報告を受けた童貫は、従者の静止も聞かず靴を履くのも忘れて裸足のまま駆けた。
「花娘子!」
童貫は俺が死んだのが信じられないと、棺にしがみついて号泣した。四寇と呼ばれる悪大臣とは思えない情に熱い人物だと、微かな意識の中で感激した。思っていたのとは随分と違う。これでも遼や金と戦う総大将だったのだ。結果的に勝てなかった為に後世で悪評が立った。
強いて言うなら、1123年に金に攻め込まれた時に総帥だった童貫は金国から書簡で脅され、恐怖を感じて配下を見捨てて敵前逃亡したくらいか。
欽宗が即位した時にこの事を弾劾され、六賊と糾弾されて海南島に流刑される途中で死罪とされた。童貫の首は剣や刀を弾き斬首出来ない程硬く、門の敷居を断頭台代わりにしてようやく斬首出来たと記録が残っている。
徽宗皇帝は俺の棺と対面して号泣し、まだ胸に矢が突き立ったままである為、取るように指示をした。太医が矢を抜くと血が吹き出したので、悲鳴を挙げて傷口を押さえて応援を要求した。
死んでいて心臓が動いていなければ、矢を抜いても血が吹き出す事など有り得ない。つまり信じられない事に、花娘子はまだ生きていたのだ。
太医達が大騒ぎをし、全力で治療に当たり花娘子の一命を取り留めた、と言う様に傍目的に見えた事だろう。俺はホッと胸を撫で下ろし、意識が回復しない芝居を続けた。
「どうなのだ?いつ目覚める!?」
「はい、童貫様。峠は越えました。ただ目覚めるのは、数日のうちかも知れませんし、数ヶ月先かも知れません」
太医らを下がらせて、童貫は俺のベッドの横で呆然としてお茶を啜っていた。俺の心配をしてくれるのは徽宗皇帝くらいだと思っていたのに、手駒であるはずの俺をこんなに大切に思っていたんだと、童貫の態度に感動した。
「ごほっ、ごほっ、ううっ…」
そろそろ潮時だろうと、目覚めるフリをした。
「花娘子、気が付いたか?ゆっくり休め」
「ずっと看病して下さったのですね。感謝致します、童貫様」
童貫は照れ臭そうにして、太医に薬を用意させると退室して行った。その少し後から徽宗皇帝が現れて、薬湯を飲ませてくれた。相変わらず寵愛を受けたが、俺が不在の間に高俅が送り込んだ妓女の李師師にも夢中だと噂を聞いた。
「李師師か…。俺の存在はイレギュラーだし、正常に戻ろうとしているのか…」
高俅の思惑として、俺と寵愛を張り合える者を送り込み、俺から寵愛を奪ってしまえば俺の後ろ盾は童貫だけとなる。しかし、寵愛を失った俺の後ろ盾を続けるほど甘い人間では無い。もはや用無しとばかりに、始末される恐れがある。
ここが分岐点だ。よく考えて行動する必要がある。このまま皇宮にいても寵愛を失った俺は、殺されずとも飼い殺し状態となる。であれば、梁山泊に降った方が良い。楊志に口を訊いてもらえば、入山出来るだろう。問題はどうやって、皇宮を離れるかだ。
そんな事を考えていると、急報が入った。北京大名府が梁山泊に攻められ、援軍に来た関勝が呼延灼の偽投降の策に嵌められて捕らえられ、梁山泊に降ったと言う。
梁山泊が北京大名府を攻めた理由は、盧俊義を仲間にする為、陥れられて投獄され処刑される寸前の盧俊義を救いに来たのだ。北京大名府は陥落し、盧俊義を救い出して梁山泊に引き上げたと言う。
「ではいよいよ梁山泊は、曾頭市へ晁蓋の仇討ちの為に復讐戦を挑むんだな。108星が揃うのも間も無くだ」
傷が癒えた俺は皇城副使として仕事に戻り、独り言を言いながら歩いていると、1人の女性とすれ違った。彼女は俺の前で頭を下げ、福寧殿(徽宗皇帝の寝殿)へと向かった。すれ違った彼女からは甘い香りがして、なによりもその美しさに思わず見惚れてしまった。
「あれが李師師か…」
俺の居場所は、間も無くなくなってしまうだろう。そうなれば童貫にも、用済みにされるに違いない。俺は偽の命令書を偽造し、東京開封府から出て梁山泊に向かおうと企んだ。
梁山泊では、連日の様に大宴会が続いていた。史文恭によって二代目梁山泊首領だった晁蓋が殺され、その仇討ちを盧俊義が果たした。しかし新参者の盧俊義よりも、死線を共に潜り抜けて来た宋江を首領にしたいと梁山泊の好漢達は思っており、全員が反対したが宋江は史文恭を殺した者が次の首領だと晁蓋の遺言に従う事に固執した。
妥協案として宋江は東平府を、盧俊義は東昌府を競い合って先に陥落させた方が首領とする事にした。だが東平府には双槍将・董平が、東昌府には没羽箭・張清がいた。
宋江は董平を降して東平府を陥落させたが、盧俊義は張清の前に苦戦していた。張清は石礫投げで、徐寧、燕順、韓滔、宣贊、呼延灼、劉唐、楊志、朱仝、雷横、関勝ら並みいる梁山泊の猛者を退け蹴散らした。
張清のあまりの強さに、呉用も公孫勝も策を弄しても通じず攻めあぐねていた。そこへ先に東平府を陥落させた宋江軍が合流し、東昌府を苦労の末に陥落させた。
宋江が三代目梁山泊の首領となり、そのお祝いの大宴会だった。その宴席の中で林冲が口を開いた。
「大宗師だと?」
魯智深は、酒を飲みながら尋ねた。
古代中国では、武の道を極めた大宗師が存在すると言われていた。その秘伝の武術は代々繋がれ、浮世を嫌い世俗を離れて仙人の様に暮らしているとされた。大宗師と呼ばれる者は4人存在し彼らの武力は同等とされ、争いを避ける為に東西南北に別れて住み分けを行ったとされる。
「万が一にも大宗師に狙われたら、俺でも瞬殺される」
梁山泊で最強と目される林冲が、酒を満たした杯を3度口に運んだ。
「はっはあ。兄弟、そりゃただの都市伝説だ。大宗師なんてものには、会った事がある奴なんていないぜ」
魯智深は、酒瓶ごと口にして言った。
「いや、大宗師は存在する。李逵よ、お前は会ったはずだ。少なくとも公孫勝の師匠である羅真人が大宗師の1人だ」
「あの仙人が大宗師だって!?」
李逵は高廉の妖術に手こずる梁山泊を救う為に、公孫勝を迎えに行った。だが羅真人は、公孫勝の修行がまだ終わっていない、世俗に関わる気は無いと言って断った。頭に来た李逵は、そこで偉そうにする羅真人に一泡吹かせてやろうと、二丁斧で真っ二つにしたが翌日には普通に現れたので腰を抜かした。
その後、雲に乗せられて振り回され、泣いて謝ったのと公孫勝の取りなしで許してもらえたと言う経緯があった。あの人間離れした能力を持つ羅真人が大宗師の1人であるなら、他の大宗師の恐ろしさにも信憑性を感じる。
「ガハハハ。仙人の様に俗世を離れているんだろう?そんな会いもしない者に恐れを抱くなど、お前らしくも無いぞ林冲!」
魯智深に酒を注がれ、杯を飲み干した。
「そうだな。だが最近、夢の中で大宗師と名乗る影の男に殺される夢を見るんだ」
林冲は独り言の様に呟き、杯を持つ手が震えていた。




