第8話 花娘子、出陣
「大変です、お頭!官軍が攻めて来ます」
斥候が息を切らしながら慌ただしく、魯智深、楊志、武松の3人の頭領が酒を飲んでいる所へ駆け込んで来た。
「指揮官は誰だ?」
首領の魯智深が尋ねた。
「それが、花娘子と言う女子です」
「花娘子?何者だ、そいつは?」
武松が聞いた事もない無名の敵将に、呼延灼にも引けを取らなかった二龍山が舐められた気がして眉を顰めた。
「はい聞いた所では、徽宗皇帝の愛人で皇城副使に任命された倭人だとか」
「待て!今、何と言った!?」
斥候の答えに、楊志は聞き返した。
「わ、倭人だそうです。しかも倭国で国士無双と吹聴していると聞きました」
「倭人で…女子…まさか…」
楊志は脳裏に浮かんだ人物の心当たりがあった。
「知っているのか、楊志?」
魯智深が楊志に問うた。
「もしも俺が想像している人物と同じなら、俺の大哥(義兄)だ」
「大哥(義兄)?女だったら大姐(義姉)だろう。どうして大哥(義兄)何だ!?」
「話せば長くなるが、義兄弟の契りを結んだ時に彼女は男装していたのだ」
「ふん、問題はそこでは無いだろう。倭国で国士無双と言うのは本当か?」
武松は酒を飲みながら尋ねた。
「ああ、俺は全く歯が立たずに敗れた」
楊志は武松の方に向いて正直に答えた。
「けっ!お前が弱いだけだろう」
吐き捨てる様に武松は言った。
「何だと、コイツ!」
馬鹿にされたと感じて、楊志は立ち上がって怒り出した。
「落ち着け、楊志!武松、お前も酔い過ぎだぞ!」
魯智深は武松を嗜め、酔ってるだけだから許してやれと言って宥めた。
「大姐(義姉)なら、俺が行って説得しよう」
楊志が立ち上がると静止した。
「待て待て。それほどまでに強いのなら、戦ってみたい。それからでも遅くはあるまい」
魯智深は勇んで見せた。
「ダメだ、危険過ぎる。今の俺らは山賊だ。それにお前達が、俺の義兄弟だと知らないから殺されるぞ!」
「ふっ。はぁ、ははははは。それほどか?それほどまでに強いのか?お主がそこまで言う相手だ。武人として、ぜひ手合わせ願いたいものだ」
魯智深は楊志が止めるのも聞かずに、手下を率いて出陣した。
「あれが二龍山か?」
あの山寨には楊志がいるはずだ。義兄弟の契りを結んだ相手だし、魯智深や武松もいるはずだ。戦いたくは無いが、疑いを晴らす為に出陣して来たのだ。
密かに楊志に手紙を送って退いてもらえる様に頼みたい。しかし中国人は、面子を最も重んじる民族だ。簡単では無いだろう。さて、どうしたものかと思案していると、魯智深が出陣して来たとの報告を受けた。
「出陣されたなら仕方が無い。1つ手合わせして考えるとするか」
俺は100騎の禁軍を率いて進むと、和尚らしき男がこちらに向かって来るのが見えた。遠目から見て、頭がツルツルだから魯智深だと決め付けた。魯智深が近付くに連れて、その迫力に気圧されそうになった。
鋼の様に筋骨隆々の和尚は、尋常では無い腕の太さだった。実際の体躯よりも大きく感じられた。
「貴様が花娘子か?」
「如何にも」
「はっはぁ!」
魯智深は有無を言わさずに、62斤(約37kg)の禅杖を片手で軽々と振るって来た。それを背筋を使って海老反りで避け、素早く腹筋で上体を起こして抜刀したが、禅杖で防がれた。俺は息もつかさず連撃したが、悉く防がれた。
「はっはぁ。やるな、今度はこちらの番だ」
魯智深は身体を回転させながら攻撃を繰り出し、遠心力と禅杖の重さで威力が更に増し、その回転に合わせて攻撃したが、体重の軽い俺は軽く5mは吹き飛ばされた。俺は何とか体勢を整えて地面に着地した。
「くっ…、さすが魯智深。手強い相手だ」
魯智深は柳の木を、根っこから引き抜いた事もある剛力無双の怪僧だ。一撃でも受ければ、即死か重傷は間違いない。
「『天眼』『二天一流』」
俺は立て続けにスキルを発動させ、刀を2本抜いて構えた。
「ここからが本番だ!」
魯智深は俺の3倍はあるんじゃないか?と思える大男にも関わらず、その機敏さは躱わすのもやっとと言うほど技にキレがあり、身体を回転させながら繰り出される攻撃によって、防戦一方で追い詰められた。
「強い…そう言えば林冲も、魯智深の稽古を見て感嘆していたな」
俺は目を閉じて、心を落ち着かせた。
「負ける訳にはいかない。日本が誇る剣豪・宮本武蔵が負けるはずが無いだろう」
もうこれは、宮本武蔵対魯智深の勝負でもある。実際は宮本武蔵の技量が自分にある訳では無く、二天一流が使えると言うだけなのだが、俺はそう思っていた。
魯智深の回転に合わせて俺も回転し、禅杖の先は三日月状になっており、近くにあった細い木は一撃で薙ぎ倒され、避けた先の岩をも砕いた。
俺は身体を捻って空中に逃れ、禅杖の先に立って見せた。魯智深は腕に力を込めて、俺を投げ飛ばした。地面に着地すると同時に、魯智深に斬りかかったが禅杖を回転して防がれた。
しかしそのまま俺は身体を反転させて、魯智深の背中を思い切り峰打ちをした。勢い余って魯智深は前のめりに倒れた。
勝利を確信した瞬間に、武松が懐に飛び込んで来た。素早く匕首で突かれ、かろうじて反応して躱わしたが、首を掠めて血が滲んだ。
俺は匕首を弾き飛ばしたが、武松は怯む事なく素手で向かって来た。武松は素手で、虎を殺した事がある猛者だ。
彼は酔拳の使い手であった。飲めば飲むほどに、酔えば酔うほどに、その拳は速さを増し力を増幅させて強くなって行く。酔う事によって、リミッターを外しているからだ。
胴を払おうとして剣を振ると信じられない事に、膝から上半身を90度に逸らして攻撃を躱わされた。その状態から身体を起こして、俺の足を払って来た。とんでもない腹筋、背筋、脚力だ。こんな事が出来る人間がいるなんて驚異的だ。
上体を反らしたまま指を曲げて連撃を繰り出し、そのうち1発を受けただけで肋骨が折れた。
「うぐっ…」
痛みを堪えて反撃するも、酔拳の予測不能な動きは、天眼のスキルでさえも捉える事が出来無かった。武松の相手でさえ手こずっていると、梁山泊の旗を掲げた軍勢が現れた。
「武松、女相手に2人がかりは卑怯だと思わないか?勝負は後日改めて…」
そう言って馬に跨ると、梁山泊の武者が騎馬から弓を引き絞っているのが見えた。天眼のスキルで軌道を予測して、矢を居合いで斬って払った。
「ぐがっ!」
しかしその矢を払うのと同時に、黒く塗られた影羽(1本目に隠された矢)が俺の心臓に突き立った。
「あの距離から…あれが…花栄…」
俺は意識が遠くなり、馬上から地面に落ちた。官軍は俺を決死で取り戻すと退却した。
「花大将軍…」
俺は七品官の皇城副使から一時的に、二品官の鎮軍大将軍となって、山賊の討伐軍の総大将となっていた。
「こ、これはもう…」
鼻に指をやって呼吸しているか確認され、既に息絶えていると配下達は絶望していた。俺の遺体を持ち帰れば、徽宗皇帝は悲しみの余り激怒するだろう。下手をすれば、俺を救えずにオメオメと戻った配下は全員処刑されるかも知れない。
戻る戻らないで配下達が口論しているのも、俺は遠い意識のまま聞こえていた。まるで俺は水中の中にいて、配下達の声は地上から僅かに聞こえている感じだ。
俺は死んでいるはずなのに意識があるのは、『不死』のスキルのお陰だろう。このまま待っていれば、俺は生き返るのだろうか?それとも何か条件があるのだろうか?全く分からないが、指1本も動かす事が出来ないこの状況では、なる様にしかならないと諦めた。
結局官軍は、東京開封府へ引き上げて行った。三山連合軍は梁山泊と合流し、魯智深の義兄弟である九紋龍・史進も呼び寄せて更に強大になったと朝廷は報告を受けていた。
俺が入った棺は、4日かけて都入りした。