第43話 大宗師、激突す
目を開けると、天井の梁が見えた。生前の自宅の天井とは異なるのが、未だに慣れなかった。首を傾けると、室内には誰も居らず静まり返っていた。
「石宝は?戦いはどうなったのかしら?」
俺は精神が男のままだが、身体は女として新しく生まれ変わった。それを他者に知られたく無いので、口に出す言葉は女言葉を使っているつもりだ。地が出る事もあるかも知れないが、今の所それを知る者は誰も居ない。
ベッドから起き上がったタイミングで、侍女が現れた。
「娘娘、お目覚めですか?気を失われたので、皆が心配しておりました」
「石宝は無事なの?」
「嗯(はい)、北の大宗師様のお力で治療されましたので、傷痕も残っておりません」
「そうだ、山田が現れたんだった…」
この「娘娘」とは、高貴な身分の女性に対して呼ぶ敬称である。目下の者は「皇后娘娘」とか「◯貴妃娘娘」と呼ぶのが一般的であり、仕える侍女が主の幼い頃から仕えているならば、「小姐(お嬢様)」と呼ぶ場合もある。その為、呼び方一つで主と侍女の関係性が分かる。
例えば皇后などに対して、「皇后娘娘」とまで言わず、「娘娘」と略して呼ぶ場合もある。
皇后に対して「娘娘」と呼べば、それは皇后に対して呼んだのと同じである。つまり、貴妃や他の妃嬪達も高貴な身分の女性である為に、目下の者は娘娘とだけ呼ぶ場合がある。
ちなみに◯貴妃としたのは、貴妃の位は最大2名と決まっている為、貴妃が2人いる場合がある。
例を挙げると、李貴妃とか葉貴妃などと姓を付けて呼び分けるのが普通だ。
皇后の場合は1人しか居ないので、◯皇后と必ずしも姓を呼ばなくても誰を指して呼んでいるのか分かるので、娘娘と略して呼ばれる事が多い。
しかしこれは、自分の侍女などが呼ぶ場合であり、同じ目下の者でも他の妃嬪に仕えている侍女や大臣、武将らが皇后を含めた妃嬪に対して、娘娘とだけ呼べば馴れ馴れしくて無礼である。だから必ず、皇后娘娘と呼ぶ。
また中国では、日本の様に「はい」「うん」と使い分ける相槌が無く、基本的に全て「嗯」と相槌をする。この為、日本人が耳にすると、目上の人に対しても「うん」と相槌をしている様に聞こえる為に違和感を感じる。
日本では目上の人に対して、「うん」では無く「はい」と言いなさい!と躾けられるからだ。「うん」と聞こえるかも知れないが、そもそも日本語では無いので意味が違うと考えるべきだ。
俺は侍女に腕を支えられながら、石宝の無事な姿を見ようと向かった。室内に入ると、すでに宴を始めて酔いが回っている者もいた。
「おお、花娘子こっちだ」
上田に呼ばれて行くと、山田がいたのでギョッとした。まだ山田には別れを告げていないので、この時点ではまだ彼氏だ。そして俺を寝取った上田と一緒にいるので、いわゆる修羅場だ。この状況でハラハラしない者など居ないだろう。そこまで太太しくは無い。
しかもよりにもよって、その場には石宝もいた。重臣であるから、当然と言えば当然なのだが。
(元彼と今彼、そして…好きな人と一緒の場だなんて、最悪だ…)
上田の性格的に、俺との仲を見せつけようとイチャついてくるに違いない。まだ山田は自分が彼氏だと思っているから、そんなのが許せるはずがない。大宗師同士が争えば、こんな城なんて吹き飛んでしまう。
だけど問題は、そこじゃ無い。好きな人に…石宝に、上田からイチャつかれる姿を見られたく無い。それに、石宝が好きだと上田に知られれば、石宝を殺してしまうかも知れない。
そう思いながらも、俺は上田と山田の間の席に座った。俺を挟んで、殺し合いは出来ないだろうと考えての席だ。
「ははは、お前も大宗師なのに、やはり女だな。血を見て気を失うなんてな」
上田が笑いながら、鴨肉のソテーをつまんで口に入れた。
「お姉さん、急に倒れるから驚いたよ。念の為、回復魔法をかけたけどね」
山田が心配そうに顔を覗き込んで来た。
2人のやり取りから察するに、まだ俺が山田の彼女だと上田は知らないみたいだ。恐らく、山田が俺の事を「お姉さん」と呼んでいるからだろう。上田は、俺に彼氏がいると知りながら寝取ったのだ。その相手が、まさか目の前に居るとは夢にも思わないだろう。それを知った瞬間に、戦闘態勢に入る可能性が高い。
俺は心臓の音が聴こえるんじゃないかと思えるほど心拍が上がり、呼吸が乱れて指先まで手が震えた。もし俺が逆の立場で知ってしまったなら、どうするだろうか?
大切な彼女が他の男と寝たのだ。許せるはずが無い。しかし、それでも彼女の事は愛してる。彼女が進んで自分を裏切るはずが無い。この男が俺の女に手を出したからだ。そうだ、無理矢理に犯されたに違いない。それとも何か弱みでも握られたのか?と考え裏切られたにも関わらず、それでもまだ愛する彼女を信じたい気持ちがあり、その怒り、悲しみ、憎しみの矛先は、相手の男へと向かう。
こいつを殺せば、また全てが上手くいく。元通りになるに違いないと、強烈な殺意が湧いて心が支配される。それからは、殺す事しか考えられなくなるだろう。
2人が争う原因を作ったのは俺なのだ。しかし思い返せば、山田も上田も俺を無理矢理に犯して手に入れたのだ。身体を重ねるうちに情が湧いただけで、本当に愛してたのか分からない。でも今は、石宝を愛してる。これだけは間違いない。
始めは梁山泊の為に、どうやって石宝を殺そうかと思案した。毒殺や不意打ち、寝込みを襲うなど色々と計画した。だけど、口数は少ないけど恩に着せない親切心を何度も受けるうちに、少しずつ俺の心は傾いていった。そして、その男が石宝だと知った時、完全に殺意は消えた。
愛憎は表裏一体と言う。四六時中、憎んで憎んで殺してやろうと考えていた相手が、誤解だったのだ。悪人では無かったのだ。
それはそうだ。これは戦争だ。お互いが殺し合いをしているのだ。死にたくなければ、相手を殺すしか無い。戦争に正義も悪も無い事は、俺たち日本人が1番分かってるはずだ。
そんな事が頭の中を駆け巡り、山田に対して「早く帰れ!」と祈った。上田と山田がこのまま一緒に居れば、必ずバレる。俺は上田に、付き合うと言ってしまった。俺がここから逃げる事は出来ない。上田の居城だから、上田が去る訳にも行かない。となると、理由をつけて山田を帰らせるしか方法が無い。
「花娘子だ。こいつは東の大宗師で、俺の女だ」
「ブッ。ごほっ、ごほ、げほっ」
席に着いてお茶を口にした途端、上田が山田に「これが俺の女だ」と紹介したので動揺し、気管に入って咽せた。
「へぇ、奇遇だな。この女は俺の彼女だ」
山田は俺の肩を抱き寄せて、上田を睨んだ。上田は、俺が彼氏が居ると言っていたので、その男は山田の事かと察したみたいだ。
「お前の女だったのか。自分の女なら、しっかり繋ぎ止めておかないとな」
「まさか…寝たのか?」
「ここに来た日から、毎晩楽しませてもらったよ。そろそろ妊娠した頃だ」
俺の予想した最悪の展開になって来た。このままでは2人が殺し合いを始めてしまう。血の気が引いて眩暈がし、心拍が上昇して過呼吸になって苦しんだ。
山田は俺に回復魔法をかけて落ち着かせ、「どうせ無理矢理にヤラレたんだろう?」と、自分もそうだった為に俺を庇った。
「その女は俺のだ」
「ふざけるな!お姉さんは、俺と結婚するんだ。お前には絶対に渡さない!」
2人とも俺を挟んで戦闘態勢に入った。
俺は、話を全て石宝に聞かれてしまった事の方がショックだった。誰にでも1つや2つ、秘密にしたい事だってある。特に好きな人に、他の男性との経験なんて知られたく無い。
俺も男だったのだ。自分の彼女の過去の男性経験なんて聞いたらショックだ。好きだからこそ、自分の彼女には指1本だって触れさせたく無い。特に童貞は、相手にも初めてを求めがちだ。
「だから37歳にもなって、俺は童貞のまま死んだのだ」と思う。その反動で女に生まれ変わって、男と遊びまくっている。
「待って、お願い…私の為に争わないで!」
俺は這いつくばって泣きじゃくり、2人に対して謝り続けた。
「だったら、どっちか選んでよ」
俺は、山田か上田のどちらと付き合うのか答えを求められた。
「…ごめんなさい。どちらも選べない…」
その返答に2人が同時に怒鳴った。
「ふざけんな!こうなったのは、優柔不断な、お前のせいだろうが!どっちか選べよ!!」
「ごめんなさい。本当に…ごめんなさい。私が…好きなのは…2人じゃない…」
泣きじゃくる俺は、それ以上は声に詰まって出せなかった。
「他にも好きな奴がいるのか?誰だ、そいつは!俺がぶっ殺してやるよ!」
「言えない…殺されるから…言えない…」
「くそがっ!だったら一生、俺の性奴隷にして飼ってやるよ」
上田に髪の毛を掴まれて引き回された。
「止めろ!お姉さんを放せ!」
「あぁん、何だぁ?結局、俺様と殺り合うつもりかよ?」
『魔法箱』
上田が呪文を唱えると、空中に光り輝く一口冷蔵庫ほどの大きさの箱が現れた。
『神銃』
その箱の中から取り出されたのは、まさかの銃であった。
「これが何か分からない、お前らでは無いだろう?大宗師でも躱わす事など出来んぞ。魔法具だからな」
この宋の時代で、ようやく大砲が登場した。しかし、銃ほどの手軽なサイズが実用されるまでは、まだ時が必要だ。
「銃!?こんな剣と弓の時代で銃だなんて、勝てる訳が無いじゃない!」
俺は両手を挙げて白旗を振った。上田は俺を一瞥すると、ターゲットはお前じゃないとばかりに山田に向き直って銃を構えた。
「ま、待って!殺すのは、やり過ぎでしょう?貴方の勝ちだわ」
俺のせいで、山田が目の前で殺される事は阻止しようと止めた。
「お姉さん、ありがとう。でも大丈夫。こんな奴から、お姉さんを取り戻す」
山田は撃って見ろよ!と上田を挑発し、両手を広げながら前進して間合いを詰めた。その瞬間、ガァーンと銃声が鳴り響いた。




