第42話 岳家軍一の暴れん坊
朝議の場に出ようとしたが城外が騒がしく、岳家軍の左軍統制・牛皐が押し寄せて来たとの事だった。
「牛皐!!」
その名を聞いて、やっぱり出て来たかと思った。牛皐より先に飛び出して来たのが楊再興だったので、内心驚いていたのだ。
「何だ?知っているのか?」
「え、えぇ。会った事は無いけど、名前だけは知っているわ」
牛皐は、三国志演義の張飛、水滸伝の李逵のイメージで描かれる事が多い岳家軍きっての暴れん坊である。張飛や李逵とイメージが被っている事から想像する通り、酒癖が悪く口が災いするトラブルメーカーだ。しかしその武勇は本物で、岳家軍が不敗を誇ったのは牛皐の強さによるところが大きい。
朝廷の命令で牛皐が岳家軍に合流すると、岳飛は大喜びで迎えて直ぐに唐鄧襄郢州安撫使に取り立てた後、改めて神武後軍中部頭領とした。
偽斉の李成が金国と共に襄陽六郡を破ったが、牛皐は三日分の兵糧を携えて随州を攻め、守将の王嵩を捕えて斬り、随州を取り戻した。この時、まだ兵糧は尽きていなかったと史書にあるので、城を陥とすのに3日かからなかったと言う事だろう。その後、岳飛の命令で襄陽を奪還したのも牛皐である。
「うちで1番の使い手は石宝よね?」
「俺たちを除けば、そうだな」
牛皐が相手だと、石宝も危ないだろう。しかも官軍には、牛皐よりも強い韓世忠がまだ控えているのだ。
「牛皐はかなり強いわ。恐らく、石宝よりも。しかも官軍には、この時代最強の韓世忠もいるのよ。だから、私が行くわ」
「待てよ!俺が行く」
俺が行くって、大宗師である上田が戦ったら、牛皐どころか官軍を皆殺しにしてしまうかも知れない。本当の敵は官軍などでは無く、金国なのだ。抗金の英雄である彼らを、こんなところで失う訳にはいかない。私なら、手加減して上手くやれるはずだ。
「ダメよ。私が行く。絶対に譲らないわよ」
上田が、(何を我儘を言ってるんだコイツ)みたいな表情をして、「俺も絶対に譲らない」と言い出したので、険悪な空気になった。
俺は上田と睨み合って、一歩も動けなかった。(先に動いた方がヤラレる)俺も上田も本能でそれを感じ取っていた。
「石宝元帥が一騎討ちに応じました!」
報せを受けて、お互いに「お前が邪魔をするからだ」と責任転嫁をした。俺はイライラが収まらず、ムッとして上田と口を利くこと無く城壁に向かい、一騎討ちの様子を伺った。
蜀漢は、軍太鼓を鳴らして石宝を鼓舞していた。岳家軍もこちらに負けじと銅鑼や鐘を打ち鳴らして牛皐を鼓舞し、耳をつんざく音が辺りに響き渡り他の音は何も聴こえ無くなっていた。
石宝は劈風刀を抜き牛皐の矛を凌いでいたが、何度も危ないシーンがありハラハラさせられた。石宝は梁山泊最大の敵とも呼べる相手だったのに、いつの間にかに石宝の安否を気にしている自分に気が付いた。
(優しくされたからって、チョロ過ぎるぞ俺)
梁山泊の為に、何としても石宝を除かなければならない。蜀漢が梁山泊や官軍と結んで金国と戦う選択をする事だけが、石宝らを殺さなくても良くなる道だ。
どうか、そうあって欲しいと願う。それぞれの陣営に思惑があって、個々の個人らが根っからの悪人と言う訳でも無い。それならば、梁山泊だって良民達から見れば悪の巣窟だ。
しかし今や梁山泊は、招安に応じて官軍となった。その梁山泊と敵対すると言う事は、官軍を敵に回すと言う事だ。当然、討伐対象となる。
梁山泊の敵を排除する為に蜀漢に来たのに、優しくされて、思っていたのと違ったとの思いから、もう石宝を殺す事なんて出来なかった。それだけでは無く認めたく無いが、石宝に対して恋心を抱く自分に気が付いた。
石宝は、牛皐が大振りをした隙を突いて逃げた。それを追って来た牛皐に、振り向きざまに流星鎚を繰り出した。
流星鎚は流星錘とも呼ばれ、錘とは重りの意味である通り、縄や鎖の先に重りが付いた武器である。この武器には錘が1つだけの単流星と、両端に錘が付いた双流星がある。石宝が用いているのは、双流星の方だ。
遠心力で加速した錘による打撃力は恐るべき高さであり、現代で実験用の柔らかいアルミニウム製の錘を使用しても、コンクリートブロックを粉砕したと言う記録もある。水滸伝に於いて鄭彪は、この武器で扈三娘の顔面を砕いて殺したのだ。
中国の読者は、美しい扈三娘の顔が砕かれて殺されると言う描写で、「おのれ鄭彪、赦すまじ!」と感情移入して怒りに震えるのだ。
石宝が繰り出した流星鎚を、牛皐は矛で絡め取って躱わし、有り得ないほどの怪力で鎖を引くとバランスを崩した石宝が落馬した。そこへ矛を振り降ろして、石宝を袈裟斬りにした。咄嗟に身を捩って躱わそうとした為に死にきれず、口から血の泡を吹いて地面に転がった。
「止めてー!」
トドメを刺そうと牛皐が矛を振り上げ、俺は城壁から飛び降りて石宝のもとに駆け付けた。
「お願い、もう止めて。勝負はついたわ」
石宝は虫の息で、目を見開いて何かを訴えていた。その口元に耳を近付けると、か細い声で「殺して…く…れ…」と聴き取れた。苦しんで死ぬよりも、一思いに楽にして欲しいと言うのである。
それを聞いた俺は、感情を抑えきれずに嗚咽して号泣した。自分でも思ってた以上に、石宝を愛していた様だ。悲しみで胸が張り裂けそうで、復讐で怒りに燃え、憎悪が込み上げて来た。
それと対象的に、まだ冷静な自分がいた。童貫の目の前で官軍の武将である牛皐を斬れば、言い訳のしょうも無く俺は官軍の敵となる。梁山泊も敵となると言う事だ。宋江や呉用は、相手が俺であっても手心を加えたりせずに、全力で殺しに来るはずだ。
梁山泊の敵に回りたく無い。仲良くなった者達が大勢いるからだ。その思いだけがギリギリで理性を保っていた。今の俺なら一振りで牛皐を真っ二つに出来る。
石宝の傷口から血が溢れ、辺りは文字通り血の海となっていた。石宝の頭を抱きかかえ、冷たくなっていく体温を感じながら、どうする事も出来ずにただ泣きじゃくっていた。
「完全回復」
声がした方向を向くと、そこには居ないはずの山田がいた。山田が呪文を唱えると、瞬時に石宝の傷は治った。石宝の傷が癒えたのを確認すると同時に俺の意識は遠退いて、石宝の上に倒れ込んで昏倒した。




