第4話 蔡京の追放
俺は徐寧と義兄弟の契りを結んだ。そうして腐敗した内政を立て直したい考えを徐寧に植え付けておき、近い将来に彼が梁山泊入りした時、俺が敵では無いと伝わってくれれば御の字である。
今の官軍には地方に散らばってはいるが、豪傑が揃っている。まだ宋江の義兄弟である小李広・花栄も官軍にいるし、霹靂火・秦明も大刀・関勝も双鞭・呼延灼も双槍将・董平や急先鋒・索超も官軍だ。
梁山泊が強大になったのは、戦力の集中化と官軍の猛者を引き入れた事によるものだ。方や官軍は戦力が分散され、個々の強さが上回った時もあるが、結局は各個撃破された形だ。
「花娘子!花娘子!」
大監が大声で、俺の名を呼んで探しているのが聞こえた。
「私はここです!どうされましたか?」
「どうもこうもありません。陛下がお呼びです!陛下のお側を許可なく離れてはなりませぬ」
俺は大監に諭されて、足早に徽宗皇帝の下に向かった。
「おお、花娘子!どこに行っておった?朕はお主がいなければ、食事も喉を通らぬ」
徽宗皇帝は完全に俺に籠絡されており、他の寵妃を顧みなくなり、俺を側から離さなくなった。この様な有様であるから当然、皇后を始めとする妃嬪達から恨まれ、陥れられたり命をねらわれたが、全て徽宗皇帝が守ってくれた。
莫大な給金も1銭も使っていない。食事は皇帝と摂り、着物を始めとして全て贈られる。お金を使う時が無いのだ。これも寵愛様々である。
「王倫が斬られ、晁蓋が梁山泊の首領になった!?」
俺は配下に、梁山泊の動きを見張らせている。
「そうか…」
ここから梁山泊は、飛躍的に伸びて行くだろう。
「すると、そろそろ宋江が燕順に酔い醒ましの肝スープを飲む為に、肝臓を取り出されて殺されそうになる頃か…。義弟の花栄とも合流するのは近いな」
水滸伝の世界に於いて、個人の武勇だけなら林冲が最強だろう。しかし百発百中の弓の腕を持ち、兵を率いて唯一無敗を誇ったのは、花栄唯1人である。だから、真の最強は花栄だとも言える。
「朕は其方を貴妃にしようと思うておる」
俺を抱いた後、抱き寄せながら言われた言葉だ。既に王貴妃が存在するが、貴妃の位は最大2名までなれる。
「嬉しいお言葉ですが、何卒お許し下さい」
「何故じゃ?貞操を失った其方をこのままにしておれば、名節に傷が付くであろう」
「ですが、皇上の妃嬪ともなれば、私は政治に介入出来なくなります」
「政治に介入?何故じゃ。宰相の蔡京も童貫も良くやっておるであろう?政治に興味があるのか?」
「…実は近年は農作物の不作による飢饉であります。私は皇上の寵愛を受け、莫大な給金を頂いておりますが、それに手を着ける事が御座いませぬ。願わくば、私財を投じて民に施しを受けさせとう御座います」
「何と!飢饉とな?民はそれほどまでに飢えておるのか?けしからん!報告を受けてはおらぬ」
徽宗皇帝は顔色を変えて怒った。だが実際この人には怒る資格なんて無い。政治は全て配下に丸投げし、自分は芸術を追求する事にしか興味が無かった人だ。これが国のトップである皇帝なのだから国が乱れるのも当然であり、遼や金の侵攻に悩まされるはずである。
俺はそれを少しでも改善出来ればと思っている。それに梁山泊がある程度強大になった時、なるべくスムーズに官僚に戻れる手助けをしたい。林冲や楊志は高俅を嫌って官僚に戻る事に抵抗したが、首領の宋江や副首領の盧俊義などは官僚に戻る事を望んだ。俺が宋国で名声を高めれば、話を聞いてくれやすくなるはずだ。
徽宗皇帝は、『御筆手詔』と呼ばれる詔を書いて各役所に直接命令を下しており、これにより宰相である蔡京らの政治的影響力が減退して行くのだ。
俺は七品でしか無いが、一品の宰相をも逮捕出来る権限を皇帝から与えられている。寵愛を受ける俺は、事あるごとに『御筆手詔』で皇帝の後押しを受けて守られた。
俺の主導で設営された施し所には大行列が出来、飢えた民が殺到した。皇城司の人員だけでは足りないと困っていると、禁軍や女官達が現れて施しの手伝いを行い始めた。
見上げると、様子を見に来た陛下と目が合い微笑んで頷いた。俺は、陛下の計らいに感謝して頭を下げた。満足そうにされていたが、その目に怒りの色が浮かんでいる事までは見えなかった。
蔡京は徽宗皇帝に、「陛下の恩寵によって天下泰平の世であり、民の生活は潤っている為に重税を課しても大丈夫」だと報告していた。だが実際には全て嘘であり、民はこれ程までに貧困で飢えていた事が明らかとなったのだ。
徽宗皇帝も花娘子が言った言葉を鵜呑みにした訳では無い。蔡京が報告していた様に民の生活が潤っていれば、施し所に集まって来たりはしない。しかし施し所は、押し合い混乱を招く程の騒ぎとなったのだ。どちらの言葉が本当であるかは一目瞭然である。
「宰相の蔡京が追放されたって!?」
俺のせいだろうと思い、恨みを買ってしまった事を恐れた。しかし大監から耳元で「これで3度目です。お気になさらずに」と囁かれた。実は蔡京も文人で芸術的センスが徽宗皇帝に近く気に入られており、何度も追放されたが直ぐに戻って来る事が多かった。
宮中では、俺が貴妃の位を授けられたが、断った話が広まっていた。貴妃は、正一品である。官職では最高位である三公が正一品であるから、断ったとは言え正七品である俺は他の官僚達からは正一品相当に扱われた。
「うん?」
偉そうにふんぞり返って歩く男がいた。間違いない。ようやく会えた、この男こそが高俅に違いない。
「高俅殿!」
「お前は…!?」
お付きの者が耳元で囁いて、俺が誰なのか説明したみたいだった。
「これは皇城副使殿。何かご用ですかな?」
「いえ、蹴鞠の腕は天下一だとか。是非、一度拝見させて頂きたいと思いまして、不躾でしたが呼び止めてしまいました。お許し下さい」
「…ははは。儂も忙しい身でな。遊んでいる暇が無いのだよ。では、失礼致す」
高俅は不機嫌そうに立ち去った。
「何なのだ、あの小娘は?この儂に気軽に話しかけた上に、蹴鞠で太尉になった男だと皮肉を込めたのか?生意気な!陛下のお気に入りだと思って調子に乗りおって」
お付きの者に吐き捨てる様に言い、その目には怒りの炎が宿った。
俺は高俅と別れた後、その足で童貫の元へと向かった。
「童貫様!童貫様ほどの者が、何故高俅の様な者を野放しにされるのですか?」
「高俅の奴がどうした?えらく鼻息が荒いな」
「童貫様は枢密院の長であり、禁軍を束ねられる長官です。その禁軍のうち、高俅のせいで王進殿と林冲殿ほどの豪傑2人が去りました。頭には来ないのですか?」
「あの2人は、逃げ出しただけであろう」
「童貫様ほどの方が、そんな報告を信じたのですか?王進殿は、かつて高俅がまだヤクザ者であった時に、王進殿の父上に叩きのめされた事があり、その恨みを子である王進殿で晴そうとしたので身の危険を感じ、止むを得ず逃亡されたのです。また林冲殿に至っては、美しい奥方が高俅の養子である高衙内に見初められて拐かされそうになり、それを守った林冲殿を恨み、陥れられて滄洲へ流罪となったのです。ですがそれだけでは飽き足らず、刺客を送って命を狙ったのです。刺客は返り討ちとなりましたが、林冲殿はそのまま逃亡致しました。これが真相です。どうか高俅を信じませぬ様に」
「何故その様な事を知っているのだ?」
童貫は俺の話を疑って、値踏みする様な目付きで一瞥された。
「はい、皇城司となった時に不審な点に気付いて調べさせていたのです」
「…なるほど、それで?それがもし本当だとして、儂が高俅と対立する事でどの様な利点があると言うのだ?」
「童貫様は禁軍を束ねられ、数多くの戦に自ら出征され手柄を立てられた方です。ですが高俅は太尉。軍事の長である太尉なのですよ?ですがあの者は軍事的才能は皆無であり、童貫様と比べるべくもありません。太尉となるべきは高俅では無く、童貫様です」
童貫は顎髭を摩りながら何やら考えていた。
「お前を陛下と引き合わせた恩を忘れていない様だな?今日の事は胸に留め置いておくとしよう」
童貫に下がらされた後は、俺は徽宗皇帝の元へと向かった。
「よし、まだ今はこれで良い。高俅…お前の鎧を1枚ずつ剥いでやろう」
俺が徽宗皇帝に、高俅の蹴鞠が見たいと言うと、直ぐに高俅を召して蹴鞠を披露させた。高俅は、徽宗皇帝に召された意味を理解して、俺をもの凄い目で睨んでいた。




