第24話 遼vs.梁山泊 第4戦目⑥
「右丞相、梁山泊からの文は何と?」
「お主の息子と、李逵を交換したいとの申し出だ」
兀顔光は、露骨に顰めっ面をして不快な表情を見せた。
「陛下、この後に及んで捕虜の交換など必要ございません!愚息は死を覚悟の上での出陣であり、戻っても軍法に照らして処罰するのみで御座います」
この言を聞いて、天祚帝は思わず溜息をついた。何と豪胆な男だろうかと。彼は父親であるよりも前に、全軍を束ねる総帥としての立場を優先しているのである。本心は1人の父親として、何としても息子を助けたいはずである。それが痛い程に理解出来た。
「息子を見殺しにすれば都統軍の名声に傷が付き、史書に悪名を残す事となろう」
「私の悪名は既に名高く、これ以上は地に堕ちる事など御座いませぬ」
兀顔光は遼国随一の大将として、下は民草(領民)から上は諸大臣らに至るまで尊敬される名将である。当然今日まで、醜聞など聞いた事などあるはずが無い。
彼の立場は妬まれ、常に陥れ様とする者達に囲まれている。それだけに、何事に対しても慎重に行動していた。
「好了好了(もう良いわ)、この話は終わりだ。梁山泊に伝えよ!捕虜交換に応じるとな」
兀顔光は反論したげであったが、天祚帝は玉座から立ち上がると少し不機嫌そうな顔をして退朝してしまった。
「陛下の聖恩に感謝致します!」
兀顔光は退朝する天祚帝の背に拝謁しながら、大声量で感謝の意を唱えた。大監に腕を添えられた天祚帝は、少し機嫌を直して微笑んだ。
「李逵が捕まったって!?」
俺は敗戦の報告を少し後から知り、忠義堂に駆け込んだ。
「李逵、李逵は?」
「花娘子!?」
宋首領と呉軍師は俺を一瞥したが、彼らからの説明は無かった。俺はまだ信頼されるには当たらず、あくまでも楊志の義兄弟である客分の立場に過ぎず、ここにいる事だけは認められており、立場を弁えろと言う無言の圧力を感じた。
義弟の楊志が声を掛けてくれて、さらに林冲や魯智深、それから史進と武松を伴って席で酒を酌み交わしながら話を聞いた。
「まあ落ち着け。俺たち義兄弟も李逵の捕虜には心配もしているし、動揺もしている。」
「ああ、だからな。直ぐに捕虜交換の使者を送っているのだ」
「こちらから出すのは誰なの?」
「先の戦で捕虜にした敵の総帥の息子だ」
「なるほど…」
総帥の息子ともなれば、その価値は絶大だ。それならばこの捕虜交換も成功するかも知れない。
「直ぐにでも敗戦の復讐をしたい所だが、先ずは何よりも李逵の奴が無事に戻って来るのが優先だ」
「違いねぇ。居たら居たで問題しか起こさねえ奴だが、あれでも心根は素直で気持ちの良い奴だ。居なくなったら静か過ぎていけねぇ」
「はっはぁ、全くだ。この儂との腕相撲の勝負も、まだ着いておらんからのぉ」
酒を飲み、笑い飛ばして不安を消そうとし、問題児の李逵は煙たがられているかと思いきや、何だかんだ皆に愛されている事が分かって「ほっ」とした。
(「ほっ」としたって!?)
自分でも何故「ほっ」としたのか分からない。李逵に無理矢理犯され、セフレにされて肌を合わして情でも湧いたのだろうか?不思議な感情だ。まだ自分には前世の男として生きた記憶と感情が残っている。正常の俺が李逵に愛情を感じるはずも無く、この感情の出どころに戸惑った。
「もしも捕虜交換に失敗したら、今度は私が出るよ」
林冲は俺を見て、冷や汗を掻いた。魯智深も林冲と目配せをしながら、理解しているが敢えて話題を逸らした。
「花娘子、あんたが強いのは理解しているつもりだ。だがな、この梁山泊ではあんたはまだ客人だ。好き勝手にしちゃあ、ならねぇ」
武松は徳利ごと片手で持ち、酒を喉に流し込みながら言った。恐れもせずに言って退けた武松に対して、林冲が「よせ!」と言う仕草をしたのが面白くなかったのか「けっ!」と言って席を立って行った。
「ごめんなさい、武松の言う事は正しいわ。私は客人に過ぎない。でも李逵の事が心配なのよ」
「分かってる。心配してくれて有難うよ。それにあんたが梁山泊の誰よりも強いって事も分かってる」
史進は酒杯を飲み干して言った。林冲と魯智深も目を合わせ、同意して頷いた。
「嫂嫂(義姉)、以前に会った時とは比べ物にならない程の武功と内功を感じる。正直、こうして対面するのも震えが来る程だ。何があった?」
俺は声に誘われて水窟に入り、ミイラから得体の知れない気に充てられたと説明した。
「おお、何と言う事だ!」
魯智深が俺に対して跪いた。
「よしてくれ兄弟!」
俺は直ぐに魯智深の腕を取って立たせた。
「一体どう言う事なんだ?」
史進が尋ね、林冲は魯智深が口を開くのを待った。
「…間違い無い。それは恐らく大宗師様だ。東の大宗師様のお姿を拝見した者は、数百年以上も前に及ぶ。よもや即身仏となりて後継者を待ち続けるとは、見事な執念なり」
「東の大宗師だって!?」
「即身仏とは?」
魯智深の口から出た情報量の多さに皆の頭がついて来れず、次々と矢継ぎ早に質問責めにした。
「まあ、待て。まだ時間と酒はある。夜通し語り明かして、旧交を温めるのも良い」
魯智深は元々は官吏に就いており、剛勇無双だが粗野な李逵や武松とは違って弱者に対しても義侠心が厚く、出家するまで文盲でありながら努力によって教養を備えるまでになった好漢である。
大宗師に対して、一種の憧れでもあったのだろうか?魯智深の口から熱く語られ、それに聴き入った他の義兄弟達にいつの間にかに囲まれていた。
「実際、どう思う?」
楊志が林冲に尋ねた。
「俺でも10秒、保つかどうかだろうな」
林冲の返答に満足して、口の端を歪ませて微笑んでいる様に見えた。楊志は寡黙で言葉数が多くは無いが、その表情から感情が読み取れる。一見するとこの無愛想な男と林冲には接点は無く、とても気が合いそうも無い様に見える。
しかし林冲自身も余り口数が多い方では無いし、自分とは高俅に陥れられただけで無く共通した点も意外に多く、何故だか馬が合う。何よりもお互いが、良い意味での好敵手であると認めているからであろう。
元八十万禁軍教頭(師範)で最強と目されていた林冲と楊志は、かつて梁山泊への入山を巡り一騎討ちをして勝負が付かなかった。
楊志は楊業の子孫であり、楊業は北漢で遼の南下を防ぎ、北漢が宋に降伏した後は宋国で左領軍大将軍となって遼国の南下を食い止めた。
楊業の一族は「父子は皆名将、その智勇は無敵と号す」として広く民間で人気が高く、やがて戯曲や舞台となり「水滸伝」と同じく明代に「楊家将演義」や「楊家将伝」と言った小説となった事でもその名を知られる。
その楊業の子孫だから楊志が強いのは当然だと中国の読者は思い、読み進める。本来であれば、これ程までに有名な先祖の名は広告となるのである。「あの楊業殿のご子孫でしたか!?」と、その名を聞いただけでその武名にあやかりたい者や投資家達が寄って来たはずである。
しかし楊志は、決して優遇されて来た人生では無い。これこそが口下手で寡黙であり、要領も悪く自分の宣伝が上手な人物では無かったと言う事を物語っている。
「お主が李逵か?随分と手こずらせてくれたみたいだな。もう1人、お主の横にいた青鬼も捕らえたかったのだがな」
息子との捕虜交換の相手である李逵に興味が湧いた兀顔光は、檻に入れられた猛獣の様な男に会いに来ていた。李逵は、鮑旭らが無事に逃げられた事に安堵してニヤニヤしていた。
「何をニヤけておるのだ?」
この李逵と言う男の捕虜となっても臆するどころか、平然としている豪胆さに好感を持った。この男の相棒を青鬼と称するならば、この李逵の肌は赤黒くさながら赤鬼の様であった。
その風貌は鬼人の様で恐ろしく見えるが、よく見れば目がクリッとしており可愛らしく、真っ直ぐ此方を逸らさずに見て来る目には、純粋さすら感じられた。まるで子供が、そのまま大人になったみたいだ。
「オイラとあんたの息子を交換するって聞いたもんでよ。宋兄貴の気持ちが嬉しくてよ。お前らに捕まっちまったのはオイラの責任だぁ。だから宋兄貴の為なら、殺されたって恨むもんじゃねぇ。」
純心な瞳だ。本気でそう思っているのだろう。及時雨と言う名は、中華から遠く離れた遼国にでさえ聞き及んでいた。困っている民に私財を投げ打って救い、国の本来在るべき姿は、民の生活と平穏を第一に考えると言う姿勢には同意が得られる。
この赤鬼が心酔する宋江と言う人物には会った事は無いが、もしも遼国への招安が叶っていたなら、きっと良き相談相手となり得たであろう。
「惜しいな…」
場合によっては、ここで李逵を殺して捕虜交換に反対するつもりで来たのだが、殺すには惜しい相手だと思い直した。
「もしもこの先も戦うなら、正々堂々と叩き潰してくれよう」
「けっ!オイラ達は無敵だ。今回は少し調子が悪かっただけだ。次は敗けねぇ」
「ふふふ、我が軍はこの先も敗ける事は無い。宋国を滅ぼすまではな」
兀顔光は李逵の純粋さに照らされて、牢に入って来た時とは違って清清しい表情をして退室していった。外に出ると右丞相が駆け寄って来た。
「あんな者など捕虜交換などせずに処刑してしまえ!」
褚堅の言葉で急速に気持ちが冷めてカッとなり、右手で襟首を掴むと、そのまま後ろへ放り投げて去った。
「陛下の勅令は既に降っておる」
兀顔光は吐き捨てる様に告げて、褚堅に一瞥すらせずに立ち去った。背中をしこたま打ち付けた褚堅は立ち去る都統軍へ何やら叫んでいたが、相手にされなかった。
「まるで寄生虫の様な男だ」
何処の国にも、あの様な腐った輩がいる。国を腐敗させていくのも、あの様な自己利益しか見えていない官僚達が、の差張っているからだ。色々と思う所はあるのだが、今は戦に集中するべきだと気を引き締め直した。




