第22話 遼vs.梁山泊 第4戦目④
遼軍はズシーン、ズシーンと地響きを立てながら行進し迫って来た。20万もの大軍相手に、梁山泊は全兵力を持ってしても8万程度。守備兵を残して九宮八卦陣を敷いたのは、遼軍の4分の1にあたる5万ほどである。その兵力差は実に4倍であった。
孫子の兵法に於いては、「兵数が10倍であれば敵軍を包囲し、5倍であれば敵軍を武力で撃ち、2倍であれば敵軍を分散させ、同等であればせめぎ合うことが出来、兵数が僅かであれば回避し、兵数が及ばなければ敵軍を躱わして遠ざかる」とある。
「兵数が僅かであれば回避し」と「兵数が及ばなければ敵軍を躱わして遠ざかる」とは、どちらも兵力が劣っている場合なので何の違いがあるのか理解出来ない人もいるかも知れない。敢えて説明するなら、前者は少し劣っている場合で、後者は大きく劣っている場合と考えて頂くと分かりやすい。「躱わして遠ざかる」とは素直に言えば、「逃げろ!」と言っているのである。
つまり孫子の兵法に則るならば、兵力差があり過ぎる遼軍とは戦わずに逃げ、謀略によって戦力を削る策を模索するべきである。
呉用には及ばないが、朱武も多くの兵法書や布陣に関する書物を読み漁り、研鑽を積んで来たと自負している。大軍相手に奇策を用いず正面から対峙しようなどとは、自殺願望も甚だしい。
しかし聖旨(皇帝による勅令書)に従わねば、謀叛と見做されて処罰される。梁山泊は「替天行道」と「忠義双全」の旗印を掲げており、国に忠節を誓っている為にこれに背く事が出来ない。高俅や蔡京らが、敵(遼国)の手で我々(梁山泊)を始末しようとの魂胆が見え見えで、吐き気すら覚えた。
「借刀殺人の計があからさま過ぎる…」
遼国との開戦前に朱武は、吐き捨てる様に宋首領に言った。
「官軍も捨てたものではない」
宋江から返って来た言葉だ。恐らく、韓世忠や岳飛らを指して言ったのだろう。確かに彼らは知勇兼備の将であり、是非とも我が梁山泊に欲しい逸材達ではあったが官位は低く、高俅や蔡京ら宮廷を牛耳る悪徳官僚達には対抗すべくも無い。この2人の悪徳官僚に比べれば、童貫はまだ少しマシである。
(恐らく官軍の援軍に期待しているのだろう)
しかし、宋国最後の良心と呼ばれる宿元景であっても、芸術にしか興味が無い徽宗皇帝を動かすのは容易では無い。だからこそ高俅や蔡京などと言った輩が、宮廷内で幅を利かす事が出来ているのである。
政治は宰相である蔡京に丸投げし、自分は画を描いたり書を記し、造園や音楽にまで才能をみせた。ただし徽宗皇帝の場合は趣味程度のレベルなどでは無く、特に「画」と「書」に関しては、中華史上でも指折りに数えられるほどの芸術家であり、芸術の天才であった。
朱武は援軍も期待出来無い中で、考え得る最善の策と指揮をもって遼軍に当たるしか無い。一手でも誤れば即詰みとなる現状に、軍師である朱武はどれ程の圧力を感じていた事だろう。
「軍師。朱武、朱武どうした?しっかりしろ!」
宋首領の声で、朱武は我に返った。朱武は遼軍の陣を睨み、まるで金縛りにでもあったかの様に微動だにせず、握り締めた拳をブルブルと震わせていた。
遼軍は東西南北に陣を分け、軍装までもが色分けされて統一されていた。北は黒で南は赤、東は青で西は白であった。その東西南北の4つの陣に、二十八宿将のうちそれぞれ七宿将が配置されていた。更にその前方には日月の陣が左右に置かれており、東西南北の陣の間にも4つの陣があり、その中央には兀顔光が率いる黄色の軍装をした軍が、天祚帝の龍車を護っていた。
「ご主人様!ご主人…げほっ、ごほっ、ごほっ…」
燕青が息を切らせて、盧俊義の下へ駆け込んで来た。近くにいた兵士の水筒を引ったくり、中の水を飲み干して落ち着いた。
「どうした燕青?お前らしくも無い」
「はぁ、はぁ、はぁ…。それが…、褚堅、褚堅の奴が…」
褚堅が生きていたと燕青から聞かされた。番頭だった李固は盧俊義の妻と不倫関係にあり、バレそうになった所を呉用の謀略に乗って、主である盧俊義を暗殺しようと企んだ。
褚堅は銭の勘定を任せていた男だが、李固と盧俊義の妻が密通しているのを手引した共犯者でもあり、彼らの不義密通がバレて盧俊義と燕青に殺された後、褚堅は姿を消した。忽然と姿が消えた為に、屋敷の誰かによって殺されたものだと思い込んでいた。後から分かった事だが、褚堅は横領で私服を肥やして大金を得ており、そうやって得た金で同僚に高利貸しを行って恨みを買っていた。
「そうか…褚堅…生きておったか…」
盧俊義の目に、憎悪の炎が灯った。褚堅は天祚帝の横に座しており、今では遼国の右丞相だと言う。横領した金を賄賂にして遼国で金をばら撒き、金で地位を買ったと聞く。
自分を裏切ったばかりか、国をも裏切った褚堅を許す事など絶対に出来ない。そればかりか、横領して得た大金の元は自分の金なのだ。目を掛けてやった恩を仇で返され、顔に泥を塗られた。褚堅だけは、必ずこの手で殺す。盧俊義は心の中で誓った。
(許せん!必ず八つ裂きにしてくれる)
燕青も怒りに燃えた。
「今日は、金の日だな」
兀顔光は、五行に倣って縁起を担いだ。金は西方を表す為に、西陣に座す烏利可安に攻撃命令を下した。遼の陣営は一気に慌ただしくなり、西陣を開いて 烏利可安は二十八宿のうち、配下である亢金竜・張起、牛金牛・薛雄、婁金狗・阿里義、鬼金羊・王景の4将と共に打って出た。
呆然としていた朱武は指示が遅れ、そこを遼軍に付け込まれて、梁山泊軍は後手に回り被害を受けた。朱武は直ぐに気を取り戻して花栄、呼延灼、林冲、秦明、徐寧を前方の日月の陣に攻めさせて耶律得重と答里孛を抑えさせた。
そこへ盧俊義が、李逵や樊瑞らを率いて正面突破を図り、天祚帝と兀顔光のいる中央の陣を目指した。
兀顔光は、寡兵である梁山泊軍が正面から突撃して来た事に驚いたが、それならば殲滅してくれると旗を振って指揮を取った。
「うおぉぉ、死にたい奴から前に出ろぉ!」
盧俊義が率いる騎馬隊の後から、大闊板刀を振り回しながら鮑旭が吼え、李逵は二丁斧を振り回して重機関車の如く突進し、当たるを幸に斬り倒した。
遼兵の頭が兜ごと叩き割られ、胴体を輪斬りにされて宙を舞った。李逵の風貌は悪鬼の如くあり、遼兵は恐怖して本来の実力を発揮する事なく死んでいった。
李逵の強さもさることながら、そのやや前方に位置して斬りかかって来る、この世の全ての極悪人顔(凶相)した悍ましい男が更に遼兵の恐怖を煽った。
(地獄の鬼とは、こんな顔をしているに違いない)
中華を始めとする近隣諸国も来世や輪廻転生を信じ、目には見えないが神や仏の力を信じていた。遼国も同様である。鬼にしか見えない彼らが、数で勝る遼軍に恐れもせず正面から突撃して来たのである。梁山泊は、悪鬼を使役していると恐れた。
兀顔光はこの様子を見て、李逵が率いる歩兵隊へ攻撃を集中させた。
(遼兵を脅かす、あの男は生かしてはおけない)
兀顔光が李逵ら歩兵隊に気を取られている隙を突いて、盧俊義は中央突破を図った。肉眼で、褚堅の姿を視認出来る距離にまで迫ったのだ。
「ぬうんっ!」
盧俊義は行く手を阻む遼兵に、「邪魔をするな!」と叫んだ。褚堅、あの男だけは、彼奴だけは必ず殺す。寡兵である彼の騎馬隊に、遼兵はまるで蟻の大群の様に群がって来る。しかし戦場に於いては、怒りや憎しみ、恨みや悲しみは力となる。
激しい憎悪は、盧俊義に驚異的な膂力を与えた。しかしそれと同時に、冷静な判断力をも失わせた。盧俊義の騎馬隊は退路を絶たれ、包囲網が完成しつつあった。このままでは、殲滅されるのも時間の問題だった。
「危ない!」
李袞が叫び、遼兵に飛刀を投げ付けて倒した。
「このままでは全滅します。悔しいですが、ここは一旦退きましょう」
樊瑞が盧俊義を諭した。あと一歩の所であった。あとほんの少しで裏切り者へ、この矛が届く所であった。盧俊義は歯軋りして、褚堅を睨みつけた。褚堅と目が合い、怯えた表情を見せた。
(今はまだ、その首を預けておく。必ず取りに戻るから、首を洗って待っていろ!)
憎悪に燃えた目で、褚堅にそう語った。包囲網は既に完成され、突破するのも難しい状況となったが、樊瑞が幻術で炎の壁で道を作りそこを抜けた。遼兵は燃え盛る炎の壁に遮られ、近付く事が出来なかった。
「兄貴!」
李袞が叫んだ。その目には、李逵が捕えられる姿が映っていた。直ぐに助けに行こうとする所を項充に止められた。止めた相手が項充でなければ、殴り倒してでも李逵を助けに行くところであった。
「駄目だ!お前まで捕まっちまうぞ!」
「くそっ、くそおぉぉ!!」
寡兵である梁山泊軍は、一騎当千の猛者を多数抱えていたが、衆で勝る遼軍に敵し得なかった。梁山泊の陣営から、退却の鐘が鳴らされた。
梁山泊は初めて惨敗を喫した。108人の頭領たちに、1人も死者が出ていない事が奇跡的であった。ただ、李逵が敵の手に落ちた。
「こうなってしまっては、あの者を生かしておいて正解でした」
呉用がそう言うと、宋江は頷いた。あの者とは、敵の大将である兀顔光の息子である兀顔延寿の事である。
梁山泊は遼国へ、捕虜の交換を打診した。




