第2話 スキル・『二天一流』
俺は華州華陰県史家村を出て、首都である東京開封府を目指して歩いていた。老翁は、ほとんど他人であるはずの俺に男物の着物をくれ、更には旅の路銀や水筒なども用意して渡してくれた。本当に感謝でしか無い。
「ふう、サッパリした」
周囲に人の気配が無い事を確認して水浴びをし、水筒に水を汲んでゴクゴクと飲んだ。俺は普段から人よりも、水分摂取が多い方だと思っている。だから、なるべく川の近くを歩く様にしていた。
“半径100m以内に、何者かによって囲まれています!”
「山賊って言うか匪賊か。この時代は多いんだっけな」
匪賊達のほとんどは、元々は天下の良民だ。しかし腐敗した政治は、官僚やさらに末端の役人達をも腐らせた。横領や賄賂は当然の如く横行し、大した罪でも無いのに役人に賄賂を渡せなくて死罪になった者もいた。
どうしようも無い状況となれば、死にたく無い者は逃げるしか無い。匪賊は、同じ様な状況で逃げて来た者達を受け入れて、その勢力を拡大して行った。
元々は天下の良民だった彼らも、食わねば死ぬしか無い。だから生きる為に、自分達よりも更に弱い者達から奪った。金を奪い、女は犯した。
匪賊達にも言い訳はあるだろう。これも皆んな政治が悪いせいだと。だからと言って悪事を働いて良い理由にはならない。
「女?いや、男か?まぁ、どっちでも良い。それだけ顔が良ければ楽しめるってもんだ」
「身ぐるみ剥いじまえ!」
怒号と同時に打ち掛かって来た。俺を犯すと言っているので、殺すつもりまでは無く手加減していた。
「あははは。殺しに来たなら返り討ちにする所だが、命だけは助けてやろう」
『天眼』のスキルのおかげで、匪賊の全ての攻撃軌道予測が出来た。『柳生新陰流』が使えないのが残念だったが、新撰組が使っていた『天然理心流』を会得しているのは大きい。
打ち掛かって来た者の剣を跳ね上げて背を打ち、突いて来た者の剣を受け流して胴を打った。今度は6人同時に向かって来たので、走り高跳びの背面跳びで躱わし、唖然とする匪賊3人に突撃して背や腰や脚を打つと、地面に転がって苦しんだ。
「どう?もう止める?」
「クソが!兄貴を呼んで来い!」
しばらくすると、彼らが兄貴と呼んだ男が現れた。その男の顔半分には痣があった。
「青面獣・楊志だ!」
思わず心の声が溢れた。史進の次に会うのが林冲では無く、魯智深でも無く楊志だったのは意外だったが、有り得ない事でも無かった。恐らく今は放浪の途中だろう。
青面獣・楊志は水滸伝に出て来る武将の中では、最も不遇でかつ運が無く最大の転落人生を送る1人だ。彼は宋建国初期の功臣である楊業の子孫で代々武官の家柄に生まれ、若くして武挙に合格し殿司制使(近衛隊長)の地位に登った。
その後、花石綱運搬の監督を9人の制使の1人として命ぜられた際に、嵐に巻き込まれて船が沈没し任務は失敗した。彼は責任追及を恐れて、官職を捨てて逃亡した。
ほどなくして大赦が出たことを知ると、復職を望んで東京開封府へ向かう。その途中で梁山泊にいた八十万禁軍教頭・林沖に襲われた。(林冲は梁山泊入山条件として3日以内に首1つ取って来いと言われ、村人は見逃して最終日に武芸者(楊志)が現れたので襲いかかったのだ)
2人の一騎討ちは互角で、勝負がつかなかった。これを見た梁山泊の首領・王倫は、自分の地位安泰のため林冲の当て馬にしようと入山を勧めたが楊志は断った。
それから楊志は東京開封府に到着すると賄賂を使って方々にとりなしを頼み、後は太尉・高俅の認可を得るだけという状況まで漕ぎ着けたが、「罪を認めず逃亡し、大赦に甘えて復官しようなどと虫が良すぎる」と、高俅に一蹴されて復官出来なかった。
所持金を使い果たした楊志は、止む無く家宝の宝刀を売りに出している所に絡んできたゴロツキの牛ニを斬殺。しかしすぐに自首したのと相手が鼻つまみ者だったた
め、宝刀を没収され北京へ流罪という軽い罰で済んだ。
流刑先の北京留守司・梁世傑は楊志を気に入り軍人として取り立てようとするが、他の武官たちが納得しない事を考慮して御前試合を催す。試合で周謹を破り、更に周謹の師匠である索超と引き分けた楊志は、提轄使(民兵長)に取り立てられて武官に返り咲きした。
それから数ヶ月後、梁世傑の舅である蔡京の誕生祝(という体裁をとった賄賂)で、10万貫の価値がある生辰綱の運搬監督を命ぜられる。
しかし賄賂を贈る情報を得て、阻止しようと晁蓋らが生辰綱を狙っていた。それでも楊志は盗賊対策に十分な配慮をしていたが、指揮下にあるはずの使者や運び手達の反発に遭い、その隙を晁蓋ら盗賊団に突かれ痺れ酒を盛られた挙句、宝物も全て奪われてしまう。帰るに帰れなくなり、楊志は再び逃亡する。
目的も無く旅をしていたが偶然、林沖の弟子だった酒屋・曹正や林冲の義兄弟の魯智深と出会い意気投合、3人で青州二竜山にこもる山賊を退治し、ここで山賊稼業を始める。さらに武松、施恩、張青、孫二娘を加えた二竜山は梁山泊に次ぐ勢力を誇るようになるのだ。
ここで水滸伝を知っている者なら、楊志がどれほど強いのか判るだろう。水滸伝の作品に於いて最強なのは、豹子頭・林冲である。何故なら林冲のモデルは、三国志演義の張飛だからだ。後に関羽の子孫である関勝も登場する為、どちらが強いか度々議論されたが、三国志演義に於いて関羽は自分よりも義弟の張飛の方が強いと言っている。従って関羽よりも張飛の方が強く、つまり関勝よりも林冲の方が強いと言う事になる。
楊志は、林冲、魯智深、索超、呼延灼など後の梁山泊トップクラスの豪傑達とも互角に渡り合った猛者だ。新撰組の組長でも、楊志を斬るのは厳しいかも知れない。
俺が楊志の名を口に出すと、ジロリと睨んで来た。彼は朝廷から追われる身だ。俺を追手だと思ったのかも知れない。楊志が剣を構えると、凄まじい闘気と言うか剣気を感じた。
“正面より攻撃が来ます!”
「杀!(死ね!)」
「すあっ!」
ガギーン!
初太刀は火花を散らして弾き返したが、息も付かずに連続で斬り返して来た。それを逸らして胴を払ったが、受け流された。
「うらあぁぁ!」
「杀!」
鈍い鉄がぶつかり合う音が辺りに響いた。体勢を整えて再び剣がぶつかり、弾くと同時に薙ぎ払った。楊志に受け流されて、カウンターを受けたがギリギリで躱わした。
強烈な斬撃を受けては流し、弾いては斬ったが、互いに擦り傷さえ受ける事は無かった。
「はぁ、はぁ、はぁ…強い…」
斬り結びながら今さら気が付いた。彼とは体力が違う。こちらは女性の身体で転生しているのだ。100%のパフォーマンスを、いつまでも維持など出来ない。
「スキル『二天一流』…」
腰に下げていたもう1本の刀を抜いて構えた。楊志は咄嗟に飛び退いて、距離を取った。匪賊達はハッタリだと馬鹿にしていたが、楊志は慎重に間合いを取った。
スキル『二天一流』を開放して理解した。全身に日本が誇る剣豪・宮本武蔵の強さが流れ込んで来るみたいだった。
楊志は間合いの外から、一気呵成して飛び込んで斬りかかって来た。俺はその突きを受け流すと同時に右手の剣で胴を打ち、無防備となった背中を左手の剣で打った。
地面に楊志が倒れて転がると、匪賊達は蜘蛛の子を散らしたみたいに逃げて行った。
「薄情な奴らだな」
俺は気を失わせた楊志を介抱した。女の身体では、大の男を担いで近くの客桟まで行くなど無理だったからだ。と言って楊志を放置して、死なれても困る。
「うっ…」
膝枕をして楊志の口に水を流し込むと、意識を取り戻した。
「何故、助けた?」
「俺はあなたの不遇を知っており、同情するからだ」
「同情など!」
プライドの高い楊志は、憤って俺の介抱を拒んだ。
「言い方を間違えました、謝ります。すみません。もしや大赦をあてにして、東京開封府に行く途中では?」
「その通りだ。何故それを?」
「ここから都に行く途中は、梁山泊の近くを通らないといけません。首領の王倫は狭量で小物ですが、1人だけ梁山泊に身を寄せる武芸者がおります。その者と戦えば、きっと未来の貴方は不遇から逃れる事が出来るでしょう」
「…預言者なのか?」
「まあ、そんな所です」
俺は笑って楊志と別れ様としたが、少し先にある客桟で酒を酌み交わしたいと言われ、特に断る理由もない為に了承した。
「大哥(義兄)」
俺は楊志と意気投合し、頼み込まれて義兄弟の契りを結んだ。俺が義兄で楊志が義弟だ。見た目の年齢は俺の方が歳下なのに、義兄を譲る楊志の心の広さだ。まぁ実際、俺は37歳だったし今は女なので義兄では無く義姉だな。そう思い笑みが溢れた。
酒を飲んで酔っ払い、目が覚めると楊志に別れを告げて旅立った。俺は何気無く2本目の刀が気になり、銘を見てみた。
「備州長船秀光だ…」
最上大業物の中でも、1番の切れ味と名高い名刀中の名刀だ。流石に手が震えた。国宝が2本とも俺の腰に差してあるのだ。震えもするだろう。
それに、義兄弟が出来た。これで水滸伝の世界らしくなり、面白くなって来た。そう思いながら、次に会う豪傑を楽しみにした。