第16話 遼vs.梁山泊 第3戦目①
賀重宝は弟の賀拆、賀雲にそれぞれ1万の兵を率いさせて、覇州と薊州を攻めさせた。
報告を受けた梁山泊は、宋江軍と盧俊義軍にそれぞれ分かれて迎撃した。遼軍は少し戦っただけで、あっさりと兵を退いた。遼軍は、覇州と薊州の中間辺りで陣を敷いたので、梁山泊も対面する様に陣を敷いた。
「あっさりと撤退した理由は、我が軍を罠に誘っている為でしょう」
呉用が発言し、朱武も同意した。しかし盧俊義だけが、反対した。
「罠だと言うのは誰の目にも明らかだ。そう思わせて時間を稼ぐつもりか、更なる援軍と合流する可能性がある。ここはお構い無しに追撃して叩くべきだ」
盧俊義は、軍師が言う事がいつも正しいとは限らないだろう?と挑発的な態度を取った。盧俊義がこの様な態度取った訳は、この所は首領である宋江と副首領である盧俊義の反りが合わない為である。軍師達は宋江派なので、盧俊義としては面白く無い相手なのだ。
宋江は渋い表情をして何やら思案していたが、副首領の顔を立てて言った。
「軍師の言う可能性はもっともで、我が軍を誘っていると見える。しかし覇州が陥ちた事によって、敵にも焦りがある様に思う。ここは1つ、よく考えて攻めた方が良い」
呉用と朱武は、仕方なく妥協案を提案した。
一つ、遼軍を追撃するが深追いはしない事
二つ、罠の気配を察したら直ぐに退く事
盧俊義は燕青を呼んで、出陣の準備をさせた。この燕青は盧俊義にとって、「過ぎたるもの」であった。
徳川家康にとって「過ぎたるものが二つあり」、それは「唐の頭(唐原産の兜)」に「本田平八(忠勝)」なり。石田三成にとって「過ぎたるものが二つあり」、それは「佐和山城」に「島左近」なり。
と言う言葉がある。「過ぎたるもの」とは、お前には「もったいない」と言う意味である。
浪子・燕青の渾名である「浪子」は「伊達男」を意味し、彼は眉目秀麗の細マッチョであり、弩は百発百中の技量を持ち、相撲は横綱級の強さで無敗を誇った。あの梁山泊一の暴れん坊である李逵も燕青には大人しく従う。1度、手も足も出ずに負けたからだ。
更には、琴や舞などの芸事から各地域の方言まで使いこなす芸達者でもあり、梁山泊が朝廷に招安した時、徽宗皇帝の愛人である李師師が口利きした為に実現したが、その李師師が一目惚れして燕青の言いなりとなったからこそだ。梁山泊108人の頭領達の中では、最も文武両道の才能が高いのが彼である。
燕青が盧俊義に絶対の忠誠を誓うのは、孤児であった時に拾われて育てられただけで無く、武芸や学問に芸事などを学ばせてもらった恩を強く感じている為だ。
宋江は副首領と軍師の顔色を伺い、妥協案を採用した。しかし、納得のいかない呉用から嗜められた。
「宋江殿もこれが罠であると見抜いたはず、副首領を立てるのも良いですが貴方は首領なのです。毅然として却下するべきでした」
間違っている事は間違っている、自分が正しいと思ったら後には退かない辺りが、呉用の血液型はA型なのだろうと推測される。逆に大雑把で細かく考えず、大らかで優しい宋江はO型なのだろうと推測される。また、短気で気分屋かつ閃きで行動する李逵は、そのまんまB型の特徴が反映されているので面白い。
宋江も盧俊義が、功を焦っている様に思えた。この幽州の戦いは、覇州を陥落させたのが原因だ。盧俊義は宋江の偽りの投降を見抜けず、本気で攻め寄せたのだ。全て計略であったのを知らされたのは、魯智深と一騎討ちをした時だ。それを耳打ちされてからは小芝居を続け、魯智深が城内に逃げ込んだと見せ掛けて落城を待った。
だがこれを、盧俊義は自分のせいだと思い込み、計略を知らされずに策に利用された為に腹を立てた。呉用は軍師らしく非情であり、戦略と謀略を受け持つので中にはロクでも無い策を実行した事もしばしばある。
水滸伝の物語で最も日本人が嫌悪する話は間違い無く、朱仝を仲間にする件だろう。秦明を仲間にする時もこれに次ぐ吐き気を催す策だが、あの時は呉用はおらず、宋江が立てた策である。
朱仝は同僚である雷横を逃した為に、滄洲へ流刑となった。だが流刑地の滄洲知事に気に入られた朱仝は、役所で勤務がてら知事の幼い子供に気に入られたので子守りをする事になった。
梁山泊は朱仝を入山させたいと思い、同僚だった雷横に説得させるが、知事に恩を感じて忠義を貫ぬく朱仝に断られた。その為に軍師・呉用は、まだ幼い子供を李逵に殺させて、その罪を朱仝に擦り付けた。進退極まった朱仝は、止むを得ずに梁山泊入りする。
朱仝を仲間にする為だけに、幼い子供を殺すと言う策を企てたのだ。それも斧で頭をカチ割り、遺体は畑に投げ込むと言う非道さである。朱仝も入山後に李逵の仕業と知り、激怒して斬りかかった所を他の頭領達に止められると言うエピソードがある。この取りなし後も、朱仝は李逵と何度も揉めるのだが、このエピソードがなければ作者の倫理観を疑う所だ。何せ水滸伝は、架空歴史小説なのだから。
尚、妖術使いも登場するあたり、ファンタジー小説の括りでも良さそうだと思うのは筆者だけだろうか?
宋江と盧俊義が軍を進めると、果たして前方に遼軍が見えた。宋江は背中に、軍師からの突き刺さる様な視線を感じた。
黒い旗には『大遼帝国副統軍 賀重宝』の文字があった。黒い鴉(実際には鵞鳥)の羽根で作った戦袍を羽織った、顔色の悪い薄気味悪い男が黒馬に乗って向かって来た。その手には、三尖両刃刀が握ぎられていた。
「すわっ!」
命令を出すよりも早く、関勝が赤兎馬を駆けてその男に向かった。
ガイィィィ~ン
重く鈍い金属音が響いた。関勝は青龍偃月刀で真っ二つにするはずが、アテが外れて驚いた。
「うおらぁ!」
根暗そうに見えた男は意外にも声を張り上げ、気合いを込めて三尖両刃刀を繰り出して来た。賀重宝の華奢に見えるその身体の何処にそんな力があるのか、柔の技では無く剛の力でぶつかって来たのだ。
「うぬぅっ!」
「おぉらぁ!」
頭上から振り下ろされ、しなって威力の増した青龍偃月刀を真っ向から受け、三尖両刃刀で連突きを繰り出した。それを関勝は捌いて見せ、薙ぎ払った。
三十合も超えると賀重宝に疲れが見え、素人目にも明らかに押され始めた。隙を見て賀重宝は逃げ出し、それを関勝は追った。勝機を掴んだと思った宋江と盧俊義は、全軍に突撃命令を出して遼軍を追った。
賀重宝を追う為に梁山泊軍の陣形が崩れて伸び切ると、辺り一面から突如戦鼓が鳴り響いた。
「しまった、やはり罠か!?」
周囲は断崖に囲まれ、左右から遼軍の伏兵が襲いかかって来た。更には、退却していた賀重宝が反転して正面から突撃して来たのだ。
梁山泊軍の前軍と後軍は完全に分断され、兵数に於いて遼軍が凌いだ為に劣勢となった。
「おい、あれは何だ!?」
呂方が郭盛に向かって叫ぶと、黒い霧の様な雲が梁山泊軍を包み込んだ。黒霧に包まれた梁山泊軍は、夜の暗闇の中にいるみたいに視界が悪く、何も見えなくなった。
火を起こして松明を灯した者もいたが、その灯りを目掛けて遼軍は矢を放ち、一方的な的となって倒れた。
「小賢しい」
公孫勝が剣を掲げて術を唱えると、黒霧は一瞬で霧散した。
「おおぉ!あの黒霧は妖術であったのか?」
宋江は退却を命じ、賀重宝は深追いして来なかった。陣まで戻ると、盧俊義と彼が率いていた5千余りの兵も戻って来ていない事が分かった。
「もしや賀重宝が追って来なかったのは、盧俊義を捕らえた為か?」
宋江は、眉間の皺を更に深くさせて溜息をついた。苦しい戦が続く。それはそうだろう。まだ中華が五代の時代であった頃、後晋が936年に燕雲十六州を契丹(遼)に割譲した時から苦悩が始まった。その後の中原(中国)に興った国々も、この屈辱を座視出来ず失った領土を取り戻す為に何度も遼と戦争をした。しかし遼国が誇る騎馬隊は中原の国の騎馬隊よりも精強で、打ち破る事は出来なかった。
あれから186年もの時が経つ。現在に至ってもまだ、遼国から燕雲十六州を取り戻す事が出来ずにいる。その悲願を国に代わって行い、遼国を万里の長城から外へ追い出すなど困難を極めた。しかし国に忠義を全うする為には、この困難を乗り越えるほか無い。
宋江は時遷と段景住に、盧俊義達の捜索を命じた。




