第10話 北の大宗師
「花娘子の姿が無いだと!?」
「それ見た事か!やはり賊徒と繋がる間者であったのだ!」
高俅は俺を間者と決め付け、俺を連れて来た童貫の責任を追求し始めた。俺が間者であったとされた時点で、君主を欺いた罪で死罪となり、更には職務放棄と許可無く城から出た罪に問われて見つけ次第、処刑と言う罪状を賜った。
童貫も罷免され、賊徒と通じていると拷問を受ける所であったが、江南で起こった叛乱に対応する為、功で罪を償う様にと勅命を受けた。童貫は蔡京の派閥であるから、蔡京が取りなした形だ。
皇宮を騒がせた当の本人である俺はと言うと、突如頭の中に響いて来た俺を呼ぶ声に従って、夢遊病の様におぼつかない足取りで東へと向かっていた。
一方その頃、北方の国境付近では不穏な空気が流れ、遼の先遣隊が国境を侵犯して南下を始めた。20万と号する軍勢は、実数8万騎。しかし、その全てが忽然と姿を消したのだ。
「馬鹿な!我が遼国の精鋭8万騎が全滅しただと!?」
「どう言う事だ、詳しく話せ!」
遼国の九代目皇帝・耶律阿果(水滸伝では耶律輝と言う架空名であり、漢名は劉延禧とされる)は、斥候に激しく問いただした。
斥候が言うには、8万の軍勢は全員が既に屍となっており、付近を捜索すると偶然に戦闘を目撃した村人がいた。
震える村人を問い詰めて話を聞くと、1人の黒装束を着た男が遼国の騎馬隊の先頭を遮った。何やら言い合いをしている様だったが、先に騎馬隊の武者が斬りかかると、それが合図の様に黒装束の男は反撃した。
その黒装束の男は、見たこともない車輪に刃が付いた様な武器を取り出して両手に持ち、騎馬隊に襲いかかった。その男は誰よりも速く動き誰よりも強く、そして弓矢さえも弾き返して効かなかった。あれほどいた遼の大軍は、ほんの数刻足らずで全滅したと言う。
「1人?たった1人の敵に、全滅させられたと言うのか!?」
耶律阿果は村人の虚言に乗せられて、斥候が嘘の報告をしたと憤り、村人もろとも首を刎ねろと叫んだ。
「お待ち下さい、陛下!此度の進軍ルートは、如何なる道を通ったのでしょうか?」
「おう、飲馬川の西側から南下し、北京大名府を攻める予定であった」
「飲馬川の西側のルートは、『北の大宗師』の縄張りとされる地で御座います。宋との交易でも、そのルートを通る事は禁忌とされております。息子は…いえ蕭将軍は功を焦った為に禁忌のルートを通り、大宗師の怒りを買ったのでしょう」
「『北の大宗師』の話は先代と先々代から聞き及んでおったが、これほどまでに豪の者とは…惜しいのぉ。その者、金も権力も望まず権力者にも媚びぬのであろう?配下に加えるのは無理であろうな」
「はい、かの者は俗世を離れております故、関わらぬのが懸命かと存じます」
「急ぎ兵を再編し、飲馬川の東側のルートから南下し、宋国を攻めよ!」
「ははぁ。陛下は英明なり!」
蕭宰相は拝礼して退室した。遼国においては蕭氏から皇后を娶ると言う慣例があり、皇后の父親は宰相として権勢を振るっていた。
「何と恐ろしい人間がいたものよ。中原(中華の事)には、あの様な者が4人もおるのか…」
科挙とならんで、武官の登用には武挙と言うものがある。どちらも官位は九品が1番下で一品が1番上だが、武術の強さを表すのは一品が1番下で九品が1番上となる。更にその上には、十品とは言わずに大宗師が存在する。
しかし大宗師が朝廷に仕える事は稀であり、基本的には九品までしかいない。林冲や関勝らは九品と言えよう。しかし九品と大宗師との武術の差は、天と地ほどの差があるとされ、大宗師には九品が10人いても勝てないと言われている。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
俺は頭の中で俺を呼ぶ声に誘われて、いつの間にかに登州の登雲山近くまで来ていた。かつてこの登雲山は、出林龍・鄒淵と独角龍・鄒潤が90人ほどの手下と共に盗賊稼業を行っていた。彼らは叔父と甥の関係だが、歳の差は1歳しか無く鄒潤は寡黙で自分の意思で行動する事は少なく、常に叔父の鄒淵に従っていた。そんな彼らも今は梁山泊にいる。登雲山から匪賊がいなくなり、険しい山道も静かなものだ。
俺のいた世界では登州は名を変えて、山東省煙台市と威海市にまたがる地域にあった州だ。緑豊かな山岳を抜けると、広大な湖に出た。スケールの大きい中国の事だから、日本人から見れば湖に見えるこれも実は池なのかも知れないな、と思いながら歩いた。
進むにつれて俺を呼ぶ声が大きくなった。そのまま歩くと、何か見えて来たので目を凝らして見た。どうやらこの湖は、山からの岩清水が溜まって出来たものらしい。瀧が見えたので、その様に考えた。
「声は、この奥から聴こえる。まさか瀧の裏に洞窟があるパターンか?」
そう思い、瀧の裏側に回れそうな場所を探したが、そんな箇所は見当たらなかった。道が無いので岩肌に取り付いて進むしか無いのだが、岩が濡れて指を引っ掛けても滑るし、そのまま進めたとしても中心の瀧に打たれた途端に、湖に落下する可能性が高い。そこまでしても瀧の裏側に洞窟が無かった場合、骨折り損である。どうしたものかと思案していると、1つ閃いた。
「そうだ!筏を作って進もう」
太い木の幹に石を蔓で巻き付けて石斧を作り、それを使って木を切った。想像以上に木は切れてくれず、力も必要で力尽きて途中で断念した。
せめて太もも位のサイズであれば刀で斬れるかもと思い、山のもっと奥地へ進んでみた。すると竹藪が見つかり、竹を20本も斬って瀧に戻った。それから植物の蔓を斬って縄の代わりとし、筏を組んだ。
「おぉ、何と無くで初めて作った割には、形になっているな」
大体こんな感じだと適当に組んだ筏が、それなりの完成度で満足した。その筏を湖に浮かべて、乗って見ると、沈む事なく普通に浮いたので安堵した。
「よし、いざ瀧の裏側へ!」
竹と木を使ってオールも作り、それを漕いで進んだ。いよいよ瀧だと思い、上から強く降り注ぐ瀧に対抗して、早く通過しようと思い切り漕いだ。
その瞬間、鈍い音がして筏は岩肌にぶち当たった。そう、瀧の裏側に洞窟など無かったのだ。ぶつかった衝撃で筏は深刻なダメージを受け、蔓が切れて崩壊し始めた。
「うわわわ」
湖に何がいるか分からないので、落ちる恐怖に震えた。しかし崩壊する筏を操舵する事は出来ず、瀧の方に吸い寄せられて行くと、瀧の強烈な水勢に打たれて筏がバラけると俺は湖に落ちた。
「うっぷっ…」
息継ぎをしようと水面に顔を出したが、再び瀧に頭を打たれて湖に深く沈んだ。湖の中で目を開けると、水面下は岩肌では無く洞窟が見えた。俺はそのまま洞窟に向かって泳ぎ、息が続かず死にそうだったが水面が見えたので浮上した。
洞窟の中は静かなもので、瀧の音が遠くで聴こえる感じがした。灯りもなく真っ暗だと思っていたが、ほんのりと岩が光っていた。
「これって、コケだ。光苔か」
そうは言っても微かに光を感じる程度だったが、それでもこの暗闇の中では藁をも掴む有り難さがあった。
俺を呼ぶ声は、洞窟の中に入ってから一段と大きくなった。間違い無くこの奥に何かある。しばらくすると、この暗闇にも目が慣れて来て、光苔の明るさでも洞窟内が見える様になっていた。
洞窟は天井から氷柱の様に伸びた鍾乳石が連なり、鍾乳洞であった事に気が付いた。目が慣れて来ると、今度は不意に恐怖に襲われた。
こう言う所には蝙蝠がいたりする。それが吸血蝙蝠であったなら?他にも何か得体の知れないものがいるかも知れない。この薄暗い中で襲われたら不利だ。
耳に全神経を集中し、全力で目を凝らし、一歩一歩身構えながら声がする鍾乳洞の奥へと進んだ。




