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余談―1 何故に源頼朝は流罪で済んだのか。

この後、3話を投稿しますが、完全に余談になります。

本編は7話で完結しています。

 かくして、平治の乱は平清盛が後白河上皇や藤原忠通の依頼を受けて、藤原経宗・惟方を捕縛して拷問を加えて流罪に処することで(少なくとも表面上は)完全に終結することになります。

 この後も、後白河上皇院政派と二条天皇親政派の暗闘はそれなりに続くことになり、平清盛はこの二派の対立を何とか和合させて、尚且つ自分が少しでも有利になるように懸命に動くことになりますが。

 更には高倉天皇の出産、二条天皇の崩御、六条天皇の即位から退位、最終的に高倉天皇の即位という流れが起きて、ほんの暫くの間は高倉天皇陛下の治世の下、後白河上皇と平清盛の協調によって、政権が安定する事態にまでつながっていきます。


(尚、細かいことを言えば、この政権の安定は仮初めのモノと言われても過言では無く、その後にはそれぞれの様々な思惑の果てに、源平合戦から鎌倉幕府成立にまで最終的には至ることになりますが)


 ですが、それは余りにも先の話で、平治の乱の本題から外れるので、この辺りで、このエッセイの筆を基本的におくことにしたいと考えますが、幾つか付言したいことがあります。


 まずは何故に源頼朝は流罪で済んだのか、です。

 それこそ兄の義平は捕縛後に処刑されており、頼朝も同様の運命を辿ってもおかしくありません。

 この当時、弟になる範頼や義経らのように幼かったことから、実際には平治の乱に参加していなかった、というのならばまだしも。

 頼朝は平治の乱の発端と言える三条殿襲撃から参加しており、この現実からして処刑されて当然の身ではないでしょうか。


(何しろ保元の乱では、実際には参加していなかった源為義の幼子までが殺されるという事態が起きているのです。

 それから類推する限り、頼朝が処刑されないのが不思議でなりません)


 更に言えば、当時の頼朝は元を辿れば上西門院の蔵人から二条天皇の蔵人になる等、それなりの官位をもって朝廷に仕える身でした。

 それなのに三条殿を襲撃して、後白河上皇に加え、上西門院を幽閉するのに頼朝は加担したのです。

 兄の義平と同様に頼朝が処刑されて当然で、処刑されないのが不思議なくらいです。


 これについては、平清盛の嫡母になる池禅尼が頼朝の助命を嘆願したため、と一般に伝わっており、更に元木氏等は池禅尼の背後には、上西門院がいて蔵人として仕えていた頼朝の助命を依頼したと推定しています。


 ですが、これは私の考える限り、極めて不自然です。

 三条殿襲撃の際に上西門院は後白河上皇と共に幽閉されています。

 つまり、頼朝は主君である上西門院に弓矢を向けた、と言われても仕方がありません。

 そんな頼朝を何故に上西門院が庇うのでしょうか。


 更に言えば、この時点で上西門院は既に出家しておられます。

 勿論、出家したからと言って必ずしも政治力が無くなる訳ではありませんが、既に出家している上西門院が頼朝を救うために動いて、それで、頼朝が救われたというのにはどうも違和感があります。


 全くの憶測になりますが、藤原経宗と藤原惟方が平清盛に逮捕され、拷問が加えられた後、後白河上皇と二条天皇、藤原忠通という三者が話し合い、平治の乱の最終的な落としどころが決まって、これ以上は死刑を公式にはせず、最高刑は遠流とするということになったのでは、と考えます。

 とはいえ、本来からすれば頼朝は処刑されて当然の身です。

 だから、公式説明としては、池禅尼からの嘆願があったので、頼朝は遠流で済んだということにし、助命という負い目を頼朝に追わせる形になったのでは、と私は考えます。


 そして、頼朝の流刑地となった伊豆は、後に源頼政の知行国になります。

 平氏の知行国で無かったことが、頼朝の挙兵を成功させた気がします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白く興味深く読ませていただいてます。  頼朝助命については熱田神宮との関わりを指摘する説(頼朝の生母は熱田神宮大宮司の娘)もあったかと。
[良い点]  六波羅合戦早々に捕らえた信頼や義朝•義平親子までは乱の首謀者だからと忖度なくバッサバッサと首を狩り晒し上げていた勝者たちが事件をつぶさに調べたら『これは本来ミカドのやらかしで信頼も義朝も…
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