スイカに塩をかける理由
一般的にうつ病は、脳の病気と言われている。セロトニンが脳から出ないのが原因とかなんとか。
ただ、精神病院で脳内の検査をやった訳でもなく、何か具体的な数値が示された訳もなく、精神保健福祉士に生い立ちや生活の状況を面談、その後医者に五分ほど話して初診が終わった。
出された薬は確かに効いた。よく眠れる気がした。副作用として喉の渇きや体重増加などの副作用があったが。そんな事は医者から1秒も説明を受けていなかったが、仕事で受けたパワハラの傷が和らぐ気がした。気がしただけで、当時の記憶が消された訳ではない。
なぜか薬を飲み始めてから余計に気分の落ち込もが激しくなってきた。なんというか心のリミッターが外れ、友達に暴言を吐き大喧嘩もしてしまった。
友達は、智子という名前の主婦だった。子供はいない。「実家の農家から送られてきたスイカ食べない?」と誘われたので、行ってみた。
高校の時から仲が良かった智子だが、大卒後は疎遠になっていた。向こうも結婚して、こっちはブラック企業でパワハラ。共通の話題は自ずと減っていた。
「え? 香澄って精神病院に通ってるの?」
智子は真っ赤なスイカの上に塩を振りながらいう。粒の大きな天然塩だった。スイカの上に白い雪が舞ったよう。
「精神科の薬なんてやめなよ。夫は介護施設で働いてるけど、余計に具合悪くなっている人もいるって。良い噂は聞かない。病名も製薬会社と医者が適当に決めてるんだって」
なぜか智子は、今の私について非難してきた。
「やめた方がいいよ。薬漬けにされるよ。医者だって商売なんだから。副作用の事とかリスクちゃんと説明しなかったでしょ?」
何も知らない癖に。
呑気な主婦には言われたくない。私はかなりの暴言を智子に言い返してしまった。甘いスイカを食べていたが、美味しくなくなった。智子のように塩をかけるべきだったか、わからない。
「人の忠告も聞く耳持たないのが、香澄の悪い癖だよ。いつもそうじゃない。だから最初は甘い事言う変な男やブラック企業に騙されるんだよ。それは香澄の甘えだよ」
「はあ? 差別主義者!」
「それでけっこうよ。でも薬や医者が香澄の問題を全部解決してくれるのかな? 薬も医者も万能な魔法じゃないよ。そこに依存心はあるでしょ」
最後には智子にそう言われ、関係は決裂してしまった。小学生がよく使う言葉でいえば「絶交」という状況になった。
その後も私は薬をのも続け、だんだんと量が増えていった。フルタイムで働く事が不可能になり、仕事をやめ、障害者手帳をとり、障害者雇用を目指す事にした。NPO法人の就労移行に通い、低レベルなパソコンや簿記の授業を受けていた。
ここではパソコンが出来たり、大卒というだけで、「すごい人」扱いされ、異世界アニメのチートみたいな状況だった。
福祉士にも「わー、すごい!(笑)」と子供のように褒められていた。ここで自信をつけた私は、とある企業の障害者枠に滑りこんだ。データ入力や掃除などの軽作業が仕事内容だったが、毎日毎日暇だった。仕事はすぐ終わる。上司に仕事がないか聞いても「疲れたらダメだから、休んでいていいよ」と優しくされた。
いや、違う。
特殊な雇用形態で、腫れ物として扱われていたのかもしれない。周りの上司はバリキャリで意識の高い仕事をしていて忙しそう。就労移行でつけた自信は瞬く間にすり減っていく。社会の「弱者」として腫れ物化する事は、本当に良い事か分からなくなってきた。
一見他人は優しい。しかし、その奥には別の本音が潜んでそう。本音と建前。いい人ぶりたい、偽善、実は無関心、嫌われたくない。表面的な言葉はいくらでも美しくできるが、本音はそうでもない。
決して出られないぬるま湯に浸かっているような毎日だった。
どうせ給料も上がらないが、食うに困らぬ程度の低賃金。漫画やフルーツを買う余裕はないが、クビになるよりマシなのか。毎日退屈な時間を塗り潰しながら、絶交した智子の言葉を思い出す。
一周回って彼女の言う通りだったかもしれない。
今は、誰もが腫れ物扱い。あんな風に怒って指摘してくれる人は、もう誰もいなかった。他人の子供も叱れる昭和の頑固親父は、実は優しかったのか。
あの時一緒に食べたスイカも目に浮かぶ。
「やっぱりスイカには塩よ。このしょっぱさが甘みを引き立てるのよ」
そんな風に笑っていた智子も目に浮かぶ。鼻の奥が痛くなり、泣きたくなってきた。
都合の悪いものを排除して生きてきた今は、幸せ。でも、ぬるま湯。大きな不幸はないが、大きな幸福もやってこない。
このまま腫れ物扱いされ続ける現状を想像すると、さらに泣きたくなってくる。ぬるま湯なのに、鎖に縛られているみたいで苦しい。
そうだ、塩だ。塩分だ。
今日の帰りはスーパーに寄ってスイカと塩を買おう。たぶん、これが一番スイカを美味しく食べられる方法だ。