クアトロフォルマッジ
ストイックだね。
加藤亜美は、そう言われる事が多かった。職業はヨガスタジオでインストラクター。時々、断食もし、乳製品や肉を断つビーガンも貫いていた。
ビーガンを始めてから約三ヶ月がたったが、妙に体調が悪かった。頭はくらくらするし、頬もげっそりしてきた。大豆で作った代替肉を主食にし、生野菜をいっぱい食べていたのに。
断食だって頑張った。断食すると若返り遺伝子が活性化すると言っている人もいたし、お腹が減ってとても辛いが、月に数回は我慢してやっていた。
こんな亜美を見て、周囲の人間は「ストイックだね」と言った。
最近は、修行僧のような気分にもなり、ハイにもなっていた。やればやるほど、リターンもある気がする。それに「動物や地球環境にやさしい私」も認証欲求をくすぐられた。「ストイックな私」は良い人?
ストイックだね。
それは別に言葉通りでもないが。「よくやるねー」と見下している事も滲んでいたが、この苦行はやめられなかった。
そんな折、友達の梨華が家にやってきた。
正直、梨華は苦手だった。亜美の苦行に「ストイックだね」と言わない。むしろ、「頭おかしい」とハッキリと苦言を呈してきた。その上、亜美に目の前でファストフードのチキンを食べたりする。意外な事に梨華は太ってもなく、肌あれもなく健康そうだった。どちらといえば亜美の方が老けて見えた。同じアラサー女だったが、梨華はまだ女子高生のような雰囲気もある。高校からの付き合いだから、そう見えるだけかもしれないが。
「亜美、遊びにきたよーん」
梨華は能天気な笑顔を見せながら、家に上がってきた。
その腕には四角い箱を抱えていた。ふわっと香ばしい匂いもする。おそらくこの匂いはピザ……。
思わず亜美の頬は引き攣る。ストイックにビーガンや断食をやっているところに、あろう事かピザ?
梨華は鬼か?
口元まで出かかっていたが、涼しい顔でリビングに迎え、有機カモミールティーを出す。梨華はそんなものには目もくれず、四角い箱を開け始めた。
やっぱり中身はピザだった。
クアトロフォルマッジだ。
四種のチーズに蜂蜜がかった甘じょぱいピザだ。まんまるなピザの耳はこんがりと焼け、チーズの海が広がっていた。トロトロのハチミツに覆われた海へ溺れたくなる。
果たしてピザが苦手な人がいるだろうか。少なくとも亜美も嫌いじゃない。大豆で作った代替肉は、特に美味しくない事も思い出してしまう。
我慢しなきゃ。
亜美は口の中を噛み続けていた。
一方、梨華はテイクアウト用の使い捨てフォークを使い、ピザを豪華に切り分け、食べようとしていた。
「神様、こんな美味しい食べ物つくってくれてありがとう。私は感謝していただきます!」
そんな事まで言う。明らかに亜美を煽ってきてる。
亜美は口の中を噛みすぎて、なんだか塩っぱくなってきた。塩なんて一粒もとっていないのに。
「断食で若返って健康になるとかデマだと思う。だったらどうして飢餓で人は死ぬの? 断食って宗教儀式なんじゃないかな。なんか、形式的な行いに縛られてない?」
ぐうの音も出なかった。確かに断食で健康になれたら、飢餓で死ぬ事はない。食べ過ぎは良くないし、時々胃腸を休ませるのは悪くは無いが、ある種の宗教っぽい思想に染まっていたのかもしれない。形式的というか、宗教っぽいというか手段が目的に変わっていた。
「わかった。もう降参する」
亜美は文字通り手を上げた。お手上げ。
こうして梨華と一緒にチーズの海に溺れた。最初はミルキィなチーズ、次にじゅわっとハチミツの甘さが広がる。熱々、トロトロ、生地はサクサク……。
「ビーガンも断食もやめて。こういうのやってるインフルエンサーが亡くなったニュース見ちゃったんだよね……。亜美には死んで欲しくないんだよ」
「う、うん……」
「人それぞれ幸せだったら良いなんて思わないから。いくら本人が幸福を感じていたとしても死にそうだったら全力で止める」
梨華の優しさも感じてしまった。わかりにくい優しさだったが、ちょっと泣けてきた。
「ストイックな私」とは決別し、幸せな味に溺れた。




