初恋と桜あんぱん
大正六年、ジェフリー・アルダーソンとの婚約が決まった。
といってもジェフリーは、幼馴染みたいな、近所のお兄さんみたいな男の人で、全く婚約者に見えない。
向こうはアメリカ人宣教師の両親を持つ町医者。私は近所のミッションスクールに通う女学生。共通点と言えば同じ教会に通うクリスチャンというだけ。そもそも相手はアメリカ人でこっちは日本人。歳も離れてる。昔からの知り合いとはいえ、なんとなく距離がある事は否定できない。一度だけ「耶蘇、耶蘇!」と騒ぐ近所のいじめっ子から守ってくれた事はあったけれど。
ちなみにこの婚約は両親と祖父が決めた。この時代は家が決めた結婚も一般的だったし、逆らう理由もない。小説や演劇で描かれる自由恋愛というのもよくわからない。お妾さんがいる旦那さんも珍しくはないし、正妻というだけで幸せ?
確かにうちは父が牧師で貧乏だし、学校に通えて結婚出来るだけでも幸せなのかもしれない。今は景気も良くないし。
少々納得はいかないが、ミッションスクールの授業が終わると、桜あんぱんを買って帰った。今日は土曜日の半ドンで、ジェフリーも診療所がお休みだ。おそらく診療所の裏の自宅にいるだろう。婚約者となったからには、あんぱんでも食べながら交流するのも悪くはないと考えていた。
「ジェフリーいますー?」
診療所も彼の自宅も周囲の溶け込んでいる。普通の庭付きの日本家屋。家にも診療所にもいないようなので、庭の方に回ると縁側で聖書を読んでいた。庭にある梅の木は、初夏の日差しを浴び、木漏れ日を作っていた。
ジェフリーの金色の髪の毛もそんなの光に透け、天使の輪みたいのができていた。この時代では珍しく洋装姿。白シャツにズボンという簡単な格好だが、板についている。日本人の着流し姿とは、やっぱり違う。
「おぉ、真雪。きたのか」
ジェフリーは日本語も上手だった。昔はもう少し訛っていたが、今は違和感ない。きっと陰で努力しているのだろう。
「何やってるんですか?」
「聖書読んでる。あと、疫病の歴史を調べてるんだ。菌そのもののせいではなく薬害が主な死因になる気がするんだよなぁ。変な薬は投与しないように。医者が言うんだから守ってくれよ」
「う、うん」
「昔の歴史を調べると疫病、飢饉、戦争は同じような時期にある。百年ごとになんかあるね」
「へぇー」
私もそう言いながら縁側に座る。洋装が似合う婚約者の隣に。
矢絣と袴の女学生姿というのもちょっぴり恥ずかしくなってくるが、ブーツも履いているし、これでも精一杯ハイカラのつもりだ。後頭部で結んだ大きなリボンは子供っぽかった気もするが。
「ジェフリー、あんぱん食べる? 桜の塩漬けが真ん中に入ってるんだよ」
側で見るジェフリーは意以外とまつ毛も長く、鼻筋もスッとしている。今更ながら、ちょっとドキドキしてきた。
「桜あんぱんか。日本人はよくこんなパンを思いついたな。酒種でパン作って、餡子入れて、その上に桜の塩漬け載せようなんて、クレイジーだ!」
なぜかジェフリーは、桜あんぱんを見つめ、怒ったような、戸惑ったような表情を見せていた。
私もあんぱんを見つめる。ふっくらと丸くてツヤにあるあんぱん。餡子と小麦の匂いがする。餡子がいっぱい入っているのか、決して軽くは無い。
この時代は開国して入ってきた西洋文化を理解し、咀嚼していくのに日本人は精一杯だった。
西洋のパンと日本の甘い餡子、桜の塩漬け。全く違う要素が溶け合い、明治時代に生まれたパン。このパンを生み出した人は、馴染みのない異国の文化もどうにかして理解したかったんだろう。そんな試行錯誤のあとが想像できる。
私もよく知らないこの婚約者を理解する事が出来る?
ふと、そんな事を考える。
それは、恋という感情にも近いのだろうか。ジェフリーの事をよく知りたいと思う。だとしたら初恋という事になるが、まだよくわからない。
とりあえず桜あんぱんを二つに割り、ジェフリーと一緒に食べた。
「甘いな。真雪はどう思う?」
「甘いだけじゃない気がする」
桜の塩漬けの味もきいている。単なる甘いパンとも言い切れない。
初恋も甘いだけでは無いと良いなぁと思いながら、隣にいるジェフリーを見上げた。




