(3)
野外研修から戻ってきて五日後、放課後の治療室で丸椅子に座り来室記録を見ていたキュアノス・ケローネー教官は、首をひねった。
「これはー、どういうことでしょうかねー」
武闘学科生や教養学科生の守護神までは把握していないが、神法学科生には明らかに一つの傾向が見られる。自分の授業を受けている生徒の中にも顔色の悪い者がちらほらいたことを思い出し、ケローネーはうなった。唯一専攻が違うのはファイ・キュグニーだが、彼の体質を考えれば似たような症状が起きても不思議ではない。ということは――。
「今日の会議にー、かけたほうがー、いいかもしれませんねー」
来室記録を会議要項にはさんで腰を浮かしたところで、扉がたたかれた。うつむきがちに入ってきたのは、大地の法担当教官のシャモア・マルガリテースだった。
「ケローネー先生、すみませんが頭痛薬をいただけますか?」
「シャモア先生もー、調子が悪いのですかー?」
「ええ、このところやけに頭が痛くて……『先生も』とはどういう意味でしょう?」
額を押さえていたシャモアが顔を上げる。
「そのー、気になることがー、ありましてー。大地の法専攻生の間でー、何かー、おかしなことはー、起きていませんかー?」
「いいえ、特別問題になるようなことはしていないと思いますが。でもそういえば、最近体調を崩している生徒が多いですわ」
「これをー、ご覧になってくださいー」
ケローネーは来室記録をシャモアに見せた。来室者の専攻と学年、名前が並んだ紙に目を通したシャモアは眉をひそめた。
神法学科生のほとんどが大地の法専攻生だった。その隙間を埋めるように入っている名前はファイ・キュグニー。毎回頭痛薬を渡した記録が残っている。
武闘学科生の半分はけがで来室しているが、教養学科生もあわせて体調不良を訴えている者が目につく。パンテール・リトス、ロー・ケーティ……。
「感染病ならー、他の専攻生にもー、うつるはずですしー、大地の法専攻生がー、おもにー、というのはー、やはりー、引っかかるんですよー」
シャモア先生までおかしいとなるとよけいですねーとケローネーがつぶやく。
「武闘学科の先生に、生徒の守護神の記録を見せていただきましょう」
シャモアは来室記録をケローネーに返すと身をひるがえした。
「ああー、シャモア先生ー、頭痛薬はー?」
「後でいただきますわ」
治療室を出て行くシャモアに小さくため息をついて、ケローネーは棚から取り出した頭痛薬を会議要項の横に置いた。
翌日、登校したシータは午前中の授業が演習のため、更衣室で着替えて闘技場に入った。いつものとおり同期生とあいさつをかわしたシータはパンテールを探したが、まだ来ていなかった。自分より遅いのは珍しいなと思っていると、予鈴の後にやっとパンテールは現れた。だが青白い顔で、治療室に行くから先生に伝えてくれとシータに頼んで引き返していった。
「ロクスとケインも今日は休みみたいだよ」
「クラトスたちも来てないってことは、まだ快復してないんだね」
寄ってきたラボルと話しながら周囲を見回したシータは、少し離れた場所にいるエイドスと視線があった。しかしエイドスの目つきはどこか剣呑な感じで、しかもすぐに顔をそらされてしまった。いぶかしんだシータは、隣のラボルが暗い表情なのに気づいた。
「ラボルも体調が悪いの?」
「あ、違うよ。僕は全然……」
もごもごと答えるラボルにシータは首をかしげた。そこへ本鈴が鳴り、ウォルナット教官が姿を見せる。整列したものの、号令をかけるパンテールがいないために沈黙が落ちた。パンテールが治療室に行ったことをシータが告げると、代わりを務めるようウォルナットに指名されたので、号令をかける。それから二人一組になって剣の打ち合いをすることになり、シータはラボルに誘われて組んだ。
パンテールは授業の中ほどで戻ってきた。治療室でそのまま休んでいればよかったのにとシータは言ったが、パンテールは弱々しく笑い、エイドスたちに呼ばれて離れていった。
授業終了後、パンテールのもとへ行こうとしたシータは、ラボルに服をつかまれた。泣きそうな顔で一緒に昼食をとっていいかと聞かれ、シータが承知しようとしたところへ、パンテールがやってきた。
「お昼なんだけど、ラボルが――」
「ごめん、今日は僕、エイドスたちと食べるから」
聞き返す前にパンテールはエイドスたちのほうへ駆けていき、置き去りにされたシータは唖然とした。
「何なの?」
エイドスがシータをちらりと見て闘技場を出ていく。パンテールはシータをふり返りもしなかった。
何か隠しごとでもあるのか、それとも自分がパンテールの気にさわるようなことをしたのだろうか。考えてみたが思いあたることはない。常に行動をともにしていた親友が急にそっけなくなったことに、シータの胸がざわついた。
「シータ、あのさ……」
「あ、お昼のことだよね。どこで食べる?」
ラボルに話しかけられて我に返ったシータは、できるだけ平気そうな顔をつくった。ラボルは一度開きかけた口を閉じ、それからかすかに微笑んだ。
「どこでもいいよ。でも……できれば剣専攻生のいないところがいいかな」
シータは目をしばたたいた。だがラボルがそれきり黙ってしまったので、中途半端に不満をのみ込んだまま昼食をとる場所を探した。
午後最初の授業である騎士道学の教室に入ると、パンテールの姿はなかった。具合が悪いから治療室で休むそうだと、近くにいたポーマに教えられたシータは、ラボルと一緒にあいている席に着こうとしたところで、槍専攻生の中心にいたピュールに呼びとめられた。
「剣専攻生でここ数日調子を崩している奴はいるか?」
「今はパンテールとロクスとケイン。おとといから休んでいるクラトスたちも入れたら……六人だけど」
シータの答えに、ピュールはこぶしを口にあてた。
「パンテールはたしか大地の女神の守護を受けていたな。他の奴もそうか?」
シータはラボルをかえりみた。ロクスたちも同じだという返事を聞いて、やっぱりそうかとピュールがつぶやく。
「俺たちの側でも体調の悪いのが五人いるんだが、みんな守護神が大地の女神なんだ。神法学科も大地の法専攻生がおかしいらしい」
「みんな関係があるというの?」
「ここまでかたよっていれば、何かあると見て間違いないだろう」
ラボルと顔を見合わせたシータは他の剣専攻生をふり向いた。何か伝染病でも広まっているのかとざわめきが広がる中、予鈴が鳴る。騎士道学担当のカウダ・フォルリー教官は本鈴と同時に授業を始めるため、シータも着席したが、フォルリーが来てからもピュールの話が気になって集中できなかった。
最後の授業は算術だったが、隣の植物学教室から出てくるはずのファイとは会えなかった。ファイだけでなく、いつも一日一回は廊下で顔をあわせるローの姿もない。代わりにニトルを見つけてファイのことを聞いてみたが、ニトルも知らないようだった。
前回のイフェイオンの件からして、学院内で異変が起きればファイも影響を受けるはずだ。もしかしたらまた気分が悪いといって学校を休んでいるのだろうか。
結局パンテールは授業に出てこず、シータは心配になった。ラボルの元気のなさも気にはなったが、パンテールが隣にいないというのはどうも落ち着かない。帰りに家に寄ってみようかと思いながら授業を終えたシータは、廊下でミューに会った。
「どうかしたの?」
小首をかしげ、ミューは自分の眉間を指さした。
「ずいぶん深いしわが寄ってるわ」
穏やかな声音で尋ねられ、張り詰めていた気持ちが震えた。
「友達がちょっと変なの」
見るとミューの手には札の束がある。どうやら占術の授業だったらしい。シータの視線に気づいたのか、ミューは一緒にいた水の法専攻生と別れ、すぐそばの国語学教室にシータを連れて入った。
「今日はラムダと約束してないの?」
「大丈夫よ。それに玉が手に入ってから、みんなと会う機会が増えたの」
今日みたいにね、とミューが微笑む。だからきちんと連絡をとっていなくても、会えるときは会えるのだと。
中央付近の席に向き合って座り、ミューがさっと広げた札にシータは見入った。札には杯や赤ん坊、本、弦楽器などいろいろな絵が描かれている。
「私が初めて町の闘技場に行ったとき、私のことが占いに出てたって言ったよね?」
「ええ、新しい仲間のことを占ったら、この札が出たの」
ミューが示したのは翼の札だった。
「意味は『自由、旅、行動力、話し好き、理想を求める、前だけを見て高く飛ぶために足元がおろそかになりやすい』などよ。それから翼は風の札だから、風の神の守護を受ける人を指すことも多いわ」
ミューは次に本の札を見せた。
「これはファイが仲間になる前に出た札。これも風の札だけど、意味は『神法士、学者、知識欲の旺盛な人間、思慮深い人、静かな環境を好む』などの意味があるわ」
背中がぞくぞくした。自分やファイのことがそのまま一枚の札に凝縮されているようで怖い。緊張するシータの前で、ミューは枚数がそろっていることを確認すると、札を裏返して一つの束に整えた。
「友達のことだったわね」
「うん。この頃具合が悪そうなんだけど、なんか避けられているような気がして」
「その人ももしかして、大地の女神の守護を受けているの?」
シータは目をみはった。
「やっぱり何か起きてるの?」
「原因まではわからないけれど、神法学科でも噂になっているから」
それからミューはしばらく黙って札をくり、その札を一枚ずつ表にしていった。最初の札は翼、次の札は盾、三枚目は鎖、四枚目は剣だった。
「一枚目はシータ自身を表す札だけど、翼の札については今説明したから省くわね。二枚目は友達をさしているわ。まじめで保守的な感じの人みたいね。保護者という意味もあるけれど」
「それ、当たってる。パンテールにはいつも面倒を見てもらってるから」
盾は大地に関係している。大地の女神の守護を受けるという意味でもぴったりだ。そして三枚目の札を見つめるミューに、シータはどきどきした。その表情からして、あまりいい札ではないようだ。
「鎖は暗黒神の札よ。意味は『欲望、束縛、嫉妬、むだな努力、悪い計画、おせっかい』。言いにくいけれど、シータに対してあまりいい感情をもってないみたい。それが今のぎくしゃくした関係のおおもとね」
「まさか……今までずっと一緒にいたのに、急に変わるなんておかしいよ」
親友だったのに――少なくとも、武闘学科一回生の合同研修のときまでは、パンテールも同じ気持ちだったはずだ。それとも、あのときもうすでに自分のことをうとましく思っていたのに、ピュールの前では告げられなくてごまかしたのだろうか。
そのとき教室の扉が開いた。
「お、いたいた」
顔をのぞかせたのはラムダだった。先に帰ったミューの友達に居場所を聞いたらしい。
「何だ、悩み相談か?」
さては好きな人でもできたかと言いながら近寄ってきたラムダは、シータの顔を見てすぐに笑みを引っ込めた。たまらず席を立ったシータを、ミューの声が追いかけてきた。
「シータ、最後の札は剣よ。彼と正面からぶつかってみて。喧嘩になっても、逃げたりあやふやにしたりせずにきちんと受けとめて。そしてあなたが引っ張っていくの。そうすればきっといい方向に進むわ」
返事ができなかった。唇をかみ、シータは教室を出ていった。
翌朝、一限目の授業を受ける前に更衣室へ着替えを置きに行ったシータは、男子更衣室から飛び出してきたラボルと衝突した。
「いったあ……もう、急に出てきたらぶつかるに決まって……えっ?」
シータと同じく転んだラボルの手から離れた紙をつかんだシータは、書かれている内容に驚いた。
そこには、先鋒隊の決め方がいいかげんだとか、ラボルを卑怯者扱いする言葉が大きな文字で書かれていた。
「何なの、これ!?」
シータが叫んだところで、更衣室からポーマたちも出てきた。
「ラボル、やっぱり降りたほうが――あ、シータ」
「ちょっと、どういうことなの?」
追及するシータに、ポーマたちは気まずそうに顔を見合わせた。ラボルは座り込んでうつむいたまま動かない。
そこへ、ピュールたち槍専攻生数人が通りかかった。
「選考がいいかげんだというのは心外だな。槍専攻ではこんな馬鹿馬鹿しい噂はたっていないぞ」
シータの持つ紙をのぞき込み、ピュールは冷ややかにラボルをにらんだ。
「飛び火してくるのは迷惑だ。事実ならとっととやめてしまえ」
「ちょっと、そんな言い方……ラボル!」
シータは、駆け去るラボルを追おうとしてポーマにとめられた。
「放っておけよ。お前までやられるぞ」
「どういう意味?」
「エイドスたちなんだ。ラボルが先鋒隊に入ったのが納得できないって」
「なんで?」
「剣も乗馬もエイドスのほうが上なのに、ラボルが選ばれたからだよ。俺たちだってやっぱりおかしいと思うし……少数精鋭で突撃を担う先鋒隊なら、乗馬と剣の腕は特に大事なはずだ」
「だから見て見ぬふりをしているなんて、そのほうがおかしいでしょっ」
「何を騒いでいるんだ。予鈴は鳴ってるぞ。早く教室に入りなさい」
現れた教養学科の教官に注意され、ポーマたちが慌てたさまで教室へ向かう。シータもラボルが消えたほうを何度もふり返りながら、やむなく急いだ。
教室に入ると、中央後方あたりの席にエイドスとパンテールが並んで座っていた。目があったエイドスはむすっとした容相で瞳をすがめ、パンテールは顔をそらした。シータはエイドスをにらみつけてから、最前列の席に腰を下ろした。
授業が終わるなり、シータはすぐに教室を出た。本当はエイドスたちに抗議したかったが、やはりラボルのほうが気になったのだ。だが結局見つからず、あきらめて次の授業場所である乗馬場へ行ったシータは、入り口にラボルが立っているのに気づいた。
「ラボル、どこに行ってたの?」
とりあえず帰ってきたことにシータはほっとしたが、ラボルの目は真っ赤になっていた。一限目の間、ずっと泣いていたらしい。
「私が一緒にいるから、中に入ろうよ」
シータが背中をたたくと、ラボルは抑揚のない声でぼそりと言った。
「僕、先鋒隊を降りるよ」
「そんなことをしたら負けを認めることになるわよ? 事実じゃないなら堂々としていればいいじゃない」
しかしラボルは首を横に振った。もうすっかりやる気がなくなってしまったらしい。
「選んでくれたタウたちに悪いと思わないの?」
「だってもう……無理なんだ」
「何が?」
「僕はシータみたいになれない。シータほど強くないんだよっ」
こぶしをにぎって叫び、ラボルは乗馬場へ走っていった。一人残されたシータは草を蹴り散らし、いらだちを抑えきれないまま授業に出た。
その時間、ラボルとシータは同期生から完全にのけものにされた。一限目の前まではまだ話していたポーマたちでさえ、シータに近づかなかった。シータの機嫌が最悪だからか、エイドスに何か言われたのかはわからないが、シータは入学して初めて一人になった。
怒りがたまっている状態では、当然うまく走ることはできない。シータの心の乱れを敏感に察したらしい馬はまったく言うことをきかず、シータは途中で振り落とされた。誰かが失敗すれば多少からかいや笑いが起きるが、同期生たちは凍りついたように反応を示さなかった。フォルリ―教官から注意を受けたシータは壁際にもたれて座り、ただ授業終了を待った。
鐘が鳴り、あいさつをすませると、ラボルは真っ先に乗馬場を出ていった。もう追いかける気が失せてしまったため、シータもゆっくりと歩きだしたとき、エイドスたちの話が聞こえてきた。
「情けない奴だぜ。あんな弱腰の奴に先鋒隊が務まるはずがないんだ」
限界がきた。シータはきびすを返すとエイドスに詰め寄った。
「いいかげんにしなさいよ! 文句があるならタウたちに直接言えばいいじゃない。なんでラボルを責めるのよ!?」
「先鋒隊にふさわしくない奴をふさわしくないと言って何が悪い? 誰が見たってあいつが選ばれるのはおかしいだろう。絶対に裏で頼み込んだに決まってるんだ」
ラボルが先鋒隊隊長のレーノスと話しているのを見た人間だっているんだと、エイドスは吐き捨てた。
「お前はいいよな。タウさんやバトスさんにかわいがられてるし、どうせ即決だったん……」
エイドスが最後まで言い切る前に、シータは力一杯ひっぱたいた。
「仲がいいとかなんて関係ない。タウたちはそんな決め方はしないっ」
さらにエイドスを蹴飛ばそうとしたシータは、パンテールにとめられた。はがいじめにされたシータはもがいて手を振りほどくと、パンテールをにらんだ。
「パンテールも何なのよ!? 私が何かしたのならはっきり言ってよっ」
「僕は……」
口ごもるパンテールに、シータはますます腹を立てた。
「もういいっ」
「シータ!」
パンテールの呼び声を無視して、シータは駆けた。
何もかもがむかついた。嫌がらせをするエイドスにも、立ち向かわなかったラボルにも、言いたいことを言わないパンテールにも、怒りがおさまらなかった。脇目も振らずに更衣室へ突き進んでいたシータは、追ってきたパンテールに腕をつかまれた。
「待ってくれ、違うんだ。お前が何かしたわけじゃない」
「じゃあなんで避けるのよ!?」
ふり返ったシータの前で、パンテールはうつむきがちに唇をかんだ。なかなか答えないパンテールにいらだったシータが怒鳴りつけようとしたとき、治療室の扉が開いた。中から出てきたのがファイとミューだったので、シータは驚いた。
この時間はたしかカルフィーが当番だったはずだ。尋ねると、カルフィーは先生に呼ばれたので、自分が代わりを引き受けたのだとミューは答えた。そこへファイがやってきたらしい。
ファイは今にも吐きそうな顔をしていた。頭痛薬をもらいに来たらミューがいたので、しばらく寝台で眠らせてもらったのだという。
「大地の女神の守護を受けている人が次々に体を壊すなんて、やっぱりおかしいわ。それに学院の生徒だけのようだし」
ミューが心配そうにファイを見やる。まだ寝ていたほうがいいと勧められたが、ファイは承知しなかった。
「報告は早いほうがいいと思う」
何の報告かと聞いたシータにファイが口を開きかけた刹那、ミューが悲鳴をあげた。
「シータ!!」
背後をかえりみたシータに短剣が突きつけられる。とっさに身をよじってかわしたシータは体勢を崩して尻をつき、そのシータを狙ってパンテールはさらに短剣を振りかぶった。
目つきがおかしい。シータがパンテールともみあいになったところで、ファイが杖をかかげた。
「悠久なる時元にて千の星、万の星の運命を決めし全能の王。かの星は大地の星なれど、かげりし道に迷い落ち、黄の輝きをくもらせん」
パンテールの形相がけわしくなった。濃い青緑色の瞳に殺意がみなぎり、苦しげにファイをにらみすえる。
「されば神々の中の神クルキスの名において、悪しき闇を打ち払い、かの星の聖なる真実を照らし戻さん!!」
ファイの杖が正方形を描き、続けて五芒星を重ねる。とたん、雷にうたれたようにパンテールの体がびくりとはねあがった。シータを突き飛ばしたパンテールはそのままあおむけに倒れ、頭から抜け出したもやがうめきながら消滅していった。
床にへたり込んだまま、シータは呆然とパンテールを見つめた。パンテールは目を閉じたままぴくりともしない。
何が起きたのか。いったいどうなっているのか。
にぎったこぶしが震える。パンテールの手にしっかりとにぎられている短剣に叫び狂いそうになったシータに、タウとラムダが走り寄ってきた。
「シータ!?」
「おい、大丈夫か?」
ラムダに肩を揺さぶられる。遠巻きに囲む生徒たちのざわめきさえもくぐもって聞こえた。
パンテールは動かない。今すぐ駆けていきたいのに、体が行こうとしない。
なぜ。どうして。
「しっかりしろ、シータ!」
ラムダに軽く頬をたたかれる。見開いた瞳をラムダに向け、その後ろにタウの顔もとらえたとき、シータの目に涙が盛り上がった。
「う……わああああんっ」
シータは声をあげ、ラムダの胸にこぶしをぶつけた。ラムダにすがりつき、泣きじゃくる。
わからない。何もかもがわからない。
どうしてこんなことになったのか。
自分とパンテールの間に何があったのか。
むせび泣くシータの肩を抱きながら、ラムダがファイに目で説明を求める。壁に背を預けてずるずるとしゃがんだファイは、寄ってきたミューに『清めの法』をパンテールにかけるよう頼んだ。ミューはうなずいて、パンテールに対して法術を使った。
「彼に闇の眷属がとりついていたんだ。今はもう追い払ったから大丈夫。気を失っているだけだ」
騒ぎを聞きつけたのか、偶然通りかかったのか、やがてイオタとローも現れた。ローは今登校してきたらしく、具合の悪そうな顔色をしている。
「闇の眷属だなんて……いったいどこで関わったのかしら?」
事情を聞いてイオタがいぶかる。心身が弱っているときに暗黒神の力が満ちている地に行けば体を乗っ取られることはあるが、そこにはたいてい暗黒神の信者がいる。彼らは自分たちの崇拝する神と場所を守るため、必要以上に人を入れたがらないので、意図的に連行されないかぎりそうそう起こり得ない。
「ここでだよ。たぶん、学院の敷地内に暗黒神の領域に通じる道ができているんだ」
「まさか!? 学院には四神の礼拝堂があるのに」
驚惑の容相になるイオタたちに、ファイは大きく息を吐き出した。
「でも、このところ大地の女神の守護を受ける人がおかしいのはそのせいだよ」
「君もそう感じたのなら、やはり間違いないのだろうね」
靴音が響く。学院長が神法学科の四人の教官を連れてやってきた。
ケローネーはパンテールの様子を確かめると抱き上げ、中庭のほうへ歩きだした。噴水池の水でさらに念入りにパンテールの体を浄化するつもりらしい。
午後から休校になったと生徒たちがはしゃぎながら廊下を駆けていく。集まっていた生徒たちをロードンとヒドリーが追い散らす中、ファイは休校の理由を学院長に尋ねた。
「体調を崩している者が学院の生徒だけということは、学院内に原因があると考えざるを得ない。イフェイオン・ソルムの一件では生徒から闇の気配を感じたが、今回は人ではなく学院内から漏れ出ていると判断した。午後から調査をするにあたり、生徒に危険が及ぶようなことがあってはならないからね。君たちもすぐに帰る準備をしなさい」
「ファイ、『退邪の法』をどこで覚えたのかは後でゆっくり教えてもらいます。今日のところは帰って休みなさい」
「僕は残るよ。自分の目で確かめたいんだ」
素直に従わないファイに、シャモアは厳しい口調で反対した。
「いけません。あなたも影響を受けているのだから」
「闇の気を広げるには、抑え込んでいる大地の女神の守りに穴を開けるのが一番手っ取り早い。可能性が高いのは大地の女神の礼拝堂だと思う」
ファイの言葉に、学院長とシャモアが互いを見合った。
「君の言うとおりだ。だが仮に誰かが守りを破ったとして、シャモア先生がすぐに察知できなかったのはなぜだろうね?」
学院長はファイがすでに答えを出していることを前提としたような問いを投げた。ファイは一度シャモアを見やってから学院長に告げた。
「学院の礼拝堂に傷をつければ、担当教官に真っ先に伝わってしまう。教官の立場にあった人ならそのことは知っているはずです。だから道を開く間、シャモア先生の感覚を一時的に封じる必要があった。そしてそれができた人間がいます。僕はその日は直接会うことはなかったけど、その人が訪ねてきたとシャモア先生が言っていました。でもそのときの先生の様子がおかしかったんです。ぼうっとした感じで……変だなとは思ったけど、こんなことが起きるなんて思わなかったから」
「なるほど、そういうことか」
学院長がこぶしを口元にもっていく。
「私の責任ですわ。いらっしゃるなりファイのことばかりお聞きになったので、あやしみはしましたが、学院にまでしかけを施していたなんて」
「彼の訪問は事件の前だったのだから、元教官が学院にふらりと立ち寄っても疑う者はいませんよ」
シャモア先生のせいではありませんと否定した学院長に、それまで黙っていたタウが口を開いた。
「調査に立ち会わせてください。みんながそろったということは、俺たちの……目指すものにも関わっているのではないかと思います」
イオタの手に黄色の玉が現れてから、みんなが確信したことがある。玉が手に入る前はいつも困難がもちあがると。そしてそれを乗り越えなければ玉は手に入らないと。今回もまた仲間の誰かに、何かが起きようとしているのではないか。偶然か必然か、七人全員がこの場に集合したことはそれを示しているのではとタウは考えたのだ。そして他の仲間も同意見だった。
「許可はできない。私には君たちを……生徒を守る義務がある。守ると誓ったのだ」
学院長が胸元で揺れる首飾りをにぎる。なおも食い下がるタウたちに学院長は頑として首をたてに振らず、後で必ず結果を伝えることを約束して去った。
「しかたない。今日のところはおとなしく帰るか」
タウはまだ床に座り込んだままのファイに手を貸して立たせ、ローをかえりみた。
「ローは大丈夫か?」
「頭痛がひどくて、午前中の授業には出られなかったんだ。さっき学院に来たところだったんだけど、まさか午後から休校になるとはね」
こんなことなら家で寝ていればよかったとローが肩をすくめる。
「最近調子が悪かったのは、学院の大地の女神の守りが壊されていたせいだったのか。でも、もしかしたら新しい玉が手に入るかもしれないんだよね」
「まあ、今は流れに任せるしかないな。へたに動いて見当違いの方向に進んでもまずい」
ラムダが褐色の髪をかく。
「うん。でも……玉が欲しいよ。できるだけ早く」
ローは何もない自分のてのひらを見つめ、にぎりしめた。
これから闘技場に集まるかという話にもなったが、ローとファイの体調はすぐれないし、何よりシータの気持ちが落ち着いていないということで、今日はこのまま解散することにした。調査結果を待ってから今後の自分たちの行動を決めようと。
シータはイオタとミューが家まで送ることにした。涙がとまらないままよろよろと歩くシータを見送り、ファイもきびすを返した。




