4.イーフィア
晴天の日。家から出ようとすると、モナに止められる。
「アルちゃん? 最近、Eランクの魔物の赤毛の魔熊が出てるから、あんまり森の深くに行っちゃだめよ?」
「うん、分かったよ。母さん」
「本当にダメだからね? パパも倒せないくらい強いんだから」
「心配しすぎだって……」
母に忠告されたものの、出会ってしまったなら逃げれば良いだけだ。
それから森へ行き、日課にしているランニングを再開する。
「はぁ……はぁ……」
あれから数週間、自分の考えたメニューで訓練を続けるアルは体の変化に気付いていた。
「前よりも体力は上がったし、筋力もついた……あとはスキルのレベルアップだな」
実は、スキルにはレベルアップが存在する。
【踏み込み】は進化すると【踏み込み・小】になる。
進化する条件は100㎞を走ること。
単純なことだが、これが大変だった。
子どもの体では足幅が小さく、体力も少ないため時間が掛かる。
でも、俺にとっては都合が良かった。
(子どものうちに、体力を増やすができるんだ。一石二鳥じゃないか)
どの局面においても、体力が多い方が役に立つ。
「おっ」
僅かに光が身体を包む。
頭上に文字が浮かび上がる。
【踏み込み・小】に進化しました。
悪くないペースだが、俺は納得はできなかった。
「……ダメだ、時間が足りない」
今のままでは、一年後の村の崩壊を防ぐことはできない。
他のスキルを手に入れる手段を考えないと……。
すると、女の子の声が聞こえた。
「返してください……!」
「ハハハ! イーフィア、この髪飾り綺麗だな!」
声がした方に振り向いて、木影から様子を伺う。
(……なんだろう?)
俺は彼らに見覚えがあった。
村の子供たちか……。
「それはお母さんの形見なんです……! お願いします、返してください……」
金髪の少女、イーフィアは必死に懇願していた。
どうやらイーフィをイジメているようで、俺は僅かに視線を逸らす。
(……助けるべきか? いや、下手に手を出すべきじゃない)
そう思い、俺は静観する。
「おいおい、返して欲しけりゃ、力ずくで取り返してみろよ」
木剣をちらつかせ、イーフィを脅している。
「ひゅ~! カールってば性格悪~い」
「流石カールくんだぜ!」
イーフィは意を決したように、カールへ飛び掛かる。
「……っ! やあああっ!」
のっそりとした動きではカールを捉えられず、容易に躱される。
「おせえよ、おらぁ!」
カールは嬉しそうな顔でイーフィを蹴り飛ばす。
「襲ってきたんだから、やり返されても文句ねえよなぁ……?」
「あっ……あっ、いや……その……」
俺は自然と足が動いていた。
俺はずっと、独りぼっちで生きてきた。
少しでも、誰かに優しくされたことがあっただろうか。
頑張って良いことをしても、褒められることはない。
頑張ったね、偉いね、と言ってくれる人が欲しかった。
イーフィアは、母親の形見を取り返すために襲いかかった。
それは偉いことだ。きっと勇気のある行動なんだ。
誰にでもできることじゃない。
俺がもしイーフィアの立場だったら、どうして欲しかっただろうか。
俺なら……誰かに助けて欲しかった、って思うはずだ。
「おい、カール」
「……あ? アルかよ」
「その髪飾り、返してやってくれないか? イジメもやめてくれ」
カールの手元を指さす。
「おいおい、俺様に命令するのか? アルの分際で」
「違う。どんな理由があっても、人を傷つけちゃダメだ」
そうだった。この頃の俺は、カールの体格や強さに屈して反抗することができなかった。
だから、カールにとって俺は格下。
馬鹿にされても当然の存在だ。
周りの取り巻きが大声で笑う。
「アルの奴、馬鹿だぜ? カールに歯向ってやがる!」
「カールくんは俺たちの中でも一番強いんだ。アル如きが、勝てるはずないのに……やめとけよ」
カールは俺の目前まで迫る。
「力ずくで取り返してみろよ……! なぁ、アル!!」
「分かった」
アルが迷わず足を蹴り上げ、カールの股間に直撃する。
グキッ、という嫌な音と共に、カールの顔が歪んだ。
「おほ……! あが……!」
カールが両手で股間を押さえ、涙目になって行く。
「ク……クソ……覚えてろよ!」
手に持っていた武器や髪飾りを落として、その場からカールたちが離れていく。
「大丈夫? ほら、髪飾り」
イーフィアに話しかけると、茫然とした様子で俺の顔を見上げた。
「私なんかを助けて、くれたんですか……?」
「気にするな、それとも余計なお世話だったかな?」
確か、俺は子どもの頃にイーフィアを救ったことはない。
話すのも初めてだ。
「……いえ、ありがとうございます」
イーフィアは髪飾りを大事そうに両手に抱え、涙目を浮かべている。
こんなに喜んでもらえるなら、助けて良かった。
イーフィアが言う。
「……あの! お名前を教えてくれませんか?」
「アルだ。君はイーフィアだろ? どうしてカールに絡まれたんだ?」
「実は……私は元貴族だったんです。でも、お父様が失脚して平民に……それが気に入らないって難癖を付けられて……」
なるほど。
だから、村の子供たちからイジメられていたのか。確かに、貴族なんて羨ましいと思うだろうな。
この村は貧乏だし、生活が苦しい。豊かな人生を歩んできたイーフィアを妬む気持ちも分かる。
「私ってダメな奴なんです。戦いも勉強も向いていませんし……女だから、仕方ないんです」
それは理由にならない、と俺は知っていた。
女でも、頑張れば結果はでる。
性別による格差なんて、あって良い筈がない。
「……努力しない言い訳をしていると、大人になってから後悔をするぞ」
アルがはっきりと言う。
やけに真実味を感じるアルの言葉にイーフィアが目を見開いた。
(なんでだろう……なんで、アルくんの言葉には重さを感じるんだろう……)
ガサガサ……という音が聞こえ、俺は振り向く。
少し遠いが……森の奥からだ。
「イーフィア、走れるか」
「……どうしたんですか? アルくん」
「凄い勢いで、こっちに魔物が走ってきてる」
「え……? そんな音は何処にも……」
カールが落としていった木剣を拾う。
いくら何でも頼りないが、ないよりはマシだ。
「グガァァァッ!!」
木々を押し倒し、俺たちの倍はあるであろう赤毛の魔熊が現れる。
魔物の真っ赤な瞳が、俺のことを睨む。
隣に居たイーフィアが叫び声をあげて、尻もちをついた。
「ほ、本当に魔物が……! アルくん! 逃げましょう! 私たちじゃ無理です!」
「……いや、俺は逃げない」
イーフィアが俺の顔を見る。
「ここで逃げたら、誰がイーフィアを逃がすんだ」
「え……?」
子ども二人で、村まで走るのか?
無理だ、それまでに追いつかれる。
せっかく助けたのに、殺させてたまるか。
「私なんかのために……?」
「誰であれ関係ない。命を助けるのに、理由なんかいるか?」
イーフィアはアルの顔を見たまま、呆然と頬を赤く染めていた。
アルが木剣を構える。
(相手はEランクの魔物だ。この程度で苦戦しているようじゃ、強くなんかなれない!)
「グガァァァ!」
赤毛の魔熊がアルに襲い掛かる。
アルは考えて居た。
(殺傷力の低い木剣では赤毛の魔熊に致命傷を与えることはできない。毛皮は堅く、皮膚は厚い)
生半可な攻撃じゃ通らない。
「【踏み込み・小】!」
近くに居たイーフィアが驚く。
「は、速い……!」
距離を縮めたアルは赤毛の魔熊の攻撃を躱す。
練度の上がった【踏み込み・小】は前よりも速く正確だった。
「グガ⁉」
アルは木剣を赤毛の魔熊の足に放つ。
(体勢を崩して、隙を作る!)
狙い通り、体勢を崩した赤毛の魔熊が地面に顔を強打する。
「グガッ!」
アルは【踏み込み・小】を使って大きく飛び上がる。
回転しながら全体重を木剣に乗せる。
アルが木剣を赤毛の魔熊の頭に叩きつけた。
「ンガッ……!」
盛大に音を鳴らし、赤毛の魔熊が静かになる。
「はぁ……」
アルが息を吐く。
パキパキ……と手に持っていた木剣が砕け、地面に落ちた。
「イーフィア、怪我はないか?」
イーフィアはその光景を、信じられないといった様子で見ていた。
「う、嘘でしょ……アルくん、赤毛の魔熊を倒しちゃった……」