私の創作論
創作活動は苦しい。
そう言った人が最近おられた。
不覚にも私には共感が出来なかった。
私は昔からマンガや物語っぽい詩などを書いているが、苦しいと思ったことがない。
なんかおかしい。
他人と言うことが違う。
なぜに。
思うに覚悟のようなものが違うのだ。
私は昔、マンガ家になりたかった。
そのためにどんな努力をしたか?
外へ出て、いろんなものをスケッチした。
月に一ぺんぐらい。
……それを努力と言うのかよ。
私は書きたい時にだけ書く。
書きたい気分じゃない時は一切書かない。
書かなければ、と思って書いたことはたぶん、学校や仕事に提出するものを除いては、一度もない。
なろうでも書きたくて書くから、楽しい。
書きたくて書くから、スラスラ書ける。
2000文字ぐらいを2、30分ぐらいで書いてしまうこともよくある。
推敲はしない。
推敲するとしたら投稿してからする。
変なものを書いてしまっても削除はしない。
そんな労力使うぐらいなら書きたい。
私は頭で物を考えない。
考えずに、なんだか頭に浮かんだものをすぐに書く。
車を運転中に浮かんだ妄想を、信号停止時にメモすることはあるが、いざ書く時にはそれを見るのを忘れている。
一番最初にここに投稿した『最弱のさいきょう星人』という作品を、読み返してみたら矛盾みたいなのがたくさん見つかる。
頭を使って書いてないからだ。
でも気にしない。
っていうかこの作品を超えるものをいまだに自分は書けてないなと思う。
あれは名作だ(ptは14)
要するに私はバカなのだ。
何も考えていないから、悩みとかもないのである。
論文とかを書く時はすごく辛い。
たった1行に1日かかる時もある。
それでいて出来上がったものは一瞬で読まれて捨てられてしまう。
大嫌いだ。
頭を使って意味を考えながら書かなきゃいけないものなんて、苦痛でしかない。書き上げた時にあるものは疲労ばっかりで、喜びなんて「やっと終わったー!!!(TдT)」の喜びしかない。
私の創作論というタイトルを掲げたが、結論を言うとそんなものはない。
書きたいがままに書くだけなのだ。
読者の気持ちなんて考えないからたぶん、引かれてしまうようなことも書いてしまっているかもしれない。
そんなの気にしてたら書きたいものが書けないので気にしないけど、一応食事中の人の前でうんこの話はしないぐらいに自重してはいる。
こうやって自分の創作態度を振り返ってみると、もしかしたら私は天才なのではないかとも思えて来た。
天才とバカは紙一重とか言うではないか。
あーでもどうでもいいか。
一番の自信作のptが14だし。
そんな私なので、文章書くのが辛いならやめればいいのにと思っていた。
身近にそういう人がいたのである。
頭を掻きむしって、せっかく書いたものを一括デリートして、「書けない、書けない」と苦しんでいた。
まったく共感する気にすらなれず、やめればいいじゃんと私が言うと、その人は言った。
「届きたい場所があるんだよ」
夢、とかいうのだろうか、それ。
私にはないものだ。
その人のそれはわかりにくい言い方だったが、翻訳すればきっと「小説家になりたい」ということなのだろう。
昔の自分を思い出した。
私はマンガ家になりたかった。
左手を右側に描いてしまうほどに絵の才能がなかったので、かんたんに諦めた。
ああ。
この人は私と違って
覚悟があるのだな。
そう、思った。
私は私のようでない人が好きだ。
夢に向かって頑張れる人は尊敬する。
きっと届くよと応援したい。
私は書くのが大好きなので自分でもたぶん一生書き続けるが、書きたいから書いているだけで、夢はべつにない。
私は書く人だから、他人の書くものを楽しむことも出来る。ライトユーザーのようにではなく、自分のものを書くように、他人の文章を批評も加えて読むことが出来ると自負している。
論文みたいに意味を正確にとらないと叱られる文章は苦手だが、好きなように読んでいい、楽しい(怖い、悲しい等含む)文章なら読むのはかなり好きだ。
他人の創作活動を応援する側に回ろうか。
苦しんで書いている人たちを、私と違って真剣な人たちを、応援するだけでいいじゃないか。
そう決心するには私は自分で書くことが好きすぎる。
オナニーだったら虚しくなってやめるかもしれないが、私とセックスしてくれる人は結構悦んでくれているものと自惚れている。
だから書く。書きたいだけだけど書いて、あなたと交わりたい。
書いたら他人のものも気になり出す。自分が気持ちよくしてもらったら、相手のことも気持ちよくしてあげたい。どこが感じるところなんだろうと探したい。
だから読む。読んで、評価したい。
評価したら私のこともまた気持ちよくしてほしい。私の一番感じるところを見つけ出して、私に新たに教えてほしい。
これが私の創作論である。