#5 冷徹なる黒剣、醜美なる紅剣
青年は一文字の黒瞳で二人を見つめながら、にたりと表情を歪めた。
「今日は二人も食べれるねェ。さァぁぁァて、どっちから食べよゥカナァァァァァ!!!!」
みるみると青年の身体は肥大し、めきめきと山羊の双角が生える。肉は千切れ、中から血色の肌をした怪物が姿を現す。異様なまでに鋭利な牙、だらしなく垂れ下がった長い舌。路地で遭遇したものとは遥かに巨大なスケープゴートへと変身したのであった。怪物は道化じみた不気味な笑い声を上げると、人の胴体ほどもある爪を二人に向かって振り下ろした。
夢々愛は恐怖のあまり永徒の腕にしがみついている。永徒は夢々愛を背に庇い、瞳を閉じる。
自分の力では到底敵わない。
それ故に、彼女の名を心の中で叫ぶ。
「──────うるさい。叫ばなくても聞こえてるわよ」
声と共に永徒の影から少女が飛び出し、振り下ろされていた凶爪は手首から切り落とされ宙を舞っていた。
「ガッぁぁ……………!?」
「………………いつ来てくれるか不安だったぞ」
「そんなのあなたに関係ないでしょう。いいからさっさと行きなさい、串刺しにするわよ」
「わかったわかった。せいぜい気を付けろよ」
「誰に物を言ってるのかしら。まぁ、いいわ」
永徒は夢々愛を連れ、ロリアは怪物に剣を向け、お互いに背を向ける。今やるべき事は、各々の胸に抱かれている。それを成し遂げるために、彼らは事を成す。
永徒達を逃がし怪物の前へと立ったロリア。怪物はぎょろりとロリアの姿を映し出すと怒りに溢れた咆哮を上げる。
「吸、血鬼ィい………!!」
「あら、醜い獣が人の真似事?随分と滑稽なこと」
「貴様ァ、ァァァァァ!!!!!!!!」
一瞬にして切り落とされた部位を再生させ、全速力でロリアへと振るう。それに対しロリアは指を鳴らし漆黒の剣を生成すると、顎を引くのを合図に矢のように放たれ腕もろともを砕いた。片腕を奪われた痛みに絶叫を上げる怪物、それに一切の表情も変えずロリアは次の一撃をと漆紅の神剣を天へと掲げる。
「そう早く逝ってしまうのも困るのだけれど。こんなにも脆いと聞きたいことも聞けなくなってしまうじゃない」
「ッグ、ァァァ!!…………貴様ハァ、殺シテデモ手ニ入レテヤルゥ!!!!」
「……………早々に吐かないと殺すわよ」
怪物はロリアの忠告に聞く耳を持たぬまま、捨て身の一撃を繰り出す。しかし、ロリアはそれを易々と躱し神剣に魔力を込める。次々に黒の剣が現れその剣先は怪物にへと向けられる。
「朽ちなさい」
無数の剣が次々と怪物の巨躯に突き刺さり断末魔すら上げる余裕もなく、串刺し人形へと変貌を遂げた。そのせいか、腐った肉のような酷い刺激臭が漂った。
ロリアは怪物の亡骸を横目で睨むように見ると、鼻を裾で隠しながらその場を去った。カツカツとハイヒールの蹴る音が廊下に鳴り響く。鼻を突くような腐肉臭に嫌気がさし、一刻も早く去ろうとロリアが早足に廊下を進んで─────、
「…………どれだけ私の手を煩わせたら気が済むのかしら」
ハイヒールが進む音は止み、血肉がばしゃばしゃと落下する音が響く。生成された剣は飛びかかってきた怪物の口から胴体を突き破る。ロリアは振り返り亡骸の方へと見やる。が、そこに巨大な死体は無く群がったスケープゴートの姿があった。
「自分の臭いで周囲の仲間を呼びつけたってことね。なるほど、本当に最期まで醜いわね」
血走った瞳で獲物を映し出すと、怪物たちは一斉にロリアへと突撃した。
ロリアはただそれを、凍てついた笑みで眺めていた。
ロリアと別れてから、永徒と夢々愛は中庭の木陰に身を隠していた。
「………ここまで来れば多分、大丈夫だろ」
「う、うん。…………………………ねぇ、亜喰くん」
「何………?」
「今、私たちの周りで何が起きてるの?さっきのは、あれは、一体何なの?」
夢々愛の声は掠れ、震えていた。永徒の制服の袖を摘んでいるその手からも震えが伝わってくる。目は潤み、必死に泣くのを我慢しているようにも見えた。
「……………あれは、悪魔だ」
「悪魔……………」
「人の肉を喰らって生きる怪物だ。あれにとって俺たちは餌でしかない、さっき襲ってきたのもそのせいだ」
「………………………………どうして亜喰くんは知ってるの?」
「それは…………」
返答に迷いを抱いた時だった、校舎の方角から不気味な奇声が聴こえた。二人は顔を見合わせ更なる不安を募らせる。永徒は危険を感じ校舎からもっと離れるように夢々愛の方へと振り向いた。
「────────っ!!!!!?」
頭で考えるより先に、体は、永徒は夢々愛を突き飛ばしていた。
夢々愛の背後、音も無くスケープゴートは潜んでいた。その姿を目にした時、永徒の体は行動に出ていた。永徒は何を思い動いたのか、自身の脇腹に怪物の牙が届いた瞬間、それは言葉となって。血と共に外の世界へと羽ばたいた。
「よかった、無事で…………」
視界がぼやけ、揺らぐ。目の前には自分の体に馬乗りの怪物が口を開き整えられたように並ぶ牙を覗かせている。その奥に悲痛な表情で自分の名を呼ぶ夢々愛の姿が見えた。彼女の心に傷を負わせてしまったと後悔を抱き己を咎めている合間に、意識も薄れつつあった。
ふと、ロリアの事が頭に浮かんだ。
あんなにも小さな少女を独りにさせてしまうのか、それが何よりの後悔であった。たった数日だったが、それでもロリアとの生活は楽しいと感じていたことを理解する。
目を瞑る。熱いものが零れてしまうから。
───────と、肉のひしゃげる音が目の前で聴こえた。
熱いものを零し目を開くと、自分を見下ろす幼い少女の姿があった。