#4 巣食う怪異
「出かける支度をしているみたいだけど、どこかに行くつもり?」
午前七時二十四分。クリームパンを貪りながらロリアは問う。永徒は制服に身を包むと鏡で身だしなみを整えながら答える。
「ああ。学校だよ、学校」
「がっこー…………?」
「子供が集まって皆で勉強する所だよ。小学校、中学校、高校ってある。俺はその高校に行くんだよ」
「と、なると高校が一番位が高いのかしら」
「位が高いって言うか、学ぶ内容が段々と年齢に合わせて難しくなる感じだな。ロリアは………小学生ぐらいか?」
「……………何か馬鹿にされた気分だわ」
鏡に映るロリアの怖い顔は見なかったことにして、永徒は振り返り玄関への扉のドアノブに手をかける。
「じゃあ、行ってきます。頼むから部屋だけは荒らさないでくれよ」
「……………待ちなさい」
踵を返そうとした時、ふとロリアから呼び止められる。リビングチェアからすとんと降りると永徒の方へと近づいて高い顔の方を見上げる。
「私もついて行く」
「……………………………………………は?」
「ついて行くって言ってるの。ほら、早く行きなさいよ」
「いやいやいやいやいや、何言ってるんだ急に。お前吸血鬼だろ、こんな陽が照りつけてるってのに外出るとか自殺行為にも程があるぞ。馬鹿なことは止めとけって、っぃ痛ぁ!?」
「馬鹿なのはあなたの方よ。私たち吸血鬼は影に潜むことが出来る、それで外も移動できるのよ。あなたの知識量で図ろうとしないで。あなたは私の下僕よ、私が望むことに異議を申し立てるのなら串刺しにしてあげてもいいのだけど?」
「…………………はい、すみませんでした」
「わかったなら早く行くわよ。ほら、早く」
「はーい…………」
予期せぬ平手打ちをもろに食らい、ひりひりと痛む片方の頬をさすりながらロリアと家を出て学校へと向かった。
「なあ」
『……………………なに』
「あー、いや、本当に俺の影にいるんだなあって。というか、お前の声って周りの人に聞こえてたり…………」
『影からの声は周りには聞こえないようになっているわ。聞こえるのは影の保有者だけよ』
「なるほどな。まあ、あまり人がいる所じゃあまり喋れないな。いつどこにお前を追ってるやつがいるか分からないしな」
『そうね。それに、今日ついてきたのはそれも関係あることよ』
「それは、どういう…………」
『その学校とやらに、あの山羊と同じ魔力を感じた。つまり、教会側の者が隠れているはずよ。だからあなたも怪しい人間がいないか観察しなさい』
いつも通い続けている学校に、あの山羊の怪物が放たれているとしたら、そう考えただけでも恐ろしかった。ロリア曰く、スケープゴートはこの世に顕現し続けるには多量の魔力が必要となる。その魔力を賄うために人々を襲い、魔力を供給しているのだという。学校では多数の人間が密集しているため、たちまち屍山血河を築くということになる。永徒は必ず見つけ出すと覚悟を胸に、学校へと足を踏み入れた。
階段を上がり、教室へと差し掛かる。スライド式のドアを開け見慣れた光景が目に留まる。身を寄せ合い会話を弾ませる者もいれば、周りを気にせず読書に夢中な者、いずれも多々自由に過ごしていた。永徒が入ってくるも、ただ目線をやるだけで声をかける者はいなかった。しかし、これが永徒にとっては当たり前だった。友人などいなければ、声をかける者も当然いない。クラスの皆はそれぞれ気が合う者同士で集まっているものの、永徒の周りには誰ひとりとて集まらない。クラスの皆と永徒を隔てている壁は厚く、高いものだった。
「……………………………」
誰とも言葉を交わすことなく自分の席に座る。永徒の席は窓際の最後尾で、グラウンドを眺めるのには最適の場所だった。
『…………………あなた、いつもこんな感じなの?』
「………………………………………………そうだよ」
頭に響くロリアの声に、音を最小限に絞って応答する。いつもは感じない胸の苦しみや、何やら全身がチクチクと針にでも刺されているような感覚を覚えた。今更何を、と自分に言い聞かせロリアにこれ以上話しかけるのを止めさせようと声をかけるその時、不意に別の角度から声がかかる。
「あ、あの…………ちょっといいかな?」
「………………何?──────海寺さん」
海寺夢々愛。
高嶺の花、この言葉がこれほどに似合う者はそういない。それほどまでに彼女は理想にへと辿り着いた存在なのである。クラス、学年は当然の事、校内から莫大な人気を誇り誰もが認めるまさに麗人の如し、永徒とは全くの正反対の人物である。その彼女が今、あろうことか友人を作ろうともしない永徒に話しかけていたのだ。
「あ、あのね、今日は図書館の本の整理を放課後に図書委員の柚実ちゃんとやる予定だったんだけど、今日は風邪で休むみたいでね。それで部員の亜喰くんに手伝ってもらおうかな、って思ってたんだけど…………駄目、かな?」
歯切れ悪く、とても申し訳なさそうに頼み込む夢々愛。そして背後には一斉に睨むように見つめるクラスメイトたち。それもそのはず、学校一の人気者の頼みを断ろうなど以ての外。断れば、益々クラスメイトとの距離が千里を築くだろう。しかし、永徒はそれらを気に止めてはいない。────自分が助けになれるなら、その思いで常に行動していた。断る理由など微塵もない。
「わかった。じゃあ、放課後に図書館で」
「…………………うん!ありがとう、亜喰くん!」
最初は呆気にとられた表情だったがすぐに愛らしい笑顔を見せ、友人たちの会話の中に戻っていった。それを見届けたかのように周囲の目線は永徒から遠ざかりいつもの空気へと変わった。
『危うく、この場の全員を敵に回すところだったわね』
「………………そもそも、断る理由なんてなかったからな。暇だし」
そうふてぶてしく呟くと永徒は窓の外の方へとそっぽを向いた。いつもなら何の感情も抱くことは無かったが、今日は特別とささやかな喜びを感じていた。
「──────あ!亜喰くんこっちこっち!」
放課後、約束した図書館へと向かった永徒は向こうで手を振る夢々愛の元へと向かった。彼女の隣には犇めいた本たちが置かれており、おびただしい数だった。
「これ、全部………………」
「そう、今回は新しい本がたくさん届いてね。とりあえずこれ全部を本棚に並べていこう!」
黙々と作業を進めていく一方、永徒は手に持った本を並べながら独り言のように呟く。
「……………………どうだった」
『……………………面倒なことになったわ』
単調に、恨めしそうにロリアは言った。その言葉に永徒は思わず手を止める。
「……………聞いてもいいか」
『感知されないよう自ら魔力を遮断している。私が見つけられなかったもの、この他に考えられないわ。それに、私の魔力に気付いて正体をはぐらかしているのだったらもう手遅れね。隠れきられたら私でも流石に探すのは不可能よ』
「まじかよ………………」
と、足音がこちらに近づいてくるのが聴こえた。見れば夢々愛が不思議そうな顔で歩み寄ってきていた。
「何か声がしたけど………誰かと喋ってた?」
「え、いや、別になにも………」
「じゃあ………気のせいかな。あ、こっちは滞りなく終わったよ。亜喰くんの方は終わった?」
「ああ、うん。こっちも全部並べ終わった」
「そっか。亜喰くん、今日はありがとね。私に付き合ってくれて」
人との関わりを避けていた永徒にとって、彼女の存在は他の人とは何か違うものを感じていた。その容姿や人気者だからというわけではない、別の何かが永徒には感じられていた。いつしか永徒は夢々愛の顔をまじまじと見つめていた。
「………………?私の顔、何か付いてる?」
「えっ、ああ、ご、ごめん。べ、別にそういうわけじゃないんだけど……」
まんまるとした桃色の瞳に優しいクリーム色の長髪。その愛くるしい顔つきは見る者の口元をほころばせるほどの美貌であった。あまりにも輝かしい彼女を前に永徒も思わず顔を逸らしてしまった。
辺りも暗くなり、二人が帰る準備をしている頃。図書館の扉が開く音が鳴った。永徒と夢々愛は顔を見揃えるとすぐに音の鳴った方へ向かった。しかし、そこに人の気配は無く扉の向こうには静まり返った廊下が佇んでいた。
「誰か………入ってきたはず、だよね?」
「ああ、確かに誰かが入ってきた音だった。出たとしても絶対に何かしらの物音はするはず……………」
夢々愛の表情が不安で曇る。永徒の掌には汗が滲み、不穏な空気が流れ込む。次第に心臓の鼓動は早まり、圧迫感が二人に恐怖を植え付ける。
『あの山羊がこの部屋のどこかに隠れてる。ここは死角が多すぎるからまずは見渡せる場所に出なさい』
「了解…………」
「あ、亜喰くん………………?」
「海寺さん、とりあえず外に出よう。ここは………危険かもしれない」
夢々愛は無言で頷く。永徒は後ろにいる夢々愛の存在を確認すると開けられたままの扉に一歩、進んだ。
瞬間、空間にもうひとつの存在が降り立ったのが悪寒と共にひしひしと伝導する。振り返ることを自身の直感が警鐘を鳴らしている。だが、背後には夢々愛がいる。彼女を危険に晒す訳にはいかない。勇気を振り絞り夢々愛の方を向くとそこには──────、
「亜喰くん、どうかした?」
「…………あ、いや、なんでもない。ちょっと心配だったから」
「ありがとう、心配してくれて。でも私は大丈夫だよ、だか、ら……」
夢々愛の表情に笑顔が消え、恐怖へと塗り変わる。永徒は悟ったかのように背後へと顔を向ける。
薄暗い廊下に独り、下を向いて男子生徒が立ち尽くしていた。その青年はゆるりと顔をこちらに差し向け、
──────黒い一文字の瞳を爛々と輝かせていた。