4話 「神は言っている」
忙しくしているグレゴリウスの周りが少し落ち着いた頃を見計らって、俺は声をかけた。
「グレゴリウス卿」
「はっ」
「時間がかかるのだろう?」
「はい。誠に申し訳なく思います」
「いや、突然のことだから仕方ない。それより、私はこのあたりを見て回りたいと思うのだが、どう思う?」
「そ、それは……神殿の中を、ということですか?」
グレゴリウスが驚いたように確認してくる。
俺はそれに首を振った。なんで神殿の中だけなんだ。普通に町を見てみたいに決まっている。
そう告げると、グレゴリウスは動揺したようだった。なんでだ?
「いえ、イディア様が市井にお出かけになることは……少々民に刺激が強いかと……」
「そうなのか?」
「その、感極まった民たちがどう反応するか、我々にも予想がつかず、万が一の事があれば危険かと……」
なんでだ。民がどんなのか知らないが、普通に有名人に会いましたってテンションじゃないのか? サインくらいなら求められてもいい……あ、だめだ、文字書けない。
しかしグレゴリウスの顔色はあまり良くない。
どうやら、俺に出回って欲しくないようだ。てゆーか、神が民に襲われるとかあるの? それってどういう状況なの?
どうしようか……いや、待てよ。
「つまりは、私の姿を変えれば良いということではないか」
「イディア様?」
「まぁ、見ておれ」
――神は言っている。『慣れれば自分で変えられる』と……。
しかしどんな姿を作ろうか。目の前のグレゴリウスにしちゃう?
いやでも、さすがに本人の前で同じ顔になるのは……それに俺もできるならおっさん以外が良い。……いま、とても失礼な事を考えた。
いや、でもきっとみんな同じ状況になれば分かってくれるはず。
自分の見た目を好きにしていいよ、と言われて、率先して理想からかけ離れた容姿を考え出すやつとは、俺は友達にはなれない。ただしおっさんが理想ならば可。
そんな人が居たら、俺は是非ともおっさんの魅力を語っていただきたいものである。
ちなみに、グレゴリウスは五十歳後半くらいの顔だ。顔立ちは堀が深くて欧米風……というよりアラブにいそうな顔立ち。十分イケメンなんだが、こう、若さが足りないのよ。
総大司教、という地位を仮に社長の次……副社長とか専務だと考えると、十分に若いのだが、俺が求めているのはフレッシュな人材です。
最終的に、俺は自分の姿にアレンジを加えることにした。
「むむぅ」
髪の毛を長くして、身長も高くしてみる。サイズを変えるくらいなら、比較的楽にできるようだ。粘土をこねる感覚に似ている。
「おお、イディア様が成長なされた……」
「どうだ? これで私とはわからないのではないか?」
「いえ、まだ難しいかもしれません……白い髪に赤い目というのは有名ですので」
「なら、髪の色も染めてみるか」
むむむぅ。念じるとさっと白い髪が真っ黒に変わる。目の色は……まぁ、髪が違えば大丈夫だろう。
むむっ、髪は黒いけど目が赤い、あれは神様ではないか!? なんて勘の良すぎる市民がいればまずいけど、さすがにそんなことは考えられない。
普通に考えて、騙されてくれるだろう。
「どうだ? 黒くしてみたぞ」
「は……それならなんとか」
グレゴリウスの顔色はやはりあまり良くないが、一応許可が出た。
よしよし、これで一ヶ月はなんとか遊んでいられそうだ。
俺はうきうきと神殿から出ていった。
まず、この国について簡単な知識をおさらいしよう。
さっきちょろっと出てきたが、ここは聖イリア王国だ。建国は六百年前になる。イリアというのは、この国の初代の王にして敬虔な神官でもあった女性の名を取ったらしい。もちろん現在も王がいるが、神官でなければいけない、という決まりはないそうだ。実際、現在の国王は教会と関係のない人物らしい。
立地としては草原のど真ん中になるが、北方から流れてくる巨大なリニーナ運河が近くを通っているので、農地に適した土地であり食糧が豊富だ。それに支えられた経済と人口、そして俺という宗教的シンボルがあったことで、大陸有数の国家に相応しい力を持っている。
運河を利用した船による貿易が盛んで、この国には各地の特産物が揃う。商業の中核地でもあるそうだ。
地図上の名所をあげると、各方向にちょうど一つづつある。
南側は小規模国家の群れだ。いくつもの国が乱立しているが、そのほとんどが亜人の国だという。著名どころで言えば獣人や森人、地人……わかりやすく言うと、ケモミミ、エルフ、ドワーフ、といった具合だ。
西側は人族の治めるエスティリア帝国があり、情勢は安定している。過去には戦争ばかり繰り返していたらしいが、百年近く前に協和調停を結んでからは平和が続いている。
東側はそれなりに遠いのだが、魔の森という広大な樹海が広がっている。そこには恐ろしい魔物が多く生息し、熟練の冒険者でなければ生きて戻ることはできないという。最奥には『沈黙』の魔王がおり、決して近づいてはならないのだとか。
この『沈黙』なのだが、実は宣戦布告してきた魔王とは別人だったりする。この世界の魔王は何人かいるそうで、『沈黙』は中立派の魔王だそうだ。決して味方ではないが、樹海のどこかにあるという居城に立ち入らない限りは、基本的に何も干渉しないのだそうだ。
問題は北である。リニーナ運河の横に聳える巨大な山、ビレンジオ山脈のどこかに『快楽』の魔王がいるのだという。こいつが今回聖イリア王国に宣戦布告した張本人らしい。つまり敵のボスだ。
ビレンジオ山脈は『快楽』の方針に賛同する魔族が集結しているらしくかつてない危険地帯なのだとか。以前は旅をする神官の巡礼地の一つだったが、ここ十数年は危なくて近づくこともできないのだとか。
『快楽』は四体の幹部を連れて、山脈周辺の都市を散発的に強襲しているそうだ。その狙いがいつこちらにくるのかは、『快楽』を除いて誰にも分からない。神の知識ですら不明だ。
ちなみに、東コルネア領を治めるコルネア辺境伯は『快楽』を討伐するために自領の屈強で知られる軍を出し、以来消息不明だという。
……地図上の話はこの程度でいいだろう。
聖イリア王国の一番の特産品は何か。
それは魔道具だ。
読んで字のごとく、魔法の道具だ。広義には魔法の力が宿った道具全般を指すが、厳密に言えば魔法使いが振るう杖の類を魔術具といい、民が煮炊きをする時に使う火の魔石を用いたコンロもどきのような類を魔道具という。
まぁ、とにかく魔道具と言えばだいたいその辺を指す言葉になる。便利なものなので、一般市民も冒険者も新作や掘り出し物がないか探すそうだ。
したがって、聖イリア王国で観光をするとしたらそこは絶対に外せない。
以上、神の知識より。
そんなわけで、俺も行ってみることにする。
「ほー。ここが魔導研究所かぁ……」
俺はその立派な建物を仰いだ。
ドーム型の巨大な建物だ。コロッセウムに蓋をしたような見た目で、出入り口には大勢の人が行き交っている。その中には俺のような観光目的の者もいれば、ローブと杖を着用した、いかにもな魔法使いもいる。
中に入ると、一番に目に飛び込んでくるのは大量の露天商だ。
ここはフリースペースとして開放されていて、各自が魔道具に関係するしないにかかわらず、申請で誰でも商売をすることができる。もちろん事前に申請が必要だが、かなり自由に売り買いできるらしい。
中には子供が売り手をしているものもある。俺と同じ黒い髪の少女を見つけた。顔立ちが違うから日本人っぽさは全く無いけど、まずあの店を見てみよう。
俺はその売場に近づいて、何を売っているのか見てみた。
……ふむ。見たこと無いものばかりだ。
売り場の少女が俺に気付いて顔を上げる。まだあどけなさの残る可愛らしい子だ。緑色のきれいな瞳をしている。肌は健康的な日焼け……もしくは褐色だ。年齢は十代の前半に見える。親の手伝いだろう、ご苦労なことである。
俺は気になった小さなモノを指差して、訊いてみた。
「やぁ、これは?」
「見て分からないの? キリクの実よ」
少女店主は奇妙なものを見る目を俺に向けた。見てわからなかったぜ。
キリクの実は毒々しい青紫色で、親指の先ほどの大きさだ。なめらかな楕円形をしていて、片側の中央がへこんでいる。赤血球みたいな感じだろうか。バイオハザードが起きたときの患者の血液を観察したらきっとこんな感じ。
非常に身体に悪そうだ。
「それで? これって何に使うんだ?」
「……お兄ちゃん、キリクの実を知らないなんて、……もしかしてお貴族さま?」
「あ、いや、そういうわけじゃないんだが……俺の故郷にはなかったからな」
嘘はついてない。貴族じゃなくて大精霊だからな。ところでお兄ちゃんって響き良いね。言葉遣いも普段通りで良いし、とっても素晴らしい。
「……これは食べ物と一緒に置いておくと、日持ちが良くなるの。パンとか豆ね。ねぇ、本当に知らないの?」
「ああ。うちの故郷じゃ食べ物は冷やしてたからな」
「……なんで冷やすの?」
「そりゃあ……」
……そう言われてみれば、なんで冷やすと保存が効くのか、俺にはよく分かっていない。冷凍すると長期保存が出来るのは何故だ? 凍ると細胞が壊れなくなる、みたいな話を小さい頃に聞いた気がするが、正しいかどうかも知らない。
冷蔵庫があったから、使っていただけだ。
適当を言うわけにもいかず、俺はそっと目をそらした。
「……昔から、そうすると良いって言われてたからだよ」
「ふーん? そうなんだ」
嘘はついていない。
まだ突っ込まれるかと思ったが、少女はその答えで納得したようだ。科学よりも昔からの伝統のほうが説得力を持つ世界なのかもしれない。そうするとキリクの実は、どういう効果で食品を保存するのだろう。疑問である。
反射的に購入意欲が湧き上がるが、俺はふと気づいた。
そういえば、俺お金持ってないわ。
冷凍庫で食品が長期保存できるのは、食品が凍ることで細菌が繁殖しなくなり、食品が腐らなくなるからです。その他にも食材の持つ酵素が活動しなくなることで、味や栄養価をある程度保つことが出来るのだそう。主人公が話していた「細胞が壊れない」は間違いです。実際には冷凍すると細胞の中の水分が凍ったときに膨張するため、むしろ壊れます。
主人公の壊れない、というイメージは、人間の急速冷凍保存などの研究のイメージからきています。