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9話 「かわいいのぅ」sideグレゴリウス

 私の名前はグレゴウリウス・デューク。

 栄光あるイルシャーナ聖光教会の総大司教の位を教主から任じられ、以来身を粉にして教会の仕事に精を出してきた。

 もう今年で五十五歳になる。歴代の総大司教としてはまだまだ若いが、そろそろ妻も子供たちも、私が無理をしているのではないか、と心配するようになった。それに大丈夫だと、笑って答えるが、内心では若い頃のようには動かなくなった身体に、歯噛みすることもしばしば。

 しかし、あの『快楽』の魔王の宣戦布告を聞きけば、動かざるを得ない。

 教主は私よりもずっと老いており、もはや戦場に立つことも難しい。であるならば、次に立つべきは総大司教の私だ。だが口惜しいことに私は守護魔法は得意でも、攻撃魔法の腕はあまり良くない。年齢のこともある。強大な魔王を相手に、私程度ではなんの防壁にもなりはしない。間の悪いことに、高名な神官たちは誰も似たような状況だ。

 我ら人類には力が足りなかった。なぜなら、勇者がいないのだ。


 常ならば神託が下され勇者が現れるのだが、今回に限ってその兆しがない。神は我々を見放したのだと、不敬なことを言い出す民衆まで現れる始末。時を追うごとに民の不安は大きくなる一方だった。

 北の大森林に向かった勇敢なコルネア辺境伯の軍の練度は素晴らしいと聞いていたが、その軍も魔王に一蹴されてしまった。

 王軍は数こそあるものの、ここ数十年の平和によって経験が少ない。加えて愚かないくつかの貴族がこれを機に権力を広げようと暗躍する現在の王都には、残念ながら『快楽』の魔王の軍勢を跳ね返すだけの力はないだろう。

 冒険者たちも国のために戦ってくれるそうだが、いかんせん人数が少ない。

 遠からず聖イリア王国の人民が魔王軍に飲み込まれるのは、誰にでも分かる未来だった。


 だからこそ、教主の許可を得て我々は最後の希望へ祈りを捧げた。

 そう、この国の成立以前からずっと眠り続けている、偉大なる守護神であるイディア様に縋るのだ。

 イディア様はずっと眠り続けているものの、これまで幾度も神託を下し、国の危機を救ってくださっている。

 もしも勇者を選ばないのならば、それはきっと何か理由があるのだろうが、我々も目前に迫る滅びを前に動かぬ訳にはいかない。

 かくして三日に渡る祈りの末、ついにその時は来たのだった。

 私は生涯忘れることはないだろう。


 赤く輝く、神々しい瞳が、私を見ていたのだ。

 その時は、一瞬何が起きているのかわからなかった。有史以来眠り続けていた神が、本当に目覚めてくれるのか、私は少なからず不安だったのだ。

 故に、それはどこまでも奇跡だった。

 直後、神の世界と人の世界の狭間に在ると言われるイディア様の全身を、美しい光が包み込んだ。

 まさしく、それは神の降臨だ。

 伝承によれば、神は子供の姿で現れるという。白く、穢れなき存在として。そして、我々との繋がりを示す、血と同じ赤い瞳をしているというが、実際にその瞳が赤いことを確認したものは、この世にいなかった。

 私が、最初にお目にかかることができたのだ。

 何たる栄誉。何たる幸運。

 感動に打ち震える私の前に、神はとうとう降り立った。

 祭壇の上には、もはや紛うこと無く目覚め、立ち、我らを見渡す神が居られるのだ。その美貌は直視することもはばかられるほどで、気を抜けば間抜けのように見惚れてしまうだろう。

 私はふと、その唇も赤いことに気付いた。伝承によれば神は性別などないそうだが、その唇はなんとも美しく、視線を離せられない。いや、唇だけではない。全てが美しすぎるのだ。


 ――ヤァ、ヨンダ。


 神は口を開き、声を発した。神の言葉だろうか。

 何という意味なのか分からない――まさか。

 その瞬間、私は背に嫌な汗をかいた。もしかすると、我々は神の言葉を理解できないのかもしれない。

 しかし、我々の不安を取り払うように、偉大なるイディア神は我々にも分かる言語で語りかけてくれた。


「あなた方のたゆまぬ信仰に、感謝を」


 ありがたい言葉に我々は感動に震えながら、頭を下げることしかできなかった。

 そして、神は我々の名を求めた。


「はっ。私めはグレゴリウス・デュークと申します。恐れ多くも総大司教の位に就かせて頂いております」

「そうか。グレゴリウス……卿。日々の祈り、ご苦労」

「ありがとうございますっ」


 緊張に震える声だったが、無事に感謝を述べることができた。

 私の胸のうちに歓喜が沸き起こる。

 遥かなるイディア神は人間の一人ひとりを識別していないのかもしれない。神の視点だ。おそらく、純粋なる祈りに対してのみ、その偉大なる御心は向けられるのだろう。私が日々の祈りを捧げていることは、ご存知のようだったことからも、おそらくそういった、超常の知覚をされていることは間違いない。

 我々の名乗りを静かに聞いていた神だったが、途中で僅かに表情を険しくした。

 ちょうどその時に名乗っていたのは、最近妻子を流行り病で亡くしたある神官だった。おそらく、その神官の助命の祈りを聞き届けることができなかったことを、慈愛に満ちた神は悔いておられるのかも知れない。

 その神官は名乗りを終えると、わずかに肩を震わせて、ひっそりと肩を震えさせた。神でさえ救えぬ……つまりは天命だったのだろう。神官もそれに気付いたのか、文句を言うことはなかった。一介の神官の妻子を、イディア神が気にかけてくれていた。ただそれだけを慰めに、涙を流したのだ。

 それは私だけではなく、この場の神官全員が感じ取ったのだろう。

 故に、確信した。

 神は、我々を見放してなどいない。何か、仕方のない理由があるのだ。きっと救ってくださる。

 その確信に背中を押され、私はイディア神に嘆願した。


「実は……大変に恐縮ですが、イディア様の御力を賜りたく、我ら神官全員でお呼びかけをさせて頂きました」

「お……私の力?」

「魔王が、我ら人類に宣戦布告したのです。しかし現在我ら人類には勇者もおらず……どうか、どうかお慈悲を。このままでは我ら人類は滅ぼされてしまいます」


 神は、どうやら無意識に神の言語を使ってしまいそうになるらしい。非常に喋りにくそうだった。言葉遣いがどこかぎこちないのは、おそらくそういった理由であろう。

 しばしの沈黙。何か、神は考えていらっしゃるようだった。


 ――もしや、我々の努力が足りないとお考えなのか!?


「イディア様、魔王は強力な四体の魔族を従え、恐ろしい魔法で東コルネア領の貴族軍四千を殺し尽くしました。我々の力だけでは、もう……」


 もし、本当に我らの努力不足であるなら、即座に謝罪し、全力を尽くそう。

 しかし、もはや本当に、我々人類は魔族へ抵抗する力はない。

 神は思い悩むようにしばらく目を伏せ、――かっと開眼した。


「マジカ!」


 飛び出したのは、神の言語だ。


「イディア様? マジカとは……?」

「……古い言葉で、恐れなどない、という意味だ」

「なんと。それは知りませんでした。忘れないように覚えます」


 なんとありがたいことなのか。神は我々に、恐れなどないと断言してくださった。これで助かる。きっと人類は助かる。もう、魔族を恐れることはないのだ。

 言いようのない安心感に満たされつつも、私ははっと意識を引き締めた。

 せっかくの神の言語なのだ。少しづつでも覚えなくては。

 マジカ、恐れなどない。マジカ、恐れなどない。


「グレゴリウス卿っ!」

「ま……はっ!」

「祝福を授ける。勇者候補を私の前に連れてくるのだ」


 私は驚いた。これまではわざわざ集めることもなく、神が何かしらの方法で神託を下していたものと思っていたのだが……もしや、勇者の器を持つ人物がいないのか?

 それを直接目で確認することで、見出そうと?

 私はイディア神の思惑を少しでも読み取ろうと、その表情を見るが、それを見た途端に思考が凍りつく。


 ――美しかった。


 イディア神は小さく微笑まれている。それは背後の壁画と同じ、否、それ以上の神聖さをもって眼の前に存在するのだ。

 あまりの光景に、周りの神官たちも目を奪われていたようだった。

 これが偉大なる神。我らが真に仰ぐべきイディア神なのだ。


「……私に、何か面白いものでもついているのか?」

「あ、い、いいえ……すいません」


 しまった。私はさっと頭が冷えた。

 あまりにも不躾な視線だった。恐れ多くも偉大なるイディア神を前に、その御姿をあろうことか凝視しつづけるなど、恐れ多いことであった。

 さっと視線を外す。私の背後からも、悔いたような声が漏れた。

 イディア様の表情はまた、もとの無表情に戻ってしまった。不敬ではあるが、私はそれにわずかながらの未練を感じていた。

 とはいえ、これ以上無様な姿を見せるわけにはいかない。

 私は表情を引き締めた。

 とはいえ、勇者候補を連れてくるには時間が必要だ。


「イディア様。誠に申し訳ございませんが、勇者の候補集めに時間を頂きたく存じます。突然のことですので、まず告知して多くの者に知らせなければなりません」

「……無理に急ぐことはない」

「はっ」

「グレゴリウス卿」

「はっ」

「時間がかかるのだろう?」

「はい。誠に申し訳なく思います」

「いや、突然のことだから仕方ない。それより、私はこのあたりを見て回りたいと思うのだが、どう思う?」

「そ、それは……神殿の中を、ということですか?」


 その欲求は驚くべきものだった。しかし、即座に考えを改める。

 なぜ自分は、神はここから動くことはない、と思っていたのだろうか。

 そうだ、せっかくお目覚めになったのだ。きっと自分の目で見てみたいとお思いになったのだろう。偉大なる神のお考えを、私が否定することはないのだ。

 だが、問題が一つある。

 民衆だ。勇者を選ぶのは神であるということは広く知れ渡っている。現在の状況下でイディア神がそのまま市街に出れば、即座に民衆がすがりついてくるのは想像に難くない。

 もしその中に、なにか不心得者がいたら……狂人の類だ。可能性は皆無ではない。そしてもしも、その愚か者に神がお怒りになれば……人類は終わりだ。

 しかし、なんと説明をしたら良いのだろう。

 ……神を待たせるわけにも行かず、私はなんとか言葉を紡ぐ。


「いえ、イディア様が市井にお出かけになることは……少々民に刺激が強いかと……」

「そうなのか?」

「その、感極まった民たちがどう反応するか、我々にも予想がつかず、万が一の事があれば危険かと……」


 苦しい言い方になってしまったが、幸い神は機嫌を損ねることはなかった。

 それどころか、名案を思いついた、とばかりに目を輝かせる。

 ……自らの仰ぐべき神を相手に不敬な考えではある。あるのだが。私はその姿を見て、市井の童子を連想してしまった。


(……神さま、かわいいのぅ)


 なんというべきか、表現しづらいそのこころは……孫を見る祖父の気持ちだ。


「つまりは、私の姿を変えれば良いということではないか」

「イディア様?」

「まぁ、見ておれ」


 そういう間に、またもイディア神の身体を光が包み、気づけば身長が高くなっていた。


「おお、イディア様が成長なされた……」

「どうだ? これで私とはわからないのではないか?」

「いえ、まだ難しいかもしれません……白い髪に赤い目というのは有名ですので」


 そうだ、特徴的な髪も目も、目を引くだろう。お顔そのものはお変わりないのだから、目ざとい民衆に気付かれる恐れがある。


「なら、髪の色も染めてみるか……どうだ? 黒くしてみたぞ」

「は……それならなんとか」


 肩までに揃えられた髪がさっと一瞬にして黒に染まった。

 なるほど、真逆の色ならば……簡単には気づかれないだろう。


 身長が高くなり、髪は黒く染まった。白い服は目立つが、実はその衣服は古くから神聖な衣装として、民衆が似たようなデザインの服を作っているため、それほど目立つことはない。

 私はもう一度イディア神を見て、頭を下げた。


 ……子供のお姿のほうが、可愛らしいのにな。


 私は心の中でそんなことをつぶやいてしまうのだった。

 そしてイディア様をお見送りした後、私は護衛の神殿騎士数名を付けるように兵士に命じ、勇者候補を各地へ広げるために、神官たちと打ち合わせた。

別人視点の場合、今回のように同じ場面を別視点から書く流れと、全く主人公のいない状況の2パターンを考えております。近い内にアイクかケティ視点も書こうと思っていますが、その時は主人公のいないパターンを想定しています。読みにくかったり、話が進まずに退屈だと感じる方がいらっしゃいましたら、一報下されば調整しますのでよろしくおねがいします。

グレゴリウスもゆるーくしていきます。

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