リンカサイド3
腐った生ごみのような悪臭がほんのり漂うスラム地区は、私が住んでいる西区以上の迷路でした。
バリケードの外に立っていた建物も、統一感がなく無秩序な作りでしたが、ここはこれ以上です。
道のど真ん中に建物が立っていたり、倒壊した建物がそのまま放置されていたり、壁が壊れている建物も多く、むしろ壊れていない建物の方が圧倒的に少ないです。
私は比較的大きな道を周囲を警戒しながら進んでいます。
大きな道なら誰か人がいるかもしれませんし、道にも迷いずらいですからね。
でも今のところ人の気配は感じられません。
「みんなどこにいるのでしょうか?」
解体を行っている業者の人たちと、それに反対している子供たちがいるはずなのですが、この辺りにはいないのでしょうか?
子供たちや解体はここから離れた所で行われているのかもしれませんね。
スラムに入って10分ほど経ちましたが、もうこの辺で引き返した方がいいかもしれません。
これ以上進むと道が分からなくなりそうですし、この辺りには人がいなさそうですから。
そう思って私が来た道を引き返そうとしたとき、少し先の曲がり角に影の様なものが一瞬見えました。もしかしたら人かもしれません。
私は急いでその影を追って曲がり角を曲がりました。
「あ、あれ? 誰もいない?」
曲がり角の先はすぐに行き止まりになっていました。少し大きめの家の塀が道を完全に塞いでいたのです。
これでは先に進めません。さっきのは気のせいだったのでしょうか?
すると今度は私が歩いて来た道の方からはっきりと足音が聞こえてきました。それも複数です。
足音は次第に大きくなっていて、こっちに近づいてきているようです。今度は間違いなく人に会えそうですね。これで手ぶらで帰らずに済みそうです。
私は曲がり角から出て足音のする方へと近づこうとしました。しかし。
「んん!?」
突然家と家の間の細い隙間から手が飛び出してきて口を塞がれてしまいました。
余りに突然だったため、私はとっさに対応できずそのまま狭い隙間へと強引に引きずり込まれてしまいました。
い、一体何が!?
「静かに。連中に見つかってしまいます」
「騒いじゃだめだよ?」
「ん。静かに」
「え? え?」
引きずり込まれた狭い隙間にいたのは、兎の耳を生やしたお姉さんと、私より少し年下に見える狸のような耳と狐のような耳を生やした女の子でした。
3人は引きずり込んだ私に特に何をするでもなく、外の様子を伺っているようです。
状況はよくわかりませんが、とりあえず悪い人たちには見えませんし、私は言われた通りに静かに身を潜めました。
すると、先ほどまで聞こえていた足音がかなり近くまで近づいてきていたようで、男性の話し声が聞こえてきました。
「おい! 見つかったか!?」
「いねえ! そっちは?」
「こっちもだ。仕方ねえ。場所を変えるぞ。お前はあっちを探せ!」
「分かった!」
会話はすぐに終了し、足音も段々遠ざかっていきました。
足音が聞こえなくなったところで、私を引きずり込んだ3人は安堵の溜息をつきました。
「行っちゃったね」
「よかったー。見つからなかったみたいだよー」
「キキ、油断は禁物ですよ。それに貴方も。危機感が薄すぎですよ」
「え? 危機感?」
「スラムがこんな状態なのに堂々と道の真ん中を歩くなんて自殺行為ですよ」
えっと? この人は何を言っているでしょう?
兎耳のお姉さんはとても真剣な表情で私に注意してきました。でも、こんな状態と言われても今来たばかりの私には状況が分かりません。
「おや? あなたその服、スラムの子供ではないのですか?」
お姉さんは私の服装を見て、私がスラムの子供ではないと気づいたようです。
別に高級な服など着てはいませんが、3人が来ている服はかなりボロボロになっていて、至って普通の服装である私を見て違和感を覚えたようです。
「はい。私はついさっきここに来たのです。あの、宜しければ何が起きているのか教えてもらえませんか?」
「ついさっき!? お姉ちゃん外から来たの!? 出口があるの!? どこ? 教えて!」
狸耳の女の子が急に私に顔を近づけて矢継ぎ早に質問をしてきました。とても鬼気迫った様子でしたが、私が返事をするよりも早く、お姉さんが女の子の襟首を掴んで持ち上げてしまいました。
「キキ、静かに。まだ近くに連中がいるかも知れません。大声は控えなさい」
「はあい」
注意された女の子はお姉さんに脇に抱えられたままうなだれるように大人しくなりました。
お姉さんは隙間から顔を出して周囲を警戒した後、私の所へと戻ってきました。
「とりあえず周囲には誰もいないようです。それで? あなたの事情を話していただけますか?」
私はここに来るまでの経緯を3人に話しました。
私の説明が終わると、今度はお姉さんが事情を説明してくれました。
その説明によると、突然現れた謎の集団がスラムの子供たちを次々と攫って行っているようです。にわかには信じがたいですが、お姉さんの表情は真剣です。とても嘘をついている様には見えません。
「自己紹介が遅れましたが、私の名はネネです。こちらは妹のキキとララ」
「よろしく~」
「よろ~」
兎耳を生やしているのが、真面目そうなネネさんで、狸耳なのが元気いっぱいのキキちゃん。そして少し気だるげな雰囲気の狐耳のララちゃん。
3人のあいさつの後に私も軽く自己紹介をして、話を本題に戻しました。
「あなたが入ってきたと言う場所まで案内していただけますか? そこから外に出られるかもしれません」
「わ、分かりました。任せてください!」
予想外の展開ですが、ネネさんたちの言うことが本当ならすぐにアルネロさんに知らせないと。
私は3人を連れて、入って来たバリケードの方へと向かいました。
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リンカがバリケードの隙間からスラムへと潜入していた頃、店の片づけを終えたドクは店先でリンカの帰りを待っていた。
「おっせえなあ。そんなに時間のかかるものじゃねえはずなんだが? やっぱりスラムでなにかあったのか?」
リンカの事は信用しているし、近頃のリンカの成長はドクもちゃんと把握している。定期的にクーティから報告を受けていて、ちょっと優秀過ぎると言われているぐらいだ。
リンカが以前よりも熱心に魔法の腕を上げようとしている理由の1つに蒼真が関係しているであろうことがドクとしてはどことなく気に入らなくはあるが、娘の成長自体は素直に喜んでいる。
だが、それはそれ。これはこれ。
自他ともに認める親バカであるドクが、スラムに向かったリンカの帰りが遅いとなればじっとしてる時間はそう長くはない。
次第に日が沈みかけて辺りが徐々に暗くなり出していることもドクを焦らせる原因になっていた。
(やっぱりスラムでなにかあったのか? 最近はあのあたりの治安もかなり改善されてきてるってアルネロのやつが言っていたから信用してリンカに買い物を頼んだが。あの野郎嘘ついたんじゃねえだろうな?)
勿論アルネロは嘘などついていない。ゴブリンの襲撃以降人の減ったスラムの治安は劇的に改善されている。
しかし、リンカが一向に帰ってこないことに危機感を覚えている今のドクは、付き合いの長いアルネロの言葉すら信用できなくなってきていた。
結果的にはアルネロは嘘をついてはいないものの、リンカを危険な目に合わせているので、アルネロを疑うのは合っているわけだが。
「やっぱこれ以上は待てねえ。向かいに行くか」
沈みかけている夕日を背に、ドクはスラム地区へと向かった。
その頃、リンカの帰りを待っているアルネロとレオナルは。
「ぶえっくしょい!」
「うわ! 汚ったない! 人に向かってくしゃみしないでくださいよ!」
「おう。悪りい、悪りい。なんか今背筋に怖気が走ってな」
「ドクさんでも近づいてきてるんじゃないですか?」
「ははは。まっさかー。いくら何でもこんなすぐには来ないだろう」
彼らの元にドクがたどり着いたのはこの後すぐであった。




