魔導書
もう地球に帰れない。
神様から告げられたのは俺の望んでいたものではなかった。
正直この3人が神様だというのはもう信じていたし、疑ってもいなかったが。
だからこそ神様パワーとかでちゃんと地球に帰してもらえるものだと思って楽観視していた。
「突然のことですから混乱なさるのは当然かと。本当に申し訳ありません」
「なんで地球に帰れないんですか? 神様なんでしょ?」
俺はメルティオール様がどこからか出してくれた雑巾でさっき吹き出したどら焼きを掃除しながらアルテイシア様に質問した。
「わたくしたちがミノタウロスの死体を回収したとき、あなたは死にかけていましたが、まだ生きていました」
「ほかのやつらはミノタウロスのせいで完全に死んでいたが、おまえさんは運よくミノタウロスがクッションの役割をして一命を取り留めていた。とはいえあのままじゃ確実に死んでいただろう。他の犠牲者たちのように転生させる手もあったんだが一つ問題があった。お前をそのまま転生させれば魂に深刻なトラウマが植え付けらえれる可能性があったんだ。ほら、前世の記憶とか言うだろ? それだけミノタウロスとの戦闘でおまえの精神は傷ついていたんだ。そこでアルテイシアと相談して勝手ながらおまえさんを回収して治療した」
「わたくしは治癒と癒しを司る女神ですので、蒼真殿の治療はすぐに済ませることができました」
「今のおまえさんは健康そのものだ。だが健康になったおまえさんを地球に返すことはできない。俺たち神々にも様々な制約や縛りがあんだよ。今回の場合はアルテイシアの治癒の力はアルテイシアが管理している世界じゃないと使えないというものだ」
「強大な力を持つ神ゆえに、その力の使用には特に制限が多いのです。破ってしまえば世界に何かしらの影響を与えてしまいます」
「えっとつまり。今いるこの空間はアルテイシア様の管理する世界ということですか?」
「いえ。ここはわたくしたち神々の長を務めていらっしゃる主神メルティオール様の管理している空間です。この空間は特別なもので異なる世界の間の空間。亜空を自由に移動できるのです」
「今回の事をメルティオール様に説明してアルテイシアの管理世界にこの空間を運んでもらったんだ。そして転移したおまえさんをこの空間に呼んだ。正確にはアルテイシアの管理世界にこの空間が横づけされている感じなんだがな。治療だけして何も説明せずに異世界に放り投げるなんてマネ出来ねえからな」
「今から地球に転移させてもらうことはできないのですか?」
「無理だ。上を見てみろ」
アイギス様に言われて上を見るとそこには巨大なチューブのようなものがあった。透明なチューブのなかにはキラキラと光る砂のようなものが流れている。
「あれはメルティオール様が転移のために作られた特殊な道。転移経路です」
「お前もあの中を通って来たんだ。中に光ってるのがあんだろ? あれは転移の流れを表してる。転移経路は一方通行。途中で引き返したりできない。そして一度あの中を通るともう転移経路には入れない。正確には魂が耐えられない。お前をアルテイシアの管理世界から地球行きの転移経路に入れればおまえの魂は完全に消滅する」
「転生後にまともな生活が送れないとわかっていながら見殺しにすることが、わたくしたちには出来ませんでした。あなたがそれを望んでいるかもわからないのに」
「しかもアルテイシアの世界はさっきも言ったがモンスターとかがいる危険な世界だ。正直日本育ちのおまえさんにはしんどいだろう。それでもおまえをこの世界に勝手に転移させたのは俺とアルテイシアの勝手な判断だ。すまない」
「つまり俺を助けるには転移して異世界に行くしかなかったってことですか?」
「お前に深刻なトラウマを植え付けて転生させるよりはその方がいいだろうと勝手に判断した」
「そのトラウマってそんなにひどいものなんですか?」
「転生すれば記憶はリセットされるからミノタウロスのことは忘れるが、魂に刻まれた恐怖と怒りは消えない。突然理由のわからない絶望的な恐怖に襲われたり、身を焦がすような怒りの衝動に駆られたりしていただろう。しかもそれは何度転生しても消えることはない。まともな日常生活を送れない暮らしを死んで転生するだびに味わうことになる」
「それは・・・・きついですね」
俺が助かるには異世界に行くしかなかった。そういうことか。
もう誰にも会えない。
もう地球の大地を踏むこともできない。
でもその代わりに俺は今健康に過ごすことができている。
なら神様に文句を言うのは間違っているだろう。
知り合いに別れの言葉くらい言いたかったが、別れと言うのは突然来ることもある。
俺はアルテイシア様とメイギス様に感謝の気持ちしかない。間違っても恨みなどない。
2人の判断は正しい。
俺は自分の気持ちをそのまま2人に伝えた。
「ありがとな。そう言ってもらえると気持ちがいくらか楽になる」
「ありがとうございます」
2人は揃って俺に頭を下げて感謝してくれた。
「ちなみに魂の傷もアルテイシアが治したからもう転生してもトラウマになることはないぞ。まあ次に転生するときはアルテイシアの管理世界での転生になるがな」
「その時は可能な限り希望に沿った転生を行いますから。王族の子供でもドラゴンの子供でもなんでも仰ってくださいね」
「ま、まあ、考えておきます」
転生先を自分で選べるなんてとんでもない権利を貰えたなあ。
次に死ぬのが楽しみだ。・・・・・・とはさすがにならないけどね。
「どれ、蒼真君の現状の説明はこれで終わったかの? では最後に蒼真君のこれからについて話すとしよう」
今まで静かに話を聞いていたメルティオール様が次の話題を振ってきた。
俺のこれから。つまり異世界での生活か。
「君がアルテイシアの管理世界で生きていくうえでどうしても話さなければならんことがある。それは、蒼真君は魔法やスキルを習得することが出来ないということだ」
「えっ? それって重要なんですか? てゆうか魔法だけじゃなくてスキルもあるんですか?」
「うむ、ある。魔法はともかくスキルが習得出来んのはかなりまずい。なんの仕事に就くにしてもスキルの有無は大きい」
スキルなんて補助的なものでしかないんじゃないのか?
俺はその程度にしか思っていなかったがメイギス様が説明してくれた。
「例えば服を作るなら裁縫スキルの習得は必須だ。努力すれば裁縫スキルに匹敵する速度で縫物をすることも出来るが、時間がかかりすぎる。寿命が長い種族ならまだしも人間の寿命でいちいちなにかするたびにスキルに匹敵するレベルまで努力してたら時間が足りないし、ほかの人間だってスキルを持ってなくてスキルに匹敵する速度で仕事ができないやつを雇ってはくれないだろう」
なにそれ、スキルってずるくない? うらやましい。
つまり服作りのプロの中に俺が急に入っても戦力になんかなるはずがない。だけど裁縫スキルを覚えられればその差をある程度一気に縮められる。
でも俺はスキルを覚えられないから他の人の何倍も努力して時間をかけないといけない。
確かにそんな役立たずいても邪魔だな。
下手すれば一生雑用係とかになりそう。
「地球生まれの地球育ちが急に魔力を感じ取って操作したりできるはずがないからな。そもそも魔力を操作するための体内器官を備えてないし、スキルもその世界出身の生物に対して与えられるものだから地球生まれのおまえにはスキルは与えられない」
「あの、皆さんに授けてもらうというのは出来ないのですか?」
「無理だな。俺たちが直接スキルとかを授けられるのは勇者とかの一部の才能のある者だけだ。一般人のおまえじゃ耐えられない」
「詰んだ」
転移して人生イージーモードとか、ラノベのよくあるパターンだよね?
俺の人生ベリーハードすぎ。
これじゃトラウマ人生の方がましだったか?
しかし、その時俺の脳内に名案が浮かんだ。
「わざと死んで転生するのはどうですか? ちょっと怖いですけど。それならいけるんじゃないですか?」
「あー、説明不足だったな。さっき転生しても大丈夫と言ったが正確にはもう少し時間がかかる。なんて言えばいいか。要するにアルテイシアの管理世界の人間はアルテイシア産の魂を持っていておまえさんの場合は俺。メイギス産の魂を持っているんだ。アルテイシアがおまえを転生させられるようになるにはおまえの魂がアルテイシアの管理世界になじむ必要があんだよ。まあ普通に生活してもらえればそれでいいんだが。逆に言えばおまえの魂がなじむまでは今のまま生活してもらうことになる。大体30年ぐらい過ごしてもらわんとならねえ」
「30年! その間に俺が死んでしまったらどうなるんですか」
「俺がアルテイシアのとこまで出向いておまえを転生させる」
「なんだ良かった」
「ただし! 無理やりの転生になるから人間以外の生物への転生はできないし、やっぱり魔法やスキルが使えない。途中で死んでも転生させてやれるが魔法やスキルを使えるようになるにはどうしても合計30年はかかることになる」
「じゃあ転生しても意味がないと? あ、でも王子様とかに転生すればスキルとか使えなくても生きられるんじゃないですかね?」
「スキルを持たず魔力も操作できない王族はおそらく暗殺されるか存在を秘匿されるなどの扱いになるかと。結局人間に転生する以上どのような立場になろうとも、スキルを習得出来ないのであれば悲惨な人生を歩む可能性が高いかと」
「・・・・・山にこもって仙人のような生活でも送ろうかな」
「お前に山で一人で生きていけるだけの知識とメンタルがあればな」
「・・・・・・」
「おっほん! そこで蒼真君にはこれを与えよう」
落ち込んでいる俺の前にメルティオール様が一冊の本を置いた。
表紙に幾何学模様が描かれたその本は中二心をくすぐるようなデザインだ。
「あの、これは?」
「それは魔導書。その本が君の代わりに魔法やスキルを習得してくれる。本に触れてみてくれ」
俺はメルティオール様に言われた通り魔導書に触れてみた。すると
「なんだろう。体がポカポカしてきた。なんか気持ちもすっきりしてきたような」
魔導書に触れると俺の体になにかの変化が表れ始めた。
そして変化は魔導書にも表れた。
魔導書がひとりでに宙に浮かんで白銀色に光りだした。
俺はその幻想的な光景に目を奪われた。
光は徐々に俺と魔導書の間に集まっていき、やがて俺と魔導書をつなぐ白銀色に輝く鎖が表れた。
俺の胸に鎖がつながっており、反対側の鎖は魔導書の背表紙に繋がっている。
痛みはない。ただ、今俺と魔導書はつながった。
本能とでも言えばいいのか。ただ漠然と俺と魔導書につながりのようなものを確かに感じた。
次第に光は弱まり、鎖もいつの間にか消えていた。
「成功じゃな」
「あの、今のはなんだったんですか?」
「お主と魔導書は命同の関係になった」
「めいどう?」
「命を同じくする者同士になったのだ。お主が死ねばこの魔導書は消滅し、この魔導書が消滅すればお主は死ぬ。その代わりに魔導書はお主に力を与える」
「スキルと魔法の習得が出来るようになるのですか?」
「そうじゃ。まあ魔導書の使い方はすぐにわかるようになる。魔導書がお主に伝えてくれる」
「メルティオール様、そろそろ」
「時間か」
「時間?」
「お主がこの空間にいられる時間じゃよ」
「人間の魂じゃこの空間には長居出来ないんだよ。そろそろおまえの異世界デビューの時間ってことだ」
「名残惜しいがここで蒼真君にしてやれることはもうない。あとはその魔導書と一緒に頑張ってくれ」
「あなたの新たな人生を見守っております」
「おまえはもう俺の管理世界の住人ではないが俺も時々おまえのことを見守ってるぜ」
「え? そんな急に。あ、体が」
俺の体が足元の方から段々と透けてきた。
ああ、おしゃべりの時間は終わりか。
急に異世界なんかに行くことになってまだよく気持ちの整理がつかないけど。
だけど。
取り合えず。
「どら焼きお土産にもらって行っていいですかね?」
「おお! 構わんよ遠慮せずに持っていきなさい」
「まだどら焼き食うのかよ!」
「わたくしの世界に蒼真殿のお口に合うものがあればよいのですが」
「お前はお前で心配しすぎだ。アルテイシア」
「では遠慮せずいただきますね」
「おま! ちゃぶ台の上のお菓子全部持ってくのかよ!」
「お世話になりました!」
「待て! 俺にもどら焼き一個置いてけ」
「達者でのう」
「たくましく生きてくださいね」
「はい。ではさようなら」
「俺を無視してんじゃねえ! って行きやがったし」
とりあえず異世界に行ったらまずはお菓子パーティーだな