幕間劇 暗躍する影
「これは予想外だな」
赤黒く変色した地面。
周囲に充満する強烈な腐臭。
黒いローブで顔を隠した男はそんな周りの状況に興味を示すことなくミノタウロスの落ちていった崖を覗いていた。
「とんだ期待はずれだったな。なにもしない内にあんな小僧に殺されるとは。いや、ここはあの小僧を称賛すべきか? 平和のぬるま湯に浸かりきったこの世界で一応はミノタウロスを倒して見せたのだから。醜い戦い方だったが」
男は山の頂上に積まれている10数人分の死体をその目にしていても尚、ミノタウロスは何もしていないと言い切った。
男はミノタウロスによる被害はこの数百倍の規模になると予想していた。
だが1人の人間の勇気によってそれは阻止された。
「俺の計画を狂わせた罪は重いぞ小僧。本命の計画は成功したとはいえ、その後のミノタウロスの殺戮ショーを少し楽しみにしていたというのに。どうせあの小僧はあいつらが回収しただろう。ならこの世界かあちらの世界でまた会う可能性もなくはない。その時はこの俺の楽しみを邪魔した報いを受けさせてやろう。ん?」
男は崖から視線を外し後ろを向いた。
その方向には山の頂上への登山道がある。
「だれか来たか。もうここに用もない。消えるか。・・・・・いや、どうせならこの不満の感情を少し発散して行こう」
ミノタウロスの殺戮ショーの出来栄えに不満の男は、この感情を発散しようと頂上に向かってくる数人の人間を殺してから帰ることを思いついた。
「多少死体が増えたところでどうせこの世界なら未解決の事件として処理されるだろう。まあどう処理されようと俺には興味がないが。くくっ、どう殺そうか。身を隠して長いからな。最近は自分の手で人を殺していなかったな」
男の人間離れした知覚は頂上に向かってくる人間の動きを完全に把握していた。
まるでこれから散歩にでも行くかのような気軽さで、男はこれからどう人を殺すか考えていた。
しかし、頂上に向かってくる人間たちとの距離が近くなってから男は気づいた。
「この感じは? いるのか? 間違いない。向かってくる奴らの中に感じるこの気配・・・・ふむ。ここで下手に手を出して覚醒されたら面倒か。はあ、今日はつくづくついていないな。帰るとしよう」
向かってくる人間たちの中から何かを感じ取った男は予定を変更してすぐに帰ることにした。
男の右手の人差し指にはまっている赤い宝石の様なものがついた細かな装飾の施された指輪が一瞬輝き、男の足元に光る紋様。魔法陣のようなものが出現した。
「ミノタウロスの予定外の死亡。それを実行した男。そしてこちらに向かってきているあの者の存在の確認。やはり計画に予定外は付きものか。だが少しはいいこともあったな。予定外の事態が起こることもある。計画をより完璧に仕上げなければいけないと再認識できた」
足元の魔法陣がゆっくりと上昇していき、魔法陣より下の男の体は消えていった。上昇を続ける魔法陣は男の頭の上まで到達し、やがて魔法陣は消え、そのころには男の姿は消えていた。
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「先輩! 無事ですか? せんぱーい!」
男が消えてすぐに歌恋が数人の男性を引き連れて山の頂上に来た。
「なんだこの惨状は!?」
「おえっ! ひどい匂いだ」
「生存者はいないのか! だれかいたら返事を!」
歌恋が連れてきたのはこの山の巡回警備をしている者たちだった。
悲鳴を聞きつけやってきた彼らは歌恋から事情を聴き、この山に熊などの危険な動物はいないと説明した。
ならば自分が頂上に行っても大丈夫なはず。
歌恋は深く考えるより先に頂上に向かって走った。
しかしそこに思い人の姿はなかった。
「先輩? どこですか? 先輩! 先輩! せんぱーい!!」
その日、世間を揺るがす事件がテレビで報道された。
地元で有名な山の山頂で起きた原因不明の死亡事件。
様々な憶測が流れたが原因の特定はできず未解決の事件として処理された。
しかし、その事件で唯一死亡が確認されず行方不明となった人物を、きっとまだどこかで生きていると歌恋は信じ続けていた。