狂信者
その日も男は、汚れた外套を身にまとい、汚い路地裏を歩いていた。
喉を潤せれば、泥水でも飲み、空腹を凌げるのなら、多少暴力を振るわれても男は絶えた。
そうして男は、日々を我慢の連続で過ごしていた。
全ては、妻に裏切られたから。
この世で一番信用していた、愛し合っていると信じていた妻は、男の財産を持ってどこかに逃げた。
今頃はどこで何をしているのかわからない。
もう妻に向ける愛など男には残っていなかった。
男は世界の全てを憎んでいた。
なぜ誰も助けてくれない!
なぜみんな俺を蔑むような目で見てくる!
なぜ俺は今、こんなに惨めな思いをしているんだ!
底なしの沼にはまるように、男の心は負の感情に沈んでいった。
その日、男は街の若い男性たちに暴力を振るわれた。
理由なんてない。ただ、若い男性たちは持て余している体力を、男に暴力を振るうことで発散していただけだった。
汚い路地裏で、もっと汚い男が倒れ伏した。
男が目を覚ますと、目に前に誰かがいた。
ボヤつく視界で顔は見えなかったが、その人は初めて男に優しく接してくれた。
その人は男にこう言った。
「君は世界が憎くないかい? こんな世界、壊したくないかい?」
男は、その言葉に心を救われたような気がした。
自分だけじゃない。この世界を恨み、壊したいと願っている者は自分以外にもいた。
男は、その人の考えに賛同した。
男はその日、住み慣れた路地裏から姿を消した。
数日後、男に暴力を振るっていた男性たちが変死体となって街の路地裏で見つかった。
ある者は全身を鋭利な刃物で切り刻まれ、ある者は体がぺしゃんこに潰され、ある者は体中に穴が開いていた。
それを実行した者は、男性たちに暴力を振るわれていたあの男だった。
男は愉悦の表情を浮かべ、自分が手にした力に酔いしれ、自分に力を与えてくれたお方に、絶対の忠誠を誓った。
こうして男は道を踏み外した。
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化け物の姿に変貌した男を倒したリンカとハドルは、今だ倒れ伏している男をどう扱うべきか考えていた。
「この人どうしますか?」
「街がこんな状況だからね。北門の近くの小屋にでも閉じ込めておこうか」
ハドルが男を背負い、2人は北門へと戻っていった。
「ハドル先生! リンカちゃん! 2人ともどこへ行ってたんですか!? みんな心配していたんですよ!?」
2人が北門の近くまで戻ると、2人に気づいた人たちが心配して集まってきた。
突然姿を消し、見知らぬ男を抱えて帰ってきた2人に質問が殺到した。
「その抱えている人は誰なんですか?」
ハドルは倒した男を肩に担いでいた。
リンカは事のあらましをみんなに説明して、ハドルは気を失っている男を小屋へ運んだ。
動けないようにロープで縛りつけ、小屋に男を寝かした時、男が目を覚ました。
「ここは? どこだ?」
「目が覚めたかね?」
「そうだ。俺は、・・・・負けたのか」
「ここでおとなしくしていなさい。戦いが終わったら君には聞きたいことが山ほどある」
「夢を見ていたよ」
「夢?」
「俺の昔の夢さ。惨めな生活をしていたころの夢」
「・・・・・」
「俺が間違っていた」
「今更後悔してももう遅い。君は取り返しのつかない過ちを犯したのだ」
「いや、まだ間に合う」
「なに?」
「俺が間違っていたんだ。俺が優先すべきはあの方に認められることではなく、あの方に喜んでもらうことだった」
「何を言っているんだ?」
「そうだ! 最初から、やり方などに拘っていたのが間違いだったんだ! 俺の全力! 俺の持つすべてを使って、この街を破壊すべきだったんだ!」
「きさま! 今すぐその口を閉じろ!」」
「まだ間に合う! 俺にはまだ、あの方から頂いたもう一つの物が残っている!」
「何をする気だ!」
「破壊だ! 破壊破壊破壊破壊はかいいいぃぃーー!!」
男の様子は尋常ではなかった。まるで理性が崩壊しているようにハドルには見えた。
突如、男の下の地面が真っ黒に染まった。
まるで底なしの穴のようなその黒の中に、男の体は沈んでいった。
「待て!」
ハドルはとっさに男を掴もうとしたが、あと一歩及ばず男に逃げられてしまった。
「しまった!」
1人小屋に取り残されたハドルは、危険人物が逃げ出したことを兵士たちに伝えるために、急ぎ小屋から飛び出した。
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ファウードの北門の外では、今だ激しい戦闘が続いていた。
常駐軍は防衛に専念して、迫りくるゴブリンたちから門を守り続けていた。
兵士たちの防衛線の外側で戦うドクたちも、次々とゴブリンたちを倒し、その数を減らしていった。
体力の消耗は隠しようがないが、それでも、ゴブリンの街への侵入は阻止し続けていた。
そんな戦場を眺めているのは、先ほど逃げた男。
拘束していたロープもすでに外し、男は戦場を見渡していた。
「違う! だめだ、だめだ、だめだ! 早く街を破壊してあの方に喜んでいただくのだ!」
リンカたちに負けたことで、精神のタガが外れた男の狂気はもはや暴走の一途を辿っていた。
男は、使うことはないだろうと思っていた最終兵器を狂気に身をゆだねて、使うことを決めた。
男の足元に、先ほどと同じ黒い円が浮かび上がった。
先ほどより大きい黒い円からは、何かの生物の雄たけびが聞こえてくる。
「開け! シャドウゲート!」
男の胸に埋め込まれている魔石が一瞬黒く光ると、黒い円はその大きさをさらに3倍近くにまで広げた。
「さあ出てこい! 暴食の化身グラトニードラゴン!」
「GLRAAAAAAAAAA!!!!」
シャドウゲートの中から出てきたのは、20m近い大きさのドラゴンだった。
ごつごつしたどす黒い肌に、背中にはノコギリの刃のように尖った背びれ、鋭い爪の付いた太い腕、二本足で地面に立ち、背中に翼のようなものはない。
ドラゴンの中でも恐竜種と呼ばれる、飛行能力が完全になくなり、地上戦に特化した凶暴な性格のドラゴンである。
このグラトニードラゴンこそが、男の最終兵器だった。
突如戦場に現れたグラトニードラゴンは、離れた所にいた兵士たちや、ドクたちからもはっきりと見えた。
「あれはグラトニードラゴン!? 暴食の化身と呼ばれるAランクのモンスターじゃねえか!」
「なんであんなのが突然出てきたの!? まずいわよ!」
疲弊した今の常駐軍やドクたちに、グラトニードラゴンとまともに戦う余裕などなかった。
しかし、ここで戦わなければ街が滅ぼされる。
ドクとダリアは、グラトニードラゴンの元へと駆け出した。
戦場に突如表れたグラトニードラゴンは全身に傷を負っていた。
傷のせいか動きも鈍く、倒すなら今しかないと、ドクとダリアは全速力で走った。
男と同じように、胸に大きな魔石をはめ込まれているグラトニードラゴンは、目の前に大勢いるゴブリンたちを無差別に食べだした。
この暴食こそがグラトニードラゴンの力の源。
モンスターの中には、生まれつきスキルを身に着けている個体がいる。
オリジンスキルと呼ばれる、一部のモンスターのみが持っている強力なスキル。
グラトニードラゴンもその一種。
オリジンスキルグラトニー
生物鉱物あらゆる物を食料として食べることができ、摂取した物からエネルギーを吸収してしまう。
その結果、グラトニードラゴンの全身の傷はみるみる内に回復していき、ドクたちが駆けつけた頃には完全に全身の傷が癒えてしまった。
ゴブリンという食料が豊富に存在するこの戦場では、グラトニードラゴンは何度でも回復することができる。
この戦場は、まさにグラトニードラゴンを暴れさせるには最高の環境だった。
「いいぞ! グラトニードラゴン! これで捕獲した際に与えた傷も完全に癒えた!」
「くそ! とんでもねえスピードで傷が回復していったぞ!」
「あれがグラトニードラゴンのオリジンスキルグラトニー。聞いていた以上に厄介ね」
ドクたちもグラトニードラゴンと遭遇したのは初めての経験だった。
そもそも恐竜種のドラゴンは、気性が荒すぎて見境なく暴れることから、発見の報告を受けると真っ先にガーディアンが駆逐している。
今では恐竜種のドラゴンの目撃例は滅多にない。
「ふははははああ! 暴れろグラトニードラゴン! ここにはいくらでもゴブリンがいるぞ! お前が負けることはない!」
男はグラトニードラゴンの右肩の上に立っており、グラトニードラゴンに指示を出していた。
グラトニードラゴンは自分の肩の上に立っている男に危害を加えるようなことは一切していない。
ただ、男が命令するたびに、男の胸の魔石とグラトニードラゴンの胸の魔石が、呼応するかのように黒く光っていた。
「おるあああ!」
「はああああ!」
ドクとダリアが同時にグラトニードラゴンに突撃した。
ドクは飛び上がり、グラトニードラゴンの顔目掛けて、自慢の大剣を振り下ろした。
ダリアは、グラトニードラゴンの足に、両手のショートソードで切りかかった。
しかし、グラトニードラゴンは2人の攻撃に同時に対応してみせた。
足元のダリアを尻尾で薙ぎ払い、顔の前に跳んできたドクには、タイミングを合わせて頭突きを食らわせた。
2人はまとめて吹き飛ばされてしまった。
ドクに頭突きをした際に、ドクの大剣で額を少し切ってしまったグラトニードラゴンだったが、足元のゴブリンを数匹、その大きな口でまとめて呑み込みんだ途端、額の傷は瞬く間に塞がってしまった。
「はあ、はあ、ちくしょう! この大量にいるゴブリン全部がこいつの回復アイテムかよ!」
「2人がかりでも動じないなんて、流石ドラゴンなだけはあるわね」
元Aランクの2人なら、同じAランクのグラトニードラゴンを倒せないことはない。
ただし、それには様々な条件がある。相手のモンスターが回復し放題な状況で、Aランクのモンスターと戦うとなれば、2人がかりでも苦戦は必至であった。
1人外壁の上で魔法を放っているクーティは、ドクとダリアが抜けた分のカバーをするために、今まで以上に魔法を連発しており、とても2人の援護に行く余裕はなかった。
「やべえな、こりゃ。 覚悟決めた方がいいかもしれん」
「流石にこの状況でドラゴンの相手は骨が折れるわね」
2人に襲い掛かるのはグラトニードラゴンだけではない。
先ほどまで戦っていたゴブリンたちも当然2人に襲い掛かってくる。
グラトニードラゴンから距離を置いても、ゴブリンたちが襲い掛かってくる。
2人には、息を整える時間すらなかった。
絶えずモンスターと戦い続けている2人に、限界が近づいてきていた。
「久しぶりに戦っている所を見たと思えば、随分と腕がなまったようだな! ドク!」
「指令! 1人で先に行かないでください!」
疲弊していた2人の後方から、ゴブリンを蹴散らしながら、近づいてくる人影があった。
ファウード常駐軍司令官ラインベルが、直属の部下数人を引き連れて、援軍に駆けつけてきてくれたのだ。
「情けない様だな、ドク! 昔みたいに私が稽古をつけてやろうか?」
「これから本気出すとこだっての!」
ドクがまだ駆け出しだのガーディアンだったころ、ドクに稽古をつけていたラインベルが、久しぶりに昔のように気さくにドクに話しかけてきた。
「ラインベルさん? 来てくれたのですか?」
「この街の領主の娘が命がけで戦っているのだ。我々が駆けつけないでどうする」
「周りのゴブリンは私と部下たちが請け負います。お2人とラインベル指令はグラトニードラゴンに専念してください」
気がつけば、ラインベルを含めた3人の周りには、ゴブリンが一匹もいなかった。
ラインベルの部下たちがゴブリンたちを抑えてくれているのだ。
ドクとダリアは、頼もしい援軍のおかげで、また体に力が戻ってきた。
3人は、街へと向かっているグラトニードラゴンの前に立ちふさがった。
「ムダだああ! グラトニードラゴンは止められんんんん!」
「あの肩に乗ってるやつさっきからうざいな」
「先に仕留める?」
「確かに耳障りな奴だな」
ファウードでの戦いも、最終局面へと突入した。




