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魔導書と歩む異世界ライフ  作者: ムラマサ
ファウード騒乱編
2/78

決死

 「うあっあああ」


 俺の方にゆっくりと歩いてきたミノタウロスが、俺と3メートルほど離れた距離で立ち止まった。

 ミノタウロスの身長は5メートル近くある。

 鼻息荒く俺をにらむミノタウロスは、まだ食べたりないとばかりにその大きな口からよだれをこぼしながら、右手に持ったバカでかい斧をゆっくりと持ち上げ始めた。

 

 (逃げないと! 逃げないと!)


 自分の置かれている状況が、頭では理解できているのに体が動かない。

 俺の体は小刻みに震えるばかりで足は地面に縫い付けられたかのように動かない。


 呼吸すら満足にできないほど自分の体が言うことを聞かないのは初めてだ。


 目の前で棒立ちになったままその場を動こうとしない俺を見て、ミノタウロスは鼻を鳴らした。


 たぶん、この怪物は理解しているのだろう。目の前にいる獲物が自分におびえて動くこともできないでいるということを。


 斧がミノタウロスより高い位置まで昇り、大木のように太い右手が上に向かって伸び切った。


 (ああ、あとはあの斧を振り下ろすだけで俺は死ぬ)


 自分の死を目前にして、俺の中にはこの化け物に対する恐怖とともに、どこか落ち着いて状況を理解している自分がいた。


 ほんの数分前に交わした歌恋ちゃんとの約束を破り、生きるのをあきらめ死を受け入れようとしている自分がいる。


 尊敬する父、優しい母、妹、恩師、友人、まだ短い俺の人生に多大な影響を与えてくれた人たちの顔が次々に頭を過る。

 死を告げる音が聞こえる。

 あの大きな斧が、風を切って俺に振り下ろされる音だ。

 

 (みんなごめん。俺もうだめだ。俺はここで)

 

 その時、風が吹いた。

 その風に乗って俺の鼻に異臭が届いた。

 吐き気さえ催すその強烈な匂いは、消えかかっていた俺の意識を覚醒させた。


 「うおああああー!」


 とっさに横に跳んだ俺のすぐ後ろを斧が駆け抜けた。

 

 「はあっはあっ。生きてる。まだ俺生きてる。体が動く」


 先ほどまで石のように動かなかった体が動いてくれた。

 俺は風が吹いてきた方に顔を向けた。

 そこにあったのは死体の山。

 死体から漂う悪臭があの異臭の元だった。


 まるでミノタウロスに無念の内に殺された登山客たちが、俺にあきらめるなと語りかけたかのように俺には感じた。

 恐怖はまだある。しかし先ほどとは違い体は俺の意思通りに動く。


 ミノタウロスは地面に深々と刺さった斧を持ち上げながら、ギリギリのタイミングで斧を避けた俺を訝しむような眼で見ていた。


 どうして急に俺が動けるようになったのか、理解できないのだろう。

 しかしその時の俺はミノタウロスのことよりも、自分の胸に去来した感情を理解しようとしていた。


 -----


 俺は先ほど一瞬だけ見た子供の顔を頭の中に思い浮かべた。

 怖かっただろう、まだ生きたかっただろう。でもどうしようもなかった。ただ蹂躙されて終わった。

 ミノタウロスに殺されかけ、同じ思いを抱いた今の俺には、殺された人たちの気持ちや感情が手に取るように理解できた。

 許せない。許せない、許せない、許せない、許せるわけがない。

 先ほどまでの恐怖を上回る勢いで、俺の胸の中には怒りの感情が渦巻き始めた。

 

 理解出来てしまったから。殺された人たちの気持ちが。

 共有してしまったから。殺された人たちと同じ感情を。

 もう逃げない。逃げたくない。

 一矢報いたい。殺したい。

 このくそったれな生き物をこの世から消し去りたい。

 例え可能性が低くても。例え刺し違えても。

 俺はこいつをここで殺したい。


 俺の気持ちは決まった。もう逃げるなんて選択肢は俺の頭の中にはなかった。

 今の俺を動かすのは俺の怒りと殺された人たちの怒り。

 今の俺が考えるのは目の前の化け物の殺し方。それだけでいい。

 

 (待ってろよこの化け物。今から殺してやる!)


 -----


 この化け物を殺す。

 その覚悟を決めた俺の頭に、その目的を果たすための作戦がひらめいた。

 こいつを殺すにはその方法しかない。

 そう思った俺はすぐに行動を開始した。

 

 「おらあ! こっちだ化け物おおおおおーーー!」


 俺は足元にあった小石をミノタウロスに投げつけた。

 ミノタウロスは自分の頑丈な皮膚にこんな小石が効くはずがないとわかっているからか、俺が投げた小石には視線さえ向けなかった。

 しかし、その目から俺に伝わる感情には怒りが込み始めていた。


 「ぶもおおおおおーーーー!」

 「ぐっ!」


 耳を塞ぎたくなるほどの大声で鳴き声を上げたミノタウロスは、斧を両手で抱え下を向き、頭から生えているその巨大な角を俺に向けて突撃してきた。


 (そうだ! それでいい)

 

 こちらに向かってくるミノタウロスを見ながら、俺は先ほど思いついた作戦の第一段階がうまくいったことを確信した。

 ミノタウロスのスピードはとても速かったが、恐怖を怒りで書きかえ、冷静に作戦を練れるようになった今の俺なら避けられる。


 さっきの斧と一緒だ。横に跳べばいい。

 早いといってもミノタウロスと俺との間には少し距離がある。冷静に体を動かせればただまっすぐに突っ込んで来るだけの攻撃など避けられる。


 顔を下に向けているミノタウロスは、俺が直線状から消えていることに気づかずにまっすぐ突撃して木にぶつかった。

 折れたのは木だけ。ミノタウロスの角にはひび1つ入っておらず、ミノタウロス自身もふらついたりは一切していない。


 自分が壊したのが俺ではなくただの木だと気づたミノタウロスはすぐに周りを見渡し、俺を見つけた。

 先ほどより強い殺意と怒りを俺に向けてくる。

 いいぞ。もっと怒れ。


 「ぶもももおおおおおおおーーーーーーー!!!!!」


 今度は俺をしっかりと見据えたまま両手で斧を構えて俺に突っ込んできた。

 ミノタウロスが持つあの巨大な斧が一番厄介だ。強靭な腕の筋肉で振り回す斧の速度は尋常ではないだろう。当然かすっただけでも致命傷になる。

 だから俺は考えた。斧が届かない所に行けばいい。

 

 「ぶもおおおおおおおーーーーーーーーーー!!!!!」


 ミノタウロスは最初の時と同じように垂直に、俺の体を縦に真っ二つに裂くように斧を振り下ろしてきた。

 だが最初と違うのは俺が横に跳ばないことだ。

 俺は横でも後ろでもなく前に、ミノタウロスに向かって進んだ。

 ミノタウロスの股の下を通って奴の後ろに回り込んだ。


 ミノタウロスは慌てて振り下ろした斧を持ち上げようとしていたが、それより先に俺が動いた。

 俺はミノタウロスの右足を掴みそのままよじ登った。

 背中に張り付いた俺を落とそうとミノタウロスが暴れるが、俺は振り落とされまいとミノタウロスの背中の体毛を強くつかんだ。


 自分の背中にいる相手に、今持っている斧では対処しづらい。

 それを理解したミノタウロスは斧を捨て、素手で俺を引き離そうとしてきた。

 ミノタウロスが斧を捨てたのを見た俺はさらに体をよじ登り、今度はミノタウロスの頭に抱き着き目を塞いだ。


 「ぶもっ! ぶもうっ!」


 目の前が真っ暗になったミノタウロスは、俺を顔から引きはがそうとするが、俺は必死にミノタウロスの頭にしがみついた。

 そのまま俺は自分の体全部を使って、ミノタウロスの頭を激しく揺さぶった。


 視界を遮られ、頭を激しく揺さぶられたことで、ミノタウロスは俺を捕まえようとしながらもまるで酔っ払いのように激しくふらつきだした。


 時には俺を捕まえようとする自分の腕でバランスを崩したりしながら、ミノタウロスの巨体はふらつき、地面が揺れ続けた。

 やがてミノタウロスの動きが遅くなりだし、耳に聞こえるミノタウロスの息遣いが荒くなってきている。

 俺は勢いよくミノタウロスの頭から飛び降り地面に着地した。


 「ぶもう、ぶもう」

 「はあっはあっ」


 もう俺の体力も限界が近い。暴れるミノタウロスの手が何度か当たっており体のあちこちが痛い。

 だが効果はあった。

 体力を消耗して疲れ始めたミノタウロスは、ようやく自分の頭から離れた俺を睨みつけ、今度は斧を持たずに突進してきた。


 (よし! これでフィニッシュだ)


 今の俺の後ろには崖がある。

 この数百メートルの崖から落ちればこいつもただでは済むまい。

 崖に人が落ちないように木製の柵が設置してあるが、こいつはこんなものでは止められない。

 突進の勢いそのままに自分から崖に落ちろ!

 今日3度目の横跳びをして俺はまたミノタウロスの突進を避けた。

 ここまでは順調だった。

 そうここまでは。


 -----


 (落ちろ! 落ちろ! 落ちろおー!)


 ミノタウロスは俺の横を通り過ぎ木の柵を破壊した。

 しかしそこでミノタウロスは止まってしまった。

 あと少しで崖に落ちるというところで、ミノタウロスは自分に急ブレーキをかけて止まってしまった。

 その時、俺から見えたミノタウロスの横顔は確かに笑っていた。

 ミノタウロスを崖から落とす。

 その作戦において俺が一番見落としてしまっていたのは、この化け物には知恵があるということだ。

 

 (こいつは俺がさっきのように突進を避ける可能性があるのをちゃんと考えていたんだ)


 崖の手前で止まったミノタウロスは、突進の姿勢からゆっくりと立ち上がった。

 こいつは俺の作戦を読んでいたのか? そこまでの知能があったのか? でも今のあいつは自分の勝ちを確信したかのように笑っている。


 『失敗』


 その二文字が俺の頭を過る。

 もう同じ手は通じまい。あと俺に残された手は潔く殺されるか、ダメもとで逃げるかしかないだろう。

 

 (畜生! 俺じゃだめなのかよ。俺じゃこいつを止められないのかよ!)


 悔しさでこぶしを握り締め、握ったこぶしからは血がにじみ出ていた。

 やっぱり俺は死ぬのか。死んでもこいつを倒したかった。

 そう思ったとき、歌恋ちゃんの顔が頭に浮かんだ。


 (そうだ。あれから何分経った? 10分経ったか? わからない。もしまだ10分立経ってなかったら。もしまだ歌恋ちゃんがあそこで俺を待っていたら。・・・・こいつに殺されるかもしれない)


 俺が来る前に殺された人たち。そしてこれから殺されるであろう俺。

 もう十分だ。


 (こいつの犠牲者はもう十分だ! これ以上の被害は出させない!)

 「うおおおおおおおーーーーーー! しぃねぇー!」


 気づいた時には俺は走っていた。全力でミノタウロスに向かって走っていた。

 俺の方に振り向こうとしていたミノタウロスは、俺の最後の特攻までは想定していなかったようだ。

 驚いた顔をしたミノタウロスに俺は体当たりした。

 ミノタウロスの不意を衝く形で体当たりは成功し、バランスを崩したミノタウロスは俺と一緒に崖から落ちた。


 「ぶもおおおおおおおーーーーーーーーーー!!!!!」

 「へへへ。ざまあみやがれ」


 やってやった。

 崖から落下しながらも俺は充足感に浸っていた。だが。

 歌恋ちゃんとの約束を守れなかったことだけが心残りだった。

 

 (ごめん。歌恋ちゃん。約束は守れなかった)


 心に少しだけ痛みを感じながらも俺はミノタウロスと共に落下していった。


 


 

 

 

 

 


 



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[気になる点] 主人公の行動動機が無茶を通り越して無謀で、(どうしてそんな事するの?)と思ってしまいました。 何か(バケモノ?)が現れた時に女子を置いて一人で見に行くのも女性からしたら好奇心に負けた…
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