遭遇
「歌恋ちゃん大丈夫? 少し休もうか?」
「すみません。ちょっと休ませて貰います」
今日は大学の友人たちと一緒に山登りに来ていた・・・はずだった。
1か月前から話を詰めていたのに、当日になって友人たちがドタキャンしだして、結局大学の後輩の歌恋ちゃんしか集合場所には来なかった。
まあ、せっかく来たということで、結局2人だけで山登りをすることになった。歌恋ちゃんも山登りを楽しみにしていたから中止にするのは申し訳なかったしね。
今日は初心者向けの簡単な山登りだったのだが、山登り初体験だという歌恋ちゃんには初心者向けでも少しきつかったようだ。
山に入って30分ほどで、歌恋ちゃんのペースが遅れてきたので、今は近くにあった手ごろな石の上に座って休憩中だ。
「無理はしなくて大丈夫だからね? 今日は俺たち2人しかいないんだし遠慮はしなくていいからね」
「はい。ありがとうございます。もう少し休憩したらまた登りましょう」
「うん。了解」
「ふふ、2人だけか」
「ん? 何か言った?」
「いっいえ!なんでもないです」
「そう?」
今小声で何か言ってたような。まあ本人がなんでもないって言ってるからいいか。
それにして、何をしゃべったらいいかわからないな。
そもそも女子と2人きりなんてシチュエーション、俺の今までの人生の中で1回でもあったかな。彼女いない歴=年齢の俺に女子を喜ばせるトーク力なんてない。
あー、なんでみんな急に予定入ったりしてドタキャンするかなぁ。
今のところ歌恋ちゃんは結構機嫌よさそうだけど、喜ばせるようなことを言った覚えはないし、そもそもなんとなく気まずくてあまり話していない。
普段ならここに友人が何人かいて間に入ってくれるから会話も盛り上がるのだが、2人きりになったとたん共通の話題が見つからない。
大学で人気ナンバーワンの歌恋ちゃんと2人きりとか、他のやつらにばれないか不安で少し落ち着かないのもある。まあ流石に山で出くわすことはないだろうが。
今年同じ大学に入学した1歳年下の歌恋ちゃんとは高校も実は同じで、そのころから可愛いと人気だったが。
大学デビューというか、大学に来た時にはますます美人になっていて驚いた。
綺麗な大きめの瞳に小ぶりな口、桃色のふんわりとカールした綺麗な髪が合わさって美人すぎて近づく勇気も出ない男子がいるほどだ。まあそういう男子が中心になって大学ではすぐにファンクラブが結成されていたけど。
「あれ? 水筒がない? あー、リュックに入れるの忘れてた」
「大丈夫? 俺のでよかったらどうぞ」
「えっ? そっその、いっいいんですか?」
「水分補給は大事だからね。怠るわけにはいかないから。ほらどうぞ」
俺は自分のリュックサックの中から水筒を取り出し歌恋ちゃんに渡した。
まあ他の女子友達とは何回か山登りやキャンプをして似たようなことをしてるし、歌恋ちゃん、汗結構かいているみたいだから水分はこまめにとらないとな。
「ありがとうございます。いただきます」
それに今日はまだ水筒には口をつけてないから、間接キスだとかセクハラだとか騒がるれることもないだろう。
・・・なんか歌恋ちゃんの顔が赤いな。俺の水筒を見たまま目がトロンとしてるぞ。大丈夫か?
「あー、歌恋ちゃん?」
「ひゃい!」
「大丈夫? 本当に無理はしないでね?」
(万が一倒れるようなことがあったら歌恋ちゃんのファンの男子に俺が殺されそうだし)
「はい。本当に大丈夫です。先輩、そろそろ行きましょう」
いささか不安ながら、再び登山を再開した俺たち。しかしよく見ると周りには俺たち2人を見て微笑んでるご夫婦や温かい視線を送っているご年配の方が何人かいた。
2人しかいないし、俺の水筒渡したりしていたからカップルと勘違いされたかな。
「すっ少し恥ずかしいですね」
「うっうん。そうだね。少しペース上げようか?」
「はい。そうしましょう」
俺と歌恋ちゃんは恥ずかしさから少し下を見ながら逃げるようにその場を離れた。
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それから30分ほど歩いた。
もうすこしで山の頂上に着くはずだ。
「歌恋ちゃん。あと少しで頂上につくよ」
「はい。ふー、もう一息がんばります」
「頂上は高い崖になっていて、景色が綺麗なんだよ。今日は天気もいいし、麓近くの町や森が一望出来るよ」
「そうなんですか? 楽しみです。よーし、早くいきましょう先輩」
歌恋ちゃんは少しペースを上げて俺よりちょっと先を歩き出した。
まだ体力が残っているみたいで良かった。
むしろ調子が悪いのは俺の方だ。さっきからなんだか落ち着かない。
いや、歌恋ちゃんと一緒だからとかではなく、なんだか嫌なことでも起きそうな。そんな不安や恐怖が胸にこみ上げてくる。
空は雲一つない晴天なのに、頂上に近づけば近づくほど俺の胸は曇っていく。
その時
「きゃあああああああーーーーー!!!!」
「なんだあれー!」
「ばっ化け物だー! 人が襲われてるぞ! 逃げろー!」
「だめだ! 追い付かれっ」
「うわああああああああーーーーーーーーーーー!!!!!!」
突然辺りにこだまする人の悲鳴と雄たけび。俺と歌恋ちゃんはなにが起きたのか把握できずその場に固まってしまった。
「せっ先輩? なんでしょう今の悲鳴? 化け物とか聞こえましたよ!」
「落ち着いて歌恋ちゃん。熊が出たのかもしれない。声は山の頂上の方から聞こえてきたし、俺が少し様子を見てくるよ。君はここで待ってて」
「先輩危険です! 人が襲われてるって言ってましたよ」
「だからこそだよ。何が起きたのかできるだけ正確に把握してから助けを呼ばないと余計な混乱を招くんだ。もし10分立っても俺が戻らなかったらすぐに警察に山の頂上でなにか問題が起きたって連絡して山を下りるんだ。ほかの登山客にも今すぐ山を下りるように伝えながら。出来るね?」
「でっでも先輩が。先輩が心配で」
歌恋ちゃんはその綺麗な瞳に涙をためながら俺の右手の袖をつかんで離そうとしない。
俺は深呼吸して、混乱している歌恋ちゃんを落ち着かせるようにゆっくりと話しかけた。
「大丈夫だよ。深呼吸して。そう。ゆっくり。落ち着いた?」
「はい。でもやっぱり行くのは危険です」
「でもこれはやらなきゃいけないことなんだよ」
「どうしてもですか?」
「うん。どうしても」
(本当に頂上に危険な動物が出たのなら、道をたどってこっちに来るかもしれない。もしそうなったら今の歌恋ちゃんじゃ逃げ切れない。その時は俺が囮になって時間を稼がないと)
「でも、やっぱり」
「お願い歌恋ちゃん。約束する。俺は必ず戻ってくるから」
「・・・・・約束ですよ?」
「ああ。約束する」
「わかりました。10分だけここで待ってます。戻ってこなかったら」
「警察に連絡して山を下りるんだ。大丈夫。山登りは慣れてる。10分後に俺が戻らなかったら違うルートで下山したと思って」
「はい。信じてますから」
歌恋ちゃんの手は震えていたが、それでもゆっくりと俺の右手の袖を放してれた。
俺は歌恋ちゃんが手を放してくれてすぐに山の頂上に向かって走った。
「あっ。先輩。・・・・戻ってきたら私の気持ちを伝えますね」
去り際に歌恋ちゃんが何かを言ったようだったが、声が小さくてよく聞こえなかった。
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歌恋ちゃんと別れた俺は頂上の近くまで着いてから腰を落とし中腰の姿勢でゆっくりと頂上に向かった。
そういえば悲鳴が聞こえない。頂上に何人の人がいたのかはわからないが、今日の混み具合を考えて少なくとも10人ぐらいはいてもおかしくない。
もう全員死んだ? まさかな。でもここまで来る途中、頂上から逃げてくる人は一人も見ていない。
なにかの見間違いだったとかならいいのだが。
化け物だの人が襲われてるだの聞こえたから見間違いとかの可能性は低いだろう。
俺はこみ上げてくる恐怖を必死に抑え込みながら一歩一歩頂上に近づいた。
そして
「なんだよ。これ」
俺は姿勢を低くするのも忘れてその場に棒立ちになってしまった。
休みの日には大勢の人でにぎわう人気の山の頂上は、今登山客の血で赤く染まっていた。
地面は血で赤黒く染まり、鉄臭い匂いが辺りに充満している。
「あっああああっあああううあうあああっあ」
俺は最早言葉を話すことも出来なかった。
そいつは登山客の死体を一か所に集めて食べていた。
俺からはそいつの背中しか見えなかったが、しゃがんでいたそいつが俺に気づいて立ち上がったとき、やつの足の間から、恐怖に歪んだ顔を浮かべたまま倒れている幼い少女の姿が見えた。
「なっなんっだ。なんだこの化け物!」
盛り上がった筋肉に、大きな蹄のついた巨体、立派な角の生えた牛の頭、右手に巨大な斧を持った怪物がそこにいた。
神話に出てくる伝説の怪物。ミノタウロスにうり二つの見た目をした化け物が俺を殺意の籠った鋭い目で睨んでいた。