心理トリックの日常
「心理トリックって、あり得なくない?」
とある高校のミステリー研究会の部室で、部員の一人である少女が言った。
「それはまた、どうして?」
同じく部員の一人である少年が聞き返す。
「だって、人間の心理によってトリックが左右されるなんて、そんなの確実性に欠けるじゃん」
「そうかな。意外と人間の心理って操りやすいと思うけど」
「へえ。じゃあ試しに私の心理を操ってみてよ」
少女は両手両足を広げて大の字のように立った。
「……いいよ。じゃあこの後僕に付き合ってよ」
「いいわ。じゃあ行きましょ」
二人は準備をし、部室を後にした。
「それで、どんな心理トリックをかけてくれるの?」
少女がニヤニヤとしながら少年に尋ねる。
「うーんそうだな、まずはあのスーパーに行ってみようか」
少年に連れられたのは激安を売りにしているスーパーだ。
「ここに何かあるの?」
「まあとりあえず中を見ようよ」
店内の野菜売り場を歩く二人。
少女がキョロキョロしながら歩いていると、壁に貼られた一つのポスターを見つけた。そこには『私服警備員巡回中』と書かれている。
「へえー、私服警備員がいるんだ。最近そういうスーパー増えてるのかな」
「万引きとか多いからじゃないかな。君もキョロキョロしてばっかりだと、不審に思われて声かけられるかもよ」
「えっ、気を付けなきゃ!」
少女はハッとした表情を見せた。
「実はこのポスターにも心理トリックが使われているんだ」
「え、どんなの?」
「君はこのポスターを見て、このスーパーに私服警備員がいると思っただろ?」
「思ったっていうか、ポスター貼られてるんだからいるんでしょ」
少女が真っすぐに返答する。
「私服警備員の強みって、私服でいるから誰が警備員なのかわからないってところだよね。これは逆にいえば、自分以外のどんな人も警備員に見えてしまうんだ」
「まあ、極論をいえばそうかもね」
「ということは、それだけ犯罪の抑止力になっているということだ。誰が私服警備員かわからないから、うかつなことはできないでしょ」
「あっ、なるほど」
少女が納得した表情を見せる。
「さらに言ってしまえば、本当はこのスーパーに私服警備員なんていないかもしれない」
「えっ、それはないでしょ。だって嘘ついてることになるじゃん」
「でも、僕がさっき言った通りになれば、本当に私服警備員を置く必要なんてないでしょ」
「うーん、それはそうかもしれないけど……」
少女は返答に悩んでいるようだ。
「まあ、今のはあくまでも可能性の話だよ。だからあんまり深く考えないでいいよ」
「……じゃああんまり考えない」
思考を打ち切り、二人はスーパーから出た。
「それで、今のが心理トリック? 悪いけど、今のじゃ全然納得できないよ」
「そうだなあ。じゃあ一番操りやすい心理トリックやってみようか」
「へー、どんなの?」
少女がそう言った瞬間、少年は勢いよく少女の頬をビンタした。
「……って、何すんのよ!!」
少女は怒りをあらわにし、少年にビンタを仕返した。
「……ほら、怒ったでしょ」
「はあ!? 当たり前でしょ!」
「人間が最も操りやすい心理状態って、怒りなんだよ」
少年の言葉に、ようやく少女は気づいたようだ。
「……ぐぬぬっ」
何か言い返したかったが、まんまと引っかかってしまったので何も言えない。
「人を怒らすのは非常に簡単だ。理不尽なことをしたり、相手が嫌がることをすればいいんだから、ほらよく言うでしょ、信頼を得るのは難しいけど信頼を失うのは簡単だって」
「そりゃそうだけど、でもまさかいきなりビンタされるとは思わなかったわよ」
「それはごめん。でも、ビンタすれば怒るってことを事前に言ってしまうと、意地でも怒らないようにするでしょ」
またしても図星だった。
「今のは単なる説明だったけど、これを殺人に応用することもできるんだよ」
「どうやって?」
「例えば、君が短気で手を出しやすい人だったという情報を事前に得ていたとする。ここで推測できるのは、僕がビンタしたら同じことを仕返すんじゃないかってこと。それなら、事前に準備をしておけばいい」
「準備って?」
「一例として、自分の頬に毒を塗っておいたり、とか」
少女はびくっとする。
「それなら、君がビンタをやり返した途端に毒に触れてアウトだ。まあこれは自分自身にも害があるから、実際には使用できないだろうけど」
「……」
「他にも、怒ると血圧が上がるから、それを利用して高血圧の人を気絶させたり、あるいはそのまま殺害したりなんてことも理論的には可能だと思うし」
「なるほど……」
少女は少年の言葉を聞いて考え込む。
「とりあえず、これで人間の心理が意外と簡単に操れるってわかってもらえたかな」
「……まあ、あんたの思惑通りになっちゃったし、認めるしかないわね」
「ありがとう。君って意外と素直なんだね。そういうところ、僕好きだよ」
「えっ、えっ、あんた何言ってんのよ!」
少女は顔を真っ赤にしてうろたえる。
「じゃあまた明日」
「う、うん……」
少年は手を振って立ち去った。
「……い、今のももしかして心理トリックなのかしら」
その答えは果たして返ってくるのだろうか。