#7 デート!
明日店を開く、とオズヴァルドさまが言ったのは私が彼とはじめて会ってから一月ほど経った頃のことだ。
「やっと商品も揃ってきたことだしな。申し訳ないが、あなたにも手伝ってもらうことになる。構わないか?」
「ええ、もちろん良いですが他に店員は雇わないんですか?」
「あー、そうなんだ。この前市に出かけた時に話しただろう?俺には対立している魔術師が居る。どこにその手の者が紛れているか分からないために、疑心暗鬼になってしまってな。……悪いが、もう少しだけ俺を手伝ってくれるか?」
「……はい」
その言葉に、この関係は期間限定なのだと改めて気が付いた。床で寝ているオズヴァルドさまにベッドで寝てくださいと怒ることも、夕焼けのなかを並んで買い物に行くことも、ふたりで何でもない話をしながら食事を摂ることも、いつか終わるのだ。
「ありがとう」
オズヴァルドさまは、そう言うといつものようにふわりと笑った。
「――お客さん、来ませんねえ」
しかし、翌日。店は開いたものの客足どころか影さえ無い店内で私は呟いた。
「外に看板は下げておいたんだが」
「そもそも魔道具というのが何か分からないのかもしれませんね」
オズヴァルドさまの言う通り、店の前には『魔道具店』と書かれた札は掛かっている。
「そうだな……」
言いつつ、彼はペラペラと本のページを捲っている。
「何を読んでいるんですか?」
「店を出す方法について書かれた本だ。――あっ」
オズヴァルドさまが声を上げたのにつられて、私がその中身を覗くと彼は私に見やすいように本を広げてくれた。
「これを失念していたな。『その地域で流行っている店に足を運んでみる』」
「『人気の店に行ってみることで、その地域の客層が分かる』、ですか……」
「この辺りで人気の店というのはどこだ?」
うーん、最近学校で話題なのは五番街の洋梨タルトが評判のケーキ店や七番街のアクセサリー屋さんとかだろうか。そう答えると、オズヴァルドさまはなるほどと頷いた。
「じゃあ今日はそこへ行くことにする。俺はこの辺りに不慣れなので、良ければ案内してもらえないだろうか」
「えっ。私は良いですけど、お店はどうするんですか?まだ一日目ですよ?」
「このまま開けていても客は来ないだろう。また明日開ければ良い」
「えええ……」
そうして、店主の決定により開店一日目は三十分で閉店の運びとなったのだった。
一時間後。オズヴァルドさまはラフなシャツに着替え、私たちは王都の五番街に居た。
「よく考えると、女の子に人気の店ばかり紹介してしまいましたね」
「ああ、その方が良いんだ。前にも言った通りはじめは女性の間で話題になれば良いと思っているからな」
私はそう言ったオズヴァルドさまの横顔をちらりと見上げた。当たり前だが、女の子に人気の店というのは女の子ばかりだ。この五番街は菓子店やレストランが集まった地区なので、歩いているのも圧倒的に女の子が多い。当然、とんでもない美形であるオズヴァルドさまには四方八方から視線が集まっていた。
「ここか。どうぞ」
「ありがとうございます」
扉を開けてくれたオズヴァルドさまにお礼を言って、店に入る。彼は視線が気にならないのだろうか。いつもはどうしているのだろう、と考えたところで彼があまり外出している様子がないことに気が付いた。例の魔術を使った銀色の通信手段でどこかに連絡しているところは見るけれど、魔道具の材料や本は届けてもらっているようだ。私が訪れるといつも家で本を読んでいるか商品の開発をしていらっしゃるし。
そうなると、出かけるのは私と食材の買い出しに行くときや私を家まで送ってくださるときくらいか。それも黄昏時なので行きかう人の顔がよく見えない時刻だ。たまにすぐ横を通った人がオズヴァルドさまのきらきらしさに驚いて二度見どころか五度見くらいしていることがあるけれど。
「あの、大丈夫ですか……?」
「何が?」
店に入って更に注目が集まったので、小声で彼に尋ねてみると、何のことかわかっていないという表情でオズヴァルドさまは小首を傾げた。うん、オズヴァルドさまが気にしていないのならば第三者の私が気にすることではない。
「そう言えば、オズヴァルドさまは甘いものをお食べになりますか?」
「いや、あまり。でもあなたは甘いものが好きだろう?」
「はい。……そんなこと、お話したことがありましたか?」
「初めて会った時に菓子店の札を見せたらあなたは目を輝かせていたからな。あの店にはもう行ったのか?」
「えっと、はい」
思い出したのか、オズヴァルドさまは小さく笑った。そんな些細なことを覚えていてくれたんだ。
「あ、順番が来ましたよ。何にしますか?」
店のショーケースの前で聞いてみる。と、オズヴァルドさまはそちらを見ずに私の方を向いて言った。
「あなたはどれが好きなんだ?」
「私ですか?この洋梨のタルトと林檎のパイと、あとは葡萄のパウンドケーキが美味しかったですね」
「じゃあそれをくれ」
オズヴァルドさまが店員に話しかけると、見惚れていた彼女は慌てて「はい」と返事してケーキを取り出した。
「オズヴァルドさま、良いんですか?全て私の好みになってしまいましたけど」
「良い。俺は、あなたの好きなものに興味がある」
胸の内のどこかが音を立てた。それをぎゅっと押し殺して、私は喫茶スペースにオズヴァルドさまを案内した。
「店の中で買ったものを食べられるのか」
「はい。学校の帰りにもよく寄るんです」
壁際の机に座ると、店員が先ほど買ったケーキと飲み物を持ってきてくれた。
「ディールスさまですね?こちらはサービスです」
「わあ、ありがとうございます」
「サービス?」
買ってもいないのに付いてきたチーズケーキに、オズヴァルドさまは首を傾げた。
「父の宿屋で、ここのケーキ屋のお菓子を出しているんです。よく来るので顔を覚えられているんでしょうね。はじめは遠慮していたんですけど、今では受け取った方が向こうのためにもなると父に言われて受け取っているんです」
「なるほど。そうやってあなたがお父上に話して覚えを良くすると言うわけか」
「はい。父は完全に味で選んでいるので、あまり意味はないかと思いますが」
と、話していると後ろから声を掛けられた。
「ユリア!」
「アン!あなたも来ていたの?」
学友のアンだ。丁度私の後ろの席に座っていた彼女は、私が聞くとむうっと唇を尖らせた。
「そうだよ。最近ユリアが付き合い悪いからこうしてフィルとふたりで」
そう言って差したのは、彼女の体面に座る硬派そうな男性。彼女の使用人兼護衛のフェルディナンド
だ。いや、使用人兼護衛というか彼には複雑のようなそうでないような事情があるんだけど……まあ、それは置いておいて。
「あ、そちらの人がユリアを雇ったっていう――」
私の後ろをひょいと見て、アンはあんぐりと口を開けた。それもそうだろう、オズヴァルドさまは、初めて会った人は皆驚くような美形だ。私も最近やっと慣れて、……はいないな。たまにふと顔を見てびっくりすることがある。そんな人並み外れた美しさを持つ男性が普段仲良くしている友達とふたりで居れば誰でも驚く。
「ユリアさんのご学友か?」
オズヴァルドさまが聞いてきたので、頷いているとアンははっと意識を取り戻して私を店の隅に連れて行った。
「ユリア!例の宮廷魔術師さまがあんなに格好良いなんて私聞いてないよ⁉」
「言ってないもの。言うとアンが興奮するから」
「そりゃあ、するよ!あんな人のお仕事を手伝っているんでしょう⁉」
頬を赤くして私を揺さぶるアンに、そうそうと投げやりに頷く。
「でも、ユリア大丈夫?」
「何が?」
「だって、あんな格好良い人で、物腰も柔らかいし……。好きになんて、なっちゃったら」
「――そんなの、有り得ない。宮廷魔術師さまだよ?いくら優しくしてくださっても私とは住む世界が違うって分かってる」
「そう……。そう、でもユリア」
「この話はもう終わりにしない?フェルディナンドさんも困ってるよ」
まだ何か言いたそうなアンの言葉を遮って、私は彼女の背中を押して机に戻った。
「すみません、オズヴァルドさま。こちらが同じ学校に通っているアンナ・バルヒェットです。お父さまは家具商なんです」
「家具商、というとあのバルヒェット家か。王宮にもあなたのお父上の家具があったな」
「そうなんですか?」
緊張していたアンが、お家の商売の話に顔を綻ばせた。オズヴァルドさまが握手をしようと手を差し出すと、その前にフェルディナンドさんが進み出た。
「申し訳ないですが、お嬢さまに気軽に触れないでいただけますか」
「フィル!」
言葉は丁寧だがその口調は固い。大きな背中の後ろでアンが咎めた。
「フェルディナンドさん、オズヴァルドさまは宮廷魔術師さまなんですよ。怪しい人じゃないから大丈夫です」
「そうだよ、そもそもディールス家のユリアと一緒に居るんだから変な人じゃないって分かるじゃない」
私とアンが説明すると、フェルディナンドさんは短く詫びを言ってその前から退いた。
「もう、フィルは。失礼しました」
「いや、気にしなくて良い」
オズヴァルドさまはアンに向けてにこりと笑んだ。またもやぽーっとなってしまったアンに、フェルディナンドさんが眉を潜めた。
「お嬢さま、そろそろ帰らないとお母さまが心配されます。昼過ぎには戻ると言う約束でしたでしょう」
「えー、まだ良いじゃない」
「いけません」
きっぱりと言い切ったフェルディナンドさんは、アンが不平を口にするのも気にせずにさっさと帰り支度を始めた。
「それじゃあね、ユリア。また話を聞かせて」
「ええ。また学校で」
そう言って去っていたふたりを見送って、オズヴァルドさまは私に聞く。
「彼とアンナさんは恋人なのか?」
「いいえ、恋人ではないんです。……でも、良くわかりましたね」
アンはあの通り恋愛脳なのに、なぜか自分に向けられる好意には疎い。フェルディナンドさんの彼女に対する過保護っぷりは、仕える主人への忠誠心を明らかに超えている。フェルディナンドさんも決定的なことは言わないから、アンは彼のことを身内としてカウントしているのだ。そんな風なことを説明すると、オズヴァルドさまは首を傾げて聞いた。
「主従だから言えないんじゃないのか?」
「いえ、そういうわけでもないんですが。――っと、お茶が冷めてしまいますね。いただきましょうか」
オズヴァルドさまの言葉を曖昧にはぐらかして、改めてケーキに向かい合う。オズヴァルドさまもこういう話をするのか。意外だ。
それから半刻ほどが経って、私とオズヴァルドさまは食べきれなかった分のケーキを提げて六番街を歩いていた。五番街から七番街への間には噴水のある広場がある。休日には多くの人で賑わうそこは、今日も憩う人や待ち合わせをする人々で溢れていた。
「あれは何だ?」
彼が指差したのは、可愛い色をした屋台だ。
「あれは、クレープを売っているんですよ。もちもちとした生地のなかに包まれたアイスクリームの上に甘酸っぱいソースが掛かっていて美味しいんです」
「そうか。食べるか?」
その味を思い出しながら言うと、オズヴァルドさまは私に聞いてきた。にこにことしている彼に、食いしん坊とか思われていたらどうしよう。
「私は食べないですけど、オズヴァルドさまは食べますか?」
「いや、良い」
良いのか。さっきのケーキ屋でも美味しそうに召し上がっていたのに。
「そこの噴水側のレストランが出している屋台なんですよ」
「どうしてレストランが屋台を?経営が上手く行っていないのか?」
「ええと、違います。あのレストランは庶民からお忍びのお貴族さまにまで人気なんですがそのきっかけは屋台を出したことなんです。レストランに入るのは敷居が高くても、屋台のクレープなら気軽に買えるでしょう?そのクレープが美味しいからということで、レストランに行く人も増えてあの通り人気店に。今は屋台を出さなくとも皆が美味しいことは知っているんですが、クレープも美味しいのでああして屋台も出したままにしているそうです」
「なるほど。まずは商品を試してもらうということか。……ふうん」
オズヴァルドさまが何やら考え込んでいる。思考を邪魔しない様にと、何となく噴水あたりを眺めているとふっと私の顔に影が降りて、オズヴァルドさまが私の顔を覗き込んできた。
「甘いものじゃなくてご飯が良いか?あのレストランに入りたかったら……」
「だから、食べないです!」
うう、絶対に食い意地が張っていると思われている。間違いではないけど年頃の女としては非常に恥ずかしい。
「そんなに広くないんだな」
七番街のアクセサリー屋さんに入ると、オズヴァルドさまが言った。彼の言う通りあまり大きくない店内には、しかし所狭しときらきらと光るネックレスや腕輪が置かれている。
「宝石店とはまた違うのか」
「はい、ここは若い女の子向けの店なので」
「そうか。……欲しいものはあるか?今日出かけたのは初めに言った業務の内容に入っていないから、その代わりと言っては何だが俺が買おう」
「えっ、良いですよ。ケーキもごちそうしてもらいましたし、これ以上なんて申し訳ないです」
「しかし……」
そうやって押し問答していると、横からするりと女性が入ってきた。
「こんにちは、お兄さん。兄妹喧嘩中かしら」
そう言って、くすくすと笑う女の人は私の知り合いではない。オズヴァルドさまにとっても見覚えが無いらしく、彼は表情を硬くした。
「失礼だが、俺はあなたに面識があるか?」
「無いわ。だから、初めて会った記念に食事でも一緒にどうかしら?妹さんはもう遅いから帰った方が良いかもしれないけれど」
これは、いわゆる逆ナンというやつだ!膨らむべきところは膨らみ締まるべきところは締まった、華やかな美人のお姉さんは相当自分に自信があるのだろう。きらきらしい美形のオズヴァルドさまに全く気後れすることなく艶やかに微笑んだ。
「申し訳ないが、美しいお嬢さん。急いでいるから食事はまたの機会に。出よう、ユリアさん」
にっこりとした笑顔のままのオズヴァルドさまに褒められて一瞬惚けた女性は、慌てて彼を引き留めた。
「ちょっと!」
「ああそれと。彼女は妹ではない。では」
オズヴァルドさまは、完璧な笑顔のまま私を促して足早に店を出た。
七番街を抜けたところで、彼はやっと立ち止まった。
「――追ってこない所をみると魔術師の手合いの者では無かったらしいな」
「えっ⁉そんなことを考えていたんですか?」
「ああ」
あれはどうみてもただオズヴァルドさまを誘いたかっただけでしょう。
「それにしては、上手くあしらいましたね」
「ああいう女性は王宮にも多くいたからな。慣れている」
ふうん、そっか。女性の扱いに慣れているんだ。そりゃあそうか、宮廷魔術師さまは王城で開かれるパーティに出ることが多いっていつかカトリーヌも言っていたし。
「一言褒めて素早くその場を離れることが肝要だ。それでも諦めなかった場合は仕方がないが」
「……あの女性に含みが無かったのなら、戻らなくて良いんですか」
「戻る?なぜ?」
「だって、あの女性はとても綺麗でしたし」
私よりずっと大人で、あの自信ありげな様子からすると貴族のお嬢さまなのかもしれないし、……オズヴァルドさまにとってもお似合いだった。こんな小娘といるよりずっと楽しめるはずだ。けれど、狡い私はそんな言葉を口には出すことは出来なかった。
言葉に詰まってしまった私をどう見たのか、オズヴァルドさまは困ったときにするように眉根を寄せた。
「俺はあなたと一緒に居るんだ」
そう言って、彼はそっと私の手に触れた。繋ぐでもなく、ただ私の存在を確認するかのようなその接触は私の胸の一部を塞いでしまう。ああ嫌だ。私のことなど何とも思っていない彼の言葉や仕草を、嬉しいと感じてしまう自分が嫌だ。
やがて、オズヴァルドさまは話しながら歩き出した。
「すまない。あなたにアクセサリーを買うと言っていたのに、俺の都合で店を出てしまったな」
「いいえ!本当に、そんなこと気にしなくて良いですから」
「いや、また次の機会には必ず」
きっぱりと言い切る彼に、私は何も言うことが出来なかった。