#6 思いを届ける魔道具
「ユリア、カトリーヌ。今日授業が終わった後お茶でもしに行かない?」
学校の昼休憩。食堂で昼食をとっていると、アンがそんなことを提案してきた。
「ごめんなさい、今日は無理なの」
「えー、また?毎日じゃない」
「毎日ではないわよ」
断ると、アンはぷうっと頬を膨らませた。つんつんとその頬をつついていると、カトリーヌが横から聞いてきた。
「またあの宮廷魔術師さま?」
「ええ」
短く頷くと、彼女はものすごく微妙な顔をした。
「私、最近王宮について良くない噂を聞いたのよ」
「良くない噂?」
私とアンは顔を見合わせた。王家や貴族に詳しいカトリーヌのことだから、確かな筋の情報なのだろうけれど一体何だろうか。
「宮廷魔術師って普段は王家の方の生誕を祝うパーティや公式な式典にしか姿を見せないのよ。それが、最近では頻繁に王宮を出入りしたり貴族院議員の方と話し込んでいらっしゃるんですって。それにユリアさんを雇っている方は王都にまで出て来ているのでしょう?」
「それがどうしたの?」
「その動向が――、近々戦争が起きるからではないかと言われているの」
「戦争っ⁉」
私が思わず大きな声を上げると、カトリーヌが慌ててしいっと口の前で人差し指を立てた。
「はしたないわよ、ユリアさん」
「どうして宮廷魔術師さまが出てくると戦争になるの?」
その横でアンが聞いた。カトリーヌは重々しい顔をして頷くと、言った。
「ひとつは今の国王陛下は保守派だけれど、王子殿下は改革派なのですって。だから、領土を広げようと目論んでも不思議ではないわ。もうひとつは私たちの祖父の頃に、戦争があったわね。その時戦争に勝てた理由に魔術師さまが活躍したことがあるの。後方で大きな魔術を行使して一撃で千人もの敵を倒したという話をこの前授業でも聞いたでしょう?」
「だから魔術師さまが目立つ活動をし始めたということは、戦争があるっていうのを示しているということ?」
再び頷いたカトリーヌに、アンが「えー」と言う。
「それはこじ付けなんじゃないかな。戦争なんてここ百年も起こっていないのに」
「私もそう思う」
確かにオズヴァルドさまは魔術を広めたいと言っていたけれど、宮廷魔術師が表に出てきたというだけでそう判断するのは早いのではないか。ふたりとも否定すると、今度はカトリーヌが頬を膨らませたので私とアンは再びその頬をつついておいた。
その日、私がオズヴァルドさまのお店に行くと彼は珍しく店舗の方に居た。
「こんにちは」
「やあ、良く来たな」
「何を見ているんですか?」
さっきのカトリーヌの話は気になるけれど、そんなことを直接聞いては失礼だ。そもそもあれは噂話の域を出ないものだし。そう思って棚の前に立っていたオズヴァルドさまに別のことを聞いた。
まだお店を開いていないので、商品はばらばらに棚の上に置かれている。私がオズヴァルドさまの隣に並ぶと、彼は手のひらの中にあったものを私に見やすいようにしてくれた。
「羽?」
それは、ふわりと軽そうな羽だった。赤、青、黄、桃と何色か揃っている。
「ああ。使ってみるか?」
言うと、オズヴァルドさまは私から距離を取った。と言っても、そう広い店内ではないのでお互いの姿はしっかりと見える。
「行くぞ」
彼は手の中の羽にふっと軽く息を吹きかけた。すると、羽はひらひらと舞って私の手の中に降りた。目を丸くしながらその黄色の羽を見てみると、「今日の夕食はロールキャベツが良い」と書かれていた。了解です。
「手紙が届けられるんですね」
「そうだ。この魔道具だと届く距離は王都の端から端程度だけどな。魔術師ならもっと遠くまで届けられるんだが」
「十分ですよ!」
王都はそう広いわけではないが、それでも王城を中心に円を描くように広がっている。遠くの友人に何かを伝える時には郵便屋さんに頼むことになり数日を掛けないと先方に届かないから、この羽は緊急時なんかに便利なんじゃないだろうか。
「いかんせん小さいから数文を描けるぐらいだが、女性は手紙が好きだろう?」
「確かに、そうですね」
例えばこの桃色の羽がなかなか会えない恋人から届いて、「好きだ」とか書いてあったらロマンチックだ。……何だか、いつの間にかアンの恋愛脳が移っている気がする。
「女性向けのお店なんですか?」
「そういうわけでもないんだが、この本に書いてあったんだ」
「本?」
オズヴァルドさまが表紙を掲げたのは、開業についての指南本だ。
「曰く、新しい分野の店を出すときは女性をターゲットにした方が噂が広まりやすく繁盛しやすい、と」
「なるほど」
一理あるなあ。オズヴァルドさまの魔道具店は絶対に誰もやったことのないものだし、そういう物珍しいお店は女性の方が好きだ。
「……女性向けなら、染粉なんかは無いんですか?」
中段にあった、乱れているところを指摘してくれる鏡を見ながら聞いてみた。
「染粉か。考えたことがなかったな。女性に人気があるのか?」
「いえ。染粉を使う女の人は少ないんですが、だからこそどうかなって」
染粉がないわけではない。けれど、王都で出回っているそれは大層質が悪い。染めた後は髪がひどく傷んでしまうし、色も染める前はどんなものになるのか分からないという謎のロシアンルーレット感がある。使う人というのは髪色を変えて姿を隠さなければならない人ぐらいのものだ。
それに比べて、以前オズヴァルドさまがミーツに使った毛を染める魔法は見事なものだ。今も空いている棚の上で眠っている白猫の毛並みの艶は少しも損なわれていないし、染まった時にも色ムラさえなかった。その仕組みは……うん、私にはいまいち理解することができなかったけれど。
「あなたも、染粉を使いたいのか?」
オズヴァルドさまが聞いてきた。その言葉に、ぎくりと肩が跳ねた。魔術師と言うのは皆そういうものなのかもしれないが、彼は勘が鋭い。道を歩いているときにオズヴァルドさまが「雨が降るな」と言った時はその数分後に雨になったし、こうして私の気持ちを読んだかのような言葉を言うことがある。
「そう、ですね」
鏡を見つめながら答える。まだ魔術が発動しておらず普通の鏡であるそれに、私の平凡な顔のまわりにある髪はいつもと何ら変わりなく映っている。寒い冬に地面に散らばる枯れ葉のように、くすんだ灰色。古ぼけた緑色をしている瞳と合わせて、そのぼんやりとした暗い色があまり好きでは無かった。だから、アンの赤銅色の髪やオズヴァルドさまのような金色の髪を羨んでしまう。
「ふうん。じゃあやめておこうかな」
「えっ!どうしてですか!」
私欲のために言ったのがいけなかったのか。いつもは私の提案を受け入れてくれる彼だから、びっくりしてその顔を振り返った。すると、彼は難し気な顔で言った。
「俺はあなたの髪が染まって欲しくない」
「へ……、どうしてですか?」
「あなたはその髪色が好きじゃないんだろう?」
「はい」
「しかし、俺はその髪色が染まるのは勿体ないと思う。落ち着いた色で良いのに」
「え……っ」
驚いて言葉を失ってしまった。勿体ない?このくすんだ色が?
そんな私を見てどう思ったのか、オズヴァルドさまは急いで詫びた。
「……いや、済まない。子供のようなことを言ってしまったな。忘れてくれ、染粉は検討してみるよ」
「オズヴァルドさまは、大人っぽい女性が好きなんですか?」
するりと出てきてしまった言葉を私が取り下げる前に、オズヴァルドさまは更に眉間の皺を深くして考え込んでしまった。
「……さあ、どうだろう?考えてみたことが無かったな」
――オズヴァルドさまは、真面目だ。ただの平民の私の質問にも、真摯に考えて答えを出してくれる。けれど彼が悩むのは、こんな風に彼自身について問うたときが多い。あまりお友達と好きなものについて話したりしたことがなかったのだろうか。私は友達といつもそんな話ばかりしているけれど。
「まあ、子供っぽい女性よりは大人っぽい女性の方が話しやすいな」
「はい、きちんと答えて下さってありがとうございます……」
「ああでも。あなたの髪は、好きだ」
髪だ。ただの、髪の話だ。けれど、そんな風に柔らかい笑みを向けられると男性耐性の少ない私は勘違いしそうになってしまうから本当にやめて欲しい。鏡で確認するまでもなく真っ赤になっているだろう顔を隠すために、私は適当な理由をつけて奥の部屋に逃げ込んだ。
「……そんなに鏡を見つめても、その顔は変わらないよ?」
その夜。緩む頬を抑えながら洗面所の鏡を見ていると、兄さんが気味悪げに言ってきた。失礼な。分かってるけど。