#4 掃除と魔道具の開発
オズヴァルドさまのお店をはじめて訪れてから三日目。その日も私は彼の店に顔を出していた。
「オズヴァルドさま?」
店舗にはお姿は見えない。と、なると奥か。名前を呼んでも返事をもらえないことは昨日実証済みなので、お邪魔しますと呟いて奥への扉を開く。手前から二番目の扉を開けると、彼が居た。眼鏡を掛けて何やら書き付けていらっしゃるその様子は、本の山に埋もれていなければ素直に格好良いと思えただろう。
「ユリアさん」
物音に気付いたのか、オズヴァルドさまは顔を上げた。そしてこちらに向けてふんわりと微笑んで、眼鏡を外して立ち上がった。
「おはよう」
「おはようございます。……今は昼ですけど。今日の食事をお持ちしました」
「……と、いうことはまだ料理は教えてくれないんだな」
私の手の中にあるバスケットには、店の賄いが入っている。彼の言う通り、私が料理をしますと息巻いたものの全くその段階には辿り着けていなかった。
「……だって、衛生的に考えて有り得ません!」
「そうか?」
そうです!私は深く頷いた。
現在問題なのは、この部屋にある本の山の間を舞う埃だ。引っ越してきたばかりだから長年の積み重ねによるものというよりは本そのものが古いのだろう。そしてそれが大量にある。奥の部屋にも、キッチンにも。オズヴァルドさまは首を傾げているけれど、むしろ彼はどうして平気なのだろう。高貴なお生まれのはずなのに。
とにかく、私の育った宿屋ではお客さまのために衛生管理が第一だった。こんなところで料理なんて健康を害してしまいそうだし、まずは掃除からだ。衛生のことを抜きにしても、床いっぱいに本が積み上げられていては生活しにくいことこの上ないだろう。そこで、ふと気になって聞いてみる。
「……あの、オズヴァルドさまはどこでお休みになっているんですか?」
「どこで、って?」
どうしてそこで不思議そうな顔をなさるのかが不思議なのですが。オズヴァルドさまの店舗兼お家には、水回りを除けば、店部分の奥に部屋が二室ある。とはいえ、その二室はキッチンともうひとつの部屋がカーテンで隔てられているだけだ。奥の部屋は、恐らく使用目的としては寝室なのだろう。昨日オズヴァルドさまが本をずらした(倒したとも言う)時に、ベッドらしきものが見えた。このことからも分かる通り、オズヴァルドさまの寝室はほぼ書庫としてその役割を果たしている。つまり、彼は今ベッドを使えないのだ。
「本を読むときは、適当に床にスペースを作っているんだ」
言って、オズヴァルドさまは足でがさがさと本を避けて膝を抱えて座った。……大人の男性が体育座りをする姿とは哀愁を誘うものだと思っていたが、美形がやると逆に可愛く見えるんだな。今日の発見だ。
「そして、気が付けば意識が遠のいているときがある。きっとその時に寝ているのだろうな」
オズヴァルドさまは他人事のように言って、下からへらりと笑った。
「ユリアさん?」
「オズヴァルドさまは、一人暮らしに向いてません……」
この生活能力も自己管理能力も皆無な人が、よく一人で暮らそうと思い立ったものだ。その経緯は私には知る由も無いが、誰か止めてくれる人は居なかったのか。
「とにかく、まずは掃除です。棚を用意しなければこの大量の本はどうにもなりません」
「棚、なあ……」
彼は本に目を落としたまま考え込んだ。
「店舗の棚はどこで調達したんですか?」
「あれは前の持ち主が残していったものなんだ。この……、うん。この辺にあるベッドもそうなんだが」
オズヴァルドさまはベッドを指差そうとしたが、本の山に隠れて正確な位置が分からず大まかな方向を差した。
「なら、丁度良いですね」
「何がだ?」
「オズヴァルドさまは私に、好きに整理して構わないっておっしゃいましたよね?」
昨日のことだ。この部屋を何とかしなければいけないと伝えると、彼は善処するが掃除は苦手なのだと言った。そこで、私が整理することを提案するとオズヴァルドさまは頷いてくれたのだ。
「ああ、言ったな。けれど、この量を整理するのはあなた人りでは……」
「ええ、ですから。――お願いします」
私がそう声を掛けると、勝手口から頑強な男の人たちが入ってきた。そうして、本を一旦廊下に出して、空いたスペースに棚を配置した。筋肉さんたちがムキムキと働く姿は、筋肉フェチのカトリーナ垂涎ものだろう。けれど私は特にそういった嗜好は無いので目を丸くしているオズヴァルドさまに言う。
「友人の伝手を頼って、業者の方にお願いしたんです」
「……俺のお手伝いさんは、仕事が早いんだな」
オズヴァルドさまが本の場所にこだわりがない方で良かった。書き付けがどこかに行ったりすることがなければ、むしろ整理されていた方が助かると彼は言った。ただ面倒くさかったから越してきたままにしていたのだと。
そうして瞬く間に本は整理され、いくつかの山を床に残して大量の本たちはきっちりと棚に収まった。
「ありがとうございました。これ、報酬です」
そう言って私が棚を運んでくれた男性にお金を入れた袋を渡そうとすると、それをオズヴァルドさまが押し留めた。
「どうしてあなたが支払うんだ。俺が出すから」
言うと、彼はごそごそとキッチンまわりを掻き回して数枚の金貨を持ってきた。
「これで足りるか?」
「……オズヴァルドさま。やっぱり私が支払います」
「どうしてだ?それは駄目だろう」
本気できょとんとしている彼に、説明する。金貨一枚あれば六人家族が優に一か月暮らせる。この程度のアルバイトであれば、銀貨でも多すぎるから人りにつき銅貨三枚ほどが妥当だろう。薄々分かっていたがオズヴァルドさまは金銭感覚も無いのか。まあまさか宮廷魔術師の方がご自分で買い物をすることなんてなかったのだろうし、これは仕方ないと思うけれど。しかしそうかと言って、適正でない価格が動くのは商人の娘として見逃せない。納得してくれた彼は、結局銅貨五枚を支払った。
「おお、見違えたな」
男性たちが去ったあと、オズヴァルドさまは寝室を改めて見渡して言った。ベッドもしっかり姿を露見させている。布団を持って来れば、今日からでもきちんとした睡眠が取れるだろう。もちろんオズヴァルドさまにその気があれば、だが。
「ああそうだ。あなたの護身用の魔道具を開発していたんだ。試してみてくれるか?」
彼は私が来る前に書き付けていたのであろう本を棚から取り出して、言った。
「もう出来たんですか?早いですね」
「上手く行けば商品として店に出そうと思っているからな。王都は幾度も誘拐犯が出るほど物騒なんだろう?あなたの他にも身を守ることを必要としている人は多いはずだ」
オズヴァルドさまは、そんなことまで考えているんだ。確かに、王都にはお金持ちの人から地方より出稼ぎのために出てきた人まで、様々な階層の人が居るから犯罪も多い。そのなかでも特に婦女子を狙ったものは頻発していると聞く。私の様に護衛を付けられる人は良いが、そんな余裕なんて無い人も当然いる。だから、彼の言う通り自分自身で身を守ることのできるものがあれば救われる人は多いに違いない。
「これだな。その紐を引っ張ってみてくれ」
「紐ですね?」
あまり重さを感じないこじんまりとした箱のようなものからひょろりとした紐が伸びている。私がその紐に手を掛けようとすると、慌ててオズヴァルドさまが上から私の手を掴んだ。
「済まない。少し待ってくれ」
言うと、彼は呪文を唱えた。
「主と魔術師オズヴァルド・ブランドルの名の下に。この部屋の中と外界を隔てる壁を作れ。一切音を漏らさぬ壁を」
そう言ったあとには、例の沈黙。
……壁?って何だろう。魔術が掛かったあとにも、特に変わった様子は見受けられなかった。けれどオズヴァルドさまは満足そうに頷いて、私を促した。
「これで良し。紐を引っ張ってくれ」
「分かりました」
こくりと頷いて今度こそ紐を引っ張る。
――ビー――――!
その途端、けたたましい警報音が鳴り響いて私は思わずその箱を取り落としてしまった。オズヴァルドさまが防音の呪文を掛けたのはこのためだったのか!私があたふたとしていると、彼は箱を拾い上げて音を止めてくれた。
「びっくりしました……。これが、護身用?」
「ああ。この音で威嚇にもなるし、何より異変に気が付いた周囲の人間が助けにいけるだろう。恐怖のあまり叫び声を上げられないこともあるからな。相手を傷つけるもののだと慣れていないと自分を傷つけてしまったり、逆上されるのも怖い。その点、音は良い」
「確かにこの音が突然鳴れば驚きますね。しかも紐を引っ張るだけだから、緊急時でもすぐに対応できますし」
その箱を眺めて、改めてオズヴァルドさまはすごい方なのだと認識した。非力な女性向けによく考えられて作られているし、構造も私では及びもつかない複雑なものなのではないだろうか。あまりに生活能力が無くとも、やはりこの方は宮廷魔術師さまなのだ。
「何か改善した方が良いところはあるか?」
「ええと。あまりに発動するのが簡単だと、誤って作動してしまうかもしれません。そうなると、オオカミ少年の様に肝心な時に困ります。……かといって、音を鳴らすのが難しいと急いで対応できなくなっちゃいますね」
「誤作動か。確かにそれについては考えていなかったな。もしあなたがこの箱を持つのなら、どこに入れる?」
「えっ?……うーん、多分鞄の内ポケットですね。素早く取り出せるところにあれば良いのですが、ぶら下げておくわけにはいきませんし」
「鞄の中だと、誤作動の可能性が高くなるな……。まあ、再検討してみるよ」
ふたりで考え込んでしまったところで、彼はそう締めくくった。ふと心配になってしまって、オズヴァルドさまに問う。
「……あの。私、役に立ちましたか?」
彼は既に私に勉強を教えてくれたり、魔道具を開発してくれている。こんな誰にでも言えそうな感想で、私がそれに見合う働きができている自信は全く無かった。
「もちろん。あなたは俺の助けになっているよ」
彼はそう言って、私の不安なんてすべて吹き飛ばされるほど優しく微笑んだ。
「――ユリアさん?どうかしたのか?」
「えっ、はい、あの、……良かったです」
それに私は我知らず見惚れてしまって、いつになくあたふたしてしまったのだった。