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#13 オズヴァルド・ブランドル(後)

 そうして禁書を手当たり次第に読んでいくうちに、オズヴァルドは魔力をものに籠めるという手段に辿り着いた。魔術は創造主の力を借りて行使するものであるために回数に制限はない。ただ術を紡ぐ際に詠唱が必要となるため、一度にいくつも魔術を展開することや連続して行使することは出来ない。しかし、ものに魔術を宿らせればそれが可能となる。実験してみると、人や生き物に魔術を宿らせることは無理だが生命がないものであれば魔力を籠めることが可能だと分かったので、急ぎハール殿下に報告した。反応は薄いわりに、何か発見すれば逐一報告しろと申し付けられている。


「そうか。ブランドル、お前は王都へ行け」

「王都、……ですか?」

「ああ。陛下の公務や権限は少しずつ私に移ってきていることは知っているな?今度、魔術師の職務を決定する権限が私に移ることになったため、お前を王都へ遣わせる許可を出す。いつかお前が言っていた魔術を使える人間が他にも居るのか探して来い。それに、魔術を宿らせることが出来るのならそれを城下に広めて来い。良いな?」

「殿下のご命令とあらば。しかし、今まで通り王宮ではいけないのですか?」

「ああ、王宮では目立ちすぎるのだ。宰相殿は最近私の力を削ぐことに必死だからな。手の内の者を使って粗探しをしているから、お前が私の命で魔術の研究をしていることにも勘付いている」 


 ハール殿下やオズヴァルドがしていることは、長い間魔術師を王宮に閉じ込め権力の象徴としてきた旧弊に抗うことだ。保守派にとっては、王家への背徳行為だとする攻撃材料になり得る。しかし、それだけではない。


「多くの民にとって魔術とはお伽噺の中だけのこと。実際に魔術が広まれば、恐らく民衆はその不可思議で便利な力に魅了されるでしょう。そして、それを行ったハール殿下を支持する。……そういうことでしょうか」

「お前の言う通りだ。宰相殿は保守であるから、魔術を広めることにはもちろん反対だ。私がこれ以上権勢を拡大させることも避けたいだろう。お前に手を出してくるやも知れん。護衛を付けるか」

「いえ、非常に有難いお申し出ですが結構です」


 そう言い殿下の私室を辞して城に与えられた部屋に戻ると、そこには誰かが出入りした跡があった。城の者は誰もここに入らないようにと殿下から達しが出ているし、この部屋を出る際には常に部屋を封じる呪文をかけてある。それを破ることが出来るのは同じ魔術師だけだ。

 中に入ると、本が積み上げられていた床のなかで一か所だけぽっかりと穴が開いていた。魔術に関する資料や書付を積んでいた場所だ。


「宰相殿のご命令です」


 扉から聞こえてきた声に振り返ると、そこに立っていたのは長いローブを着込んだ男だった。オズヴァルドと同じ、魔術師の一家であるエッティンガー家の嫡男だ。


「ブランドル、魔術を広めるなんて馬鹿なことはやめて下さい。希少であると言うことが僕たちの存在価値だと聡い君が理解していないはずはないでしょう?」

「ああ、だがあいにく俺は魔術師の存在価値になんて少しも興味はない」


 エッティンガー家の男は口調こそ丁寧だがオズヴァルドを嘲るように言い、眼鏡の位置を上げた。自分たちの血統に、オズヴァルドから見れば黴の生えたような誇りを持っている魔術師たちは、平民の血を引くにも関わらず自在に魔術を操り王子に気に入られている彼のことを疎ましく思っていた。

エッティンガーはオズヴァルドの言葉を聞くと、嫌悪感を隠そうともせず顔をしかめた。


「寛大な宰相殿はここで手を引けば君を追及することはしないと仰っています。殿下には私から報告しておくとも」


 ああなるほど。そこで合点がいった。これ以上王子殿下に力を持たせることを恐れた宰相と、自分たちの地位を失わないことに必死な魔術師が手を組んだのだ。今はお飾りにすぎないとは言え、常人には理解不可能な力を扱う魔術師に相対出来るのは魔術師しか居ない。


「それで、俺を牽制するために盗みを働いたのか?」

「…………」

「高貴な魔術師さまでもあなたたちが嫌う下賤の者と使う手段は変わらないんだな。悪いが、俺はこのまま殿下に協力する」

「なっ……、ブランドル!」


 追ってくる声を気にせず、オズヴァルドはそのまま王宮の出口を目指した。オズヴァルドには、殿下の様に魔術師のあり方を変えたいなどという高尚な目標は無い。ただ、魔術について研究を深めるうちにその有用性には気が付いていた。初めと違い、今のまま魔術が徐々に衰退し途絶えてしまうのは勿体ないとも。それに彼にとって研究をしていることは何もしないよりはるかに楽だった。



 屋敷に戻り王都へ行く準備をしていると、部屋に父が入ってきた。王都の仕立て屋の娘であった母を見初めてほとんど無理やりの様なかたちで妾にしたものの、子を産んだ後はめっきり彼女が住まう離れを訪れることが亡くなった父。それが産後の肥立ちが悪くやつれてしまった母へ失望したのか、単に飽きただけなのかはオズヴァルドは知らない。ただ、父は母以外の妾を持つことは無かった。


「王都へ行くのか」

「はい」

「殿下のお考えは分かるが、他の魔術師は皆反対している。お前も命を狙われる恐れがある」


 父はそれだけ告げて、オズヴァルドを引き留めることはしなかった。そうしていつものように不快そうに彼の顔を一瞥して去って行った。面倒だったのは正妻だ。どこからかオズヴァルドが家を出ることを聞きつけた彼女は、わざわざオズヴァルドを呼びつけて喚いた。


「卑しい女の息子にはやはり卑しい血が流れているのね!お父上がご先祖さまから守ってきた伝統をお前は壊そうとしているのだわ!お前がこの名誉あるブランドル家を継いだことが間違いの始まりだったのよ。もしもあの子が生きて居れば……」


 そのようなことを、正妻は一刻ほども言い続けた。しかし、彼がひたすら笑顔で対していればやがて彼女は黙り込む。これも、いつもの事だった。



 そうしてオズヴァルドは王都へ出た。宮廷魔術師がその労力に見合わない高給取りなのに加えて、殿下からも資金を賜ったために金に困ることは無い。しかし、魔術を籠めた道具――魔道具を広める方法は店を開くことだと考えていた。商売をする必要はないが、かと言って無償で配るのは怪しすぎて誰も使うことをしないだろう。人は対価を支払って得たものの方が信用に値すると思うからだ。

 店を開くためには、当たり前だが店舗が必要だ。店が見つかるまでの間、オズヴァルドは高級宿屋に宿泊していた。宰相やエッティンガーはオズヴァルド達の計画を潰すことを諦めてはいないだろう。殿下に手を出すことはいくら王弟でも有り得ない。と、なるとオズヴァルドを狙うのが現実的だ。ここなら一般の宿屋と比べて警備がある分少しは安心だった。


 追われている少女を見つけたのはただの偶然だ。その少女を知っていたのは、宿の中で常連らしい客に声を掛けられていたのを見ていたからだった。人助けをしようと思ったわけではない。その一瞬のうちにオズヴァルドの頭の中に浮かんだのは、少女が料理が出来ると話していたこととあの宿屋なら信用に足るだろうということだった。オズヴァルドはその少し前から料理の魔道具について悩んでいたし、まさか高級宿屋の娘に宰相の息が掛かっているということはあるまい。王都について何も知らないオズヴァルドは、もとより仕事を手伝う人間を雇う必要があると考えていた。それには、ある程度信用の置ける家の出で国の政治について知らない人間の方が都合が良い。あの少女なら丁度良いが、しかし商家の娘を雇うなどとは切り出しにくい。襲われている男から助けた後ならば断わりにくいのではないか。働いたのはそんな打算的な考えだ。

 急いで少女と男たちを追うと、それらしき路地の入口に男が立っていた。オズヴァルドは無言でその男の前に立った。


「何だ、お前――」

 

 魔術を見たことがない人間ならば、黒いローブを羽織った異様な風体にまず驚く。その間に詠唱して術を発動させれば魔術師はどんな巨体にも打ち勝つことが出来る。魔術師であることとその能力を知ってしまえば詠唱の間に邪魔をすれば魔術師はただの人と何も変わらないのだが。しかし、もちろん男がオズヴァルドは魔術師であるということに考えが及ぶはずもない。男が言い終わる前に術を掛けた。昏睡の呪文を掛けた男に、更に地面から少し浮遊させる呪文を掛けて少女が居るであろう路地の奥に進む。

 そして、少女を助けたものの呪文の効果が強く出過ぎてしまった。恐らく対人に向けて魔術を使うことに慣れていないからだろう。男たちは官憲に引き渡し、少女は宿屋に連れて帰った。官憲は三人もの人間を軽々と運ぶ黒づくめの男を不気味な目で見ていたが。


 その後はオズヴァルドの目論み通り少女を雇う運びとなった。助けた恩と、宮廷魔術師としての地位があるのだから当然とも言える。オズヴァルドは自分を知る者は誰も居ない城下へと出たことで、愛想の良さがかなり助けとなることを改めて実感した。母譲りの美しい容姿も相まって、少し微笑んで見せれば皆彼のことを信用したからだ。

 少女、ユリアも同じだった。優しく笑って見せれば、ぽーっとなって頷く。この年頃の女なんて皆そんなものだ。

 しかし他者とは違うことがひとつあった。ユリアがオズヴァルドの生活に踏み込んでくることだ。屋敷に居た使用人でさえもオズヴァルドの世話は必要最低限であり、三食食事を出し洗濯をすればあとはすれ違った時に決して顔を見ずに頭を下げれば良いと考えていた。部屋を整理しろと言ったり、ちゃんと食事をとっているのかと聞いてきたのはユリアぐらいのことだ。彼女に言われるまでは、そんなものはいらないと思っていた。ただ面倒なだけであると。しかし、ユリアがオズヴァルドのことで悩んでいるのを見ると湧き上がってくるのは違った感情だった。嬉しい?いや、そう言えるほど自分は純粋ではない。可笑しい?それも少しある。オズヴァルドのことなどに悩んでみても無駄であるのに。懐かしい?ああ、そうかもしれない。唯一オズヴァルドの頭を撫でてくれた母がもしも元気で今も生きていたのならば、こんな風なのだろうかと思った。


 これまで人との関係が薄かったオズヴァルドにとって、毎日会って話をする存在というのはユリアがはじめてのことだ。それだからこそ、オズヴァルドの生活にはいつしか彼自身でも気が付いていないほど彼女の存在が染み込んでいた。オズヴァルドは、これまでの人生の中で抱いたことが無かった『掛替えのない存在』とはきっと、このことなのだと理解した。ユリアがオズヴァルドの仕草にいちいち動揺するのも、商売のこととなると楽しそうにして話が尽きないのも、オズヴァルドの言葉にユリアが笑いながら食事をするのも、全部全部オズヴァルドにとっての掛替えのない時間だった。彼女に出会う前は自分が何も持っていなかったのではないかと思うぐらいに。



 それに気が付いていたのならば、もっと早く伝えるべきだった。しかし後悔とは言葉通り後にしか訪れないものだ。

 その日、オズヴァルドの気分は良いとは決して言えなかった。書類上の姉がわざわざ訪ねて来て、早く戻ってこいと言ったのだ。大方正妻の差し金であろうが、オズヴァルドはこの姉は喚き散らす正妻より厄介だと思っていた。オズヴァルドの心配をしているような口調で、その実考えているのは自分の保身だけだ。そうは言っても姉が見目の良い彼のことを気に入っているのは知っている。笑って見せて馬車まで送ると言えば、渋々ではあるが無理強いはせず帰って行った。何だか、屋敷に居た頃より笑顔を作るのに疲れた気がする。何故だろうと考えて、最近では意識せずともユリアの前では自然と笑顔になっているからだと気が付いた。わざわざ笑みを形取る必要がなくなっていたのだ。

 ああ、彼女が来るのはもうすぐか。時計を眺めてそう思ったが、しかしその日ユリアが店に来ることは無かった。代わりに届いたのはいつか自分が渡した羽だけ。「店を辞める」と書かれた手紙を見て、オズヴァルドはすっと熱が引いたような心地がした。思えば、少し浮かれていたのかもしれない。自分を心配してくれて、笑いかけてくれる人が出来たのだと。大丈夫だ、何も変わらない。そもそもオズヴァルドの人生とはそういうものだった。誰も中には入れず、入ってくるものもいない。それで良かった。良かった、はずなのに。胸のなかを支配するその感情をオズヴァルドはもう知ってしまっていた。孤独、という名前のそれを。



 しかし、どうすれば良いのか分からなかった。大切なものを持ったこともなければ、失ったこともないオズヴァルドは胸中で渦を巻くこの感情をどう扱えば良いのか見当もつかない。だからその日も屋敷に居たときのように頬を上げ目を細めて笑顔を作り、何の感想も抱かずただ食事を摂取した。そうして書に没頭して、気が付いたら外は明るくなっていた。そんな風に時間を過ごしても誰にも何も言われないのだと思った瞬間、どうしようもなく憂鬱で気分が重くなった。彼にとって当たり前だったはずのそれは、もう当たり前ではなくなっていたのだ。

 視線を床に落とすと、ふと腕輪が目に入った。ユリアが最後に残していった、彼女の瞳の色をした石を嵌めこんだそれを見たその時に、居ても立っても居られなくなってオズヴァルドは家を出た。ユリアはオズヴァルドのことを拒絶しているのかもしれない。それでも、オズヴァルドは彼女ともう一度話がしたいと思った。失いたくないと、そう思ったのだ。


 彼女の家に行くには、裏通りから言った方が早い。オズヴァルドがユリアを送った時に彼女が言っていたことだ。歩いていたはずなのにいつの間にか歩調は速まり、ユリアの姿を見つけた時には走っていた。一日会っていないだけだというのに、ひどく懐かしいような気がする。ユリアだ。俺を、俺自身を見てくれる人。まだその碧の瞳にオズヴァルドが映っていることにほっとして、次いで不安になった。ユリアはもう一度話をしてくれるのだろうか。こんな、何も持っていない自分と?

 彼女の兄が許可を出して、ユリアが大した抵抗もせずついてきてもまだ不安は消えることは無かった。

そうしてオズヴァルドが笑みを作る余裕などなく思いを伝えて、奇跡の様にユリアは頷いてくれて。オズヴァルドはユリアを抱きしめながら思う。何を手放すことになっても、決してこの温もりを放すことはしないと。



次回からユリア視点に戻ります。

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