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#12 オズヴァルド・ブランドル(前)

 オズヴァルドにとって、笑顔というのは利用するものだった。


 物心がついたときに周囲にいたのは、臥せがちの母親と入れ替わり立ち代る数人の使用人だけだった。恐らく初めは母だったと思う。母は子が生まれて以来父が会いに来なくなったことをよく嘆いてたが、オズヴァルドが笑って見せれば少しの間だけは笑顔になった。その母は、彼が七歳の時に死んだ。それでも、オズヴァルドの生活は変わらない。ほとんど誰も来ない屋敷の離れで書庫にある本を読んだり、父に課された運動をこなすこと、そして使用人が運んでくる食事を摂取するくらいだ。

 

 魔術師の子であるオズヴァルドの役割は、正妻の子の保険だった。代々数を減らしている魔術師にとって、後継がいないというのは大問題になる。正妻の子は体が弱く度々熱を出して寝込んでいたので、何かあった時はオズヴァルドがブランドル家の魔術師としての仕事を引き継ぐことになっていた。本来ならば、正妻の長子と同様に次男三男や妾の子も魔術師になる教育を施されただろう。父から長子への一子相伝というのは数世代前に見直され、魔術師の血を引く男子ならすべて魔術師にするというくらい後継問題は逼迫していたからだ。

 しかし、ブランドル家では正妻がそれを許さなかった。貴族の娘で気位も高い彼女は、夫が平民の娘を愛しているという事実を受け入れられなかった。自分の正妻としての地位が脅かされるのを恐れ、オズヴァルド母子が本邸で暮らすことは決して許さなかったのだ。それはオズヴァルドの母が死んでも同じことで、まるでオズヴァルドが魔術師としての教育を施されることで長男の病気が重くなると言うように猛反対した。その結果、オズヴァルドは最低限の教育は受けるが肝心の魔術師としての知識は何一つしらないという宙ぶらりんの状態になっていたのだった。

 

 状況が変わったのは、オズヴァルドが十二歳の時。正妻の子が死んだのだ。正妻は泣き喚いたが、結局はオズヴァルドが本邸に迎えられることになった。父はオズヴァルドの顔を見るたびに眉を潜め、正妻は少しでも粗相があるとヒステリックに彼とその母を罵り、既に嫁に行っていた書類上の姉は屋敷に帰ってくるとやけに馴れ馴れしく嫁ぎ先の愚痴なんかを言ってきた。使用人も彼が主人たちに軽んじられていることを知っていたのでそれ相応に扱った。オズヴァルドは、その全てに対して笑顔で返していた。笑顔で居れば、相手の機嫌を損ねることは少ない。見目の良い自分がやれば尚更だ。貴族の子弟が通う学校にも行くようになったが、ひとつ笑顔を見せるだけで過ごしやすくなった。もちろんここにもオズヴァルドを妾の子がと吐き捨てる人間はいたが、その一時だけ耐えれば良いのだ。


 学校を卒業すれば、魔術師としての教育が待っていた。とはいえ、今の魔術師に求められているのは防御の術と暇な貴族どもの目を愉しませる派手で役に立たない術だけだ。防御の術を会得するのは、式典では魔術師が王族の警備を務めることがあるからだ。しかし後方から呪文を放つ戦争ならいざ知らず、王の前に曲者が現れても詠唱を必要とする魔術師は実際には頼りにされていない。いまや魔術師は、希少な存在を囲い込めるのだと言う王家の権力の象徴となり下がっていた。オズヴァルドが父から受けた魔術師としての教育も、はじめの数日でコツを掴めばあとは自分で経験を積めと言う簡単なものだった。

 魔術師は貴族とは違う。王宮から要請があった時にのみ課せられた役割を果たせばよかったから、趣味を持つものが多かった。中には好色に耽るものや放蕩したものも居たが、ブランドル家のそれは大抵書物だった。例に漏れずオズヴァルドも暇があれば屋敷になる本を読み漁っていた。本は良い。次期当主でありながら他の家の者に疎んじられているオズヴァルドを扱いかねる視線を送る使用人の目も避けられるし、読んでいるうちに勝手に時間が過ぎてくれる。オズヴァルドを取り巻く環境は、生きていくために最低限の衣食住と父の嫌悪が混じった態度、正妻の罵りと魔術師となった今も大して変わっていなかった。それが、オズヴァルドにとっての当たり前だった。

 

 そんなある日。オズヴァルドは王子殿下の私室に呼び出された。式典もパーティもないのに呼び出されるのは初めての事で、内心首を傾げた。国王陛下の実子であり、継承権第一位のハール殿下。彼は国政の改革に乗り出そうとしているという噂だった。若い権力者にありそうなことだとオズヴァルドは思っていた。若いころは誰でも夢を見る。そして自分だけは他者とは違いそれを叶えられるのだと思い込むのだ、と。

 王子殿下の話を聞いてもそれは同様だった。


「お前はブランドル家の長男だな。私は魔術師の現状を変えようと思っている」

「魔術師の現状、と申しますと?」

「お前たち魔術師はお飾りの近衛と余興以外にも魔術が使えるのだろう?だったら、このまま王家に囲い込まれているのは惜しいと思わないか?」


 ――惜しいと思う?そう問われてみても、オズヴァルドの心は動かなかった。仕事として果たしているだけで、出自もあり魔術師そのものについてあまり関心は無かった。ただ今のままの状態が続けばそう遠くないうちに血は果てて魔術師という存在はこの世界からいなくなるのだろうと考えるくらいだ。


「私は、魔術を世に広めたい」

「お言葉ですが殿下。それは陛下がお許しにならないでしょう」


 当代の国王陛下は、保守的な人だった。これまでの国の在り方を変えることなく、ただ存続させる。言うには容易いが実際にそれがどれだけ難しいことなのかをオズヴァルドは知っている。それは聡明と謳われるこの王子殿下も同じだろう。しかし、彼はふんっと鼻で笑った。


「どうして陛下のお許しが関係する?次代の王は私だ。それに、陛下は最愛の妃を失ってからすっかり弱っておられる。あと数年持てば良い方だろうな」


 機密とも言えるそんな情報をいきなり漏らされて、オズヴァルドは思わず目を見開いて殿下の顔を正面から眺めてしまった。彼はそれを少しも意に介さず、尊大に言い放った。


「学に長けているというブランドル家のお前に命令だ。魔術を広める方法を探せ」

「はっ」


 魔術師は厳密にいえば王族の臣下ではないが、しかし王子殿下に命令だと言われては頷くしかない。オズヴァルドは深々と首を垂れた。


 それからは、ただ本を読み暇を潰していた時間が王宮にいる時間となった。そうすると、あの屋敷に居ないと言うのは存外に楽なことなのだと気が付いた。殿下から城の一室と禁書の閲覧許可を貰ったために、オズヴァルドは城にいることが多くなった。父は彼が何かをしていることに気が付いてはいたが何も言わなかった。


 オズヴァルドがその記述を見つけたのは、禁書の棚の中でも奥深くにあった本のなかだった。百年は誰も開いていないと思われる埃にまみれた古い本。その中に書かれていたのは、ある魔術師が跡継ぎに恵まれなかったために養子を探そうとした。しかし他家でも養子に出せるような子供は居らず、仕方なく魔術師の血など一切引いていない貴族から養子を貰い駄目で元々と魔術を教えると何とその子は魔術を使えたのだと言う。

 この記述が本当ならば、魔術の掛け方さえ知れば誰でもとまではいかないにしても素養があるものならば魔術師になれるのではないか。考えてみれば、その方が筋が通っている。初代の魔術師が活躍していた時代から三百年ほど経過しており、その間に魔術師の家は分家も含めて十家ほどに増えた。たとえ初代の血が流れているのだとしても、それはかなり薄まっているに違いない。恐らくこの本が禁書とされたのは魔術は血によって引き継がれるものだという魔術師の定説が揺らいでしまうことと、いたずらに魔術を使うものが増えてしまえば希少なものであるからこそ成り立つ存在価値が失われてしまうという危機感によるものだろう。


「ふむ……。そうか」


 オズヴァルドがそのことをハール殿下に報告すると、彼はひとつ頷いて顎に手を置いて考え込んだ。


「時にブランドル。お前は私に命令されたことを他の誰かに言ったか?」

「いえ、言っておりませんが」


 魔術を広めたいと言う殿下にとって革新的な意見だと思っていたが、あっさりと流されてオズヴァルドは一瞬呆けた。しかしすぐに返答をすると、ハール殿下は眉根を寄せた。


「では、これからもそうしてくれ。宰相殿が私が何かしようとしていることに気が付いていては拙い。彼は陛下と同じく保守的だからな。お前が何をしているかを知れば、妨害してくるだろうよ」


 宰相というのは国王陛下の弟君のことだ。つまり、殿下の叔父上ということになる。兄と同じく今の国政を維持しようという考えの彼は、その血の貴さだけではなく先を見通す策士家として知られている。老獪した狸のような男だ。その狸は今ではすっかり表舞台に出てこなくなった陛下に変わり政治の一切を取り仕切っている。しかし次代の王としてハール殿下を擁する革新勢力もその声は決して小さいものではな

く、今この国は保守派と革新派、それに中立派と微妙な均衡を保っている状態にあるのだ。


 元々親しく話すような家族も友人も居ない。ただひたすら研究をすると言うこともオズヴァルドにとって苦では無く、時間は瞬く間に過ぎていった。魔術を披露するために出席するパーティで、見目麗しい上に愛想の良いオズヴァルドは女性に声を掛けられることもあったが、断るのも真剣に交際するのも煩わしく大抵一夜限りの関係となっていた。そして、そんな女性たちは魔術師の物珍しさか彼の容姿のどちらかに魅力を感じているだけだ。家の者は言わずもがな、魔術を広める方法を探すことを命じたハール殿下もオズヴァルド自身にではなくブランドル家の長男に関心がある。

 オズヴァルド自身を見る者は誰も居なかった。それは当然のことで、辛いというわけではない。しかし、今は亡き母の手をふと思い出すことはあった。幼い彼が笑顔をつくると、そっと頭を撫でてくれた白くて柔らかい手。その胸に去来するものが何という感情なのかオズヴァルドには分からなかったが。


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