#11 好き
「……えっ、えええっ⁉」
彼の言葉を頭の中でやっと咀嚼した瞬間、私はそんな間抜けな声を上げて立ち上がり机から、というかオズヴァルドさまから距離を取った。
『俺は、あなたに恋をしているんだ』
ふたりきりの彼の家のキッチンで、オズヴァルドさまはさっき確かにそう言った。
「恋って、えっ、……あの、なぜ、私に」
駄目だ、片言しか出てこない。撫でて欲しそうに足元に擦り寄ってきたミーツにも今は構う余裕がない。
「理由がいるのか?」
「理由っていうか、えっと……。オズヴァルドさまのこ、あの、それは気のせいではないのですか」
そうだ。だって、オズヴァルドさまが私を好きになるなんて全く脈絡がない。しどろもどろな私の質問に、彼は座ったままに答えた。
「あなたが言ったんだろう。好きという感情は、目の前にあれば嬉しくて、なくなってしまえば寂しくてどうしようもない気持ちになるものだと」
……確かに、言ったような気がする。朧げな記憶を掘り返してみればオズヴァルドさまと初めて市に行ったときにそんな感じのことを言った。
「昨日、あなたの手紙を受け取ってから俺はひとりで食事をとったんだ」
「……ちなみに何を?」
「サンドイッチだ」
おお、初めはバケットだけだったのに具が入っているとは。オズヴァルドさまの食生活は確実に進歩している。私が何だか嬉しくなっていると、彼は続けた。
「いつか言ったな。あなたと居る時は食事が美味しい、と。それはあなたが居ない時でもそうだったんだ。あなたがこの料理は東国の料理だと教えてくれたとか、次にあなたと食事を共にとる時はこんなことを話そうとかそんな事を考えながら食べていると、少しも味気なくなんて無かった。けれど、昨日は違ったんだ。もう永遠にあなたとふたりで食事をしたり話すこともないのだと思うとやりきれない気持ちになって、味なんてひとつもしなかった」
そう言って、彼は何かに耐えるようにぎゅっと目を瞑った。
「だが、今目の前にあなたが居ると思うと俺はとても嬉しくなるんだ」
オズヴァルドさまはゆっくりとその濃青を開くと、まるで花が咲む時の様にふわりと笑んだ。小さな男の子が宝物を見つけた時みたいなその表情は、彼の言葉は真実なのだとはっきりと証明していた。
「……っ、えっと、はい」
オズヴァルドさまの笑顔を見たのは彼が私の家に来てから初めてだ。私はいまだ動揺していて頷くことしかできない。彼はそんな私をみつめながら言った。
「これが、あなたが言っていた『好き』という感情だろう。だから、俺はあなたに恋をしているんだ。分かってくれたか?」
その瞳に縋るような色があるのを見つけて、私は静かに首を縦に振った。オズヴァルドさまの気持ちは分かった。まだとても信じられないけれど、分かった。でも私にはどうしても気になっていることがあった。
「ひとつ聞いても良いですか?」
「ああ」
「昨日の黒髪の女性はどなたですか?恋人じゃないっておっしゃってましたけど、だったらどうしてお店に?」
その話題は、どうやら彼にとってあまり好ましいものではないらしい。ぐっと眉根を寄せて言葉を選びつつ言った。
「……あの女性は、姉なんだ」
「あ、ね?でも髪も瞳の色もオズヴァルドさまとは全然違いましたよね」
「ああ。腹違いだからな」
オズヴァルドさまは感情の乗らない声でそう言って、しかし次の瞬間にはふ、と笑顔になっていた。
「もしかして、姉を恋人と間違えたからあなたはもう来ないと言ったのか?」
「まあ、それもひとつの原因です」
「そうか。……あなたは可愛いな」
きゅん、と私の胸が音を立てた。柔らかい笑みでそんなことを言わないでいただきたい。にやけてしまいそうになるので。
「姉が何故来ていたか、だな。あの人は、というか俺の家の者は俺を家に連れ戻そうとしているんだ。俺はここでやらなければならないことがあるから帰る気はさらさらないが」
「そうですか。あの、ご家族とは仲が良いんですか?」
「いや。姉とは腹違いで、あれは正妻の子だからな。父やその妻もそうだが心の中では妾腹の俺を苦々しく思っている」
「しょうふく……」
ぱっと意味が出て来ず復唱すると、彼はいつもの様に説明してくれた。しかし、相変わらずその言葉には表情がない。
「魔術師は血筋を絶やさないことに必死なんだ。だから、妾を持つ者が多い。俺の母は王都の仕立て屋の娘だったよ」
……妾。そっか。そういうのもあるんだ。私の中でそれは、すとんと音を立てて落ちた。
「分かりました。すみません、個人的なことまで聞いてしまって」
「いや、良い。あなたが俺に興味を持ってくれるのは嬉しい」
ぐっとまたもや私が言葉に詰まるとオズヴァルドさまが立ち上がって部屋の隅に居た私の前に立った。
「この腕輪、まだ着けてくれていたんだな」
彼が私の左腕につけっぱなしにしていた腕輪に目を向けた。オズヴァルドさまがくれた護身用のそれには、彼の目の色と同じ青色の石が嵌まっている。
「はい、えっと……オズヴァルドさまと同じ色だと思うと何だか惜しくて」
「あなたは、男が自分の瞳の色と同じアクセサリーを女性に贈る意味を知っているか?」
もちろん知らない。というかオズヴァルドさまはこの腕輪の石の色が青色だって知っていたんだ。てっきり適当に選んだものだとばかり思っていた。
私が否定すると、彼は私の手首に視線を落としたまま言った。
「あなたを自分のものにしたい、だ。初めはいつかのアクセサリー屋での約束の代わりにそれを渡そうとしていたが、踏ん切りがつかなくて別れ際に渡すことになってしまった」
しかし、オズヴァルドさまの言葉の最後の方はあまり頭に入ってこなかった。何故ならば。
「――それ、すごく良いですね!女性へのプレゼントとして男性向けに売り出せば王都で評判になるんじゃないでしょうか。その謂れも説明して、いくつか石の色を用意して選べるようにすれば恋人でもこれから恋人になる男女にも良いですし……」
と、そこまで言ったところで目の前の人が私をじっと見つめていることに気がついた。あれ、駄目だったかな。結構良い案だと思ったんだけど。
「……まあ、良いか。それで、返事は聞かせてくれないのか?」
「返事?」
ひとつため息を吐いたオズヴァルドさまに私が問い返すと、彼は真面目な顔をして言った。
「俺はあなたに好きだと告白した。もちろんあなたが俺のことを何とも思っていなかったり他に好きな男が居るのなら無理強いはしない。だが、もしもあなたも望んでくれるのならば、俺のこれからの人生はあなたにそばに居て欲しいと思う」
「……はい」
「それは承諾か?相槌か?」
ああもう、言わせないで欲しい。私はこういうことに全くと言って良いほど免疫がないのだ。
「…………私もオズヴァルドさまのことが、好きです」
「――本当か?」
自分で言わせた癖に、彼の目は真ん丸になっている。
「こんなこと、嘘では言いません。あなたの傍に居させてください」
最後まで言い終わらないうちに、私の視界は真っ暗になった。オズヴァルドさまの腕は私の背に回っていて、真正面からぎゅっと抱きしめられている。
「ありがとう」
ほっと安堵していることが分かるその声が、私の鼓膜を震わせた。彼の匂いに柔らかく包まれてまた涙が出そうになる。私は、この甘い温もりを享受していて良いんだ。
好きです。大好きです、オズヴァルドさま。たとえ私ひとりのものにならなくても、それでも良いと思えるくらいに。
次回と次々回はオズヴァルド視点です。