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#1 始まりは魔術とともに

 ――はあっ、はあっ。

 人気ひとけのない路地に、私の短い呼吸と男たちの荒い呼吸の音だけが響いている。


「そろそろ観念して捕まりなあ、小娘っ」

「嫌です!」


 ああもう、スカートの裾が足にまとわりついて走りにくい。今日に限ってお気に入りのフリフリとしたワンピースを着て来てしまった。誘拐 (予定)犯に追いかけられることが分かっていれば動きやすいズボンにしたのに。


「……いや、そもそも分かっていれば家から出なかったのに!」

「ああ⁉何か言ったか⁉」


 独り言です!いちいち拾わなくて良い、というか私の言葉を聞き取ろうとしてくれる気遣いがあるのなら、その気遣いをもう少し拡張して追いかけっこはそろそろやめにしませんか。

 なんてことを考えていたのが悪かったのか、気が付けば私は行き止まりに追い込まれていた。とん、と背中に塀の固さが伝わってくると同時に私の顔の横で男の野太い腕が音を立てた。この体勢は、昨日アンが騒いでいた壁ドンと言うやつでは。残念ながら不本意な運動により私の胸はドキドキではなくバクバクと音を立てているけれど。


「っはあっ、もう逃げ場がねえな。そんなに怯えなくて良いんだぜ?何もこっちはお前を殺そうとしてるんじゃねえ。ただご家族に連絡して少しばかりの金と引き換えに迎えにきてもらうだけの話よお」

「それを世間では誘拐って言うんですよ!官憲に見つかればどうなるか……」

「ああ、だから静かにしてくれねえとついついお前を傷つけてしまうかもなあ」


 そう言うと、男は私を壁に閉じ込めていない方の左手でどこからかナイフを取り出した。


「ひ……っ」

「へへっ、ついに諦めたか?ここには誰も来ることは無いんだからな」

「――それはどうかな?」


 その言葉とともに、男の短く刈りあげられた頭の後ろに真っ黒な人影が見えた。ふわりと風が吹いて人影のフードが取れると、きらきらと黄金に輝く髪が現れる。見たことのない美形に、私は誘拐犯に襲われそうになっていることも忘れて声を失ってしまった。

 突如あらわれた人間に、男は吠えた。


「な……っ、おい!路地は見張っておけと言っておいただろう!」

「こいつのことか?俺が話しかけたら眠ってしまったんだ。何もしていないのに、不思議だよなあ」


 男の人が、だらりと脱力した誘拐犯の仲間の首根っこをぶら下げて言った。……何もしてないとか絶対嘘だ。金髪の男の人の笑顔に、言い知れぬ胡散臭さを感じる。それでも、私が今助けを求められるのはこの人以外に居ない。


「あのっ、助けてください!」

「ああ、そのために来たんだからな。少しだけ耐えてくれ」


 誘拐犯の仲間を無造作に地面に放り投げて、男の人は口を動かして何事かを唱えた。そうして訪れたのは、時が止まったような静寂。鳥や草さえも動きをやめてしまったように思えるその沈黙は、不思議なことに瞬きの間にも永遠に続くような長さにも感じた。はっと息を飲んだ次の瞬間には、大きな風が吹くと同時に低い音を立てて目の前に居た男の姿が沈んでいった。

 地面に倒れてしまった男をひょいと踏み越えて、金色の男の人は私に近付いた。


「大丈夫だったか?悲鳴が聞こえてきたから覗いてみたんだが」


 しかし、私はその問いに答えることは出来なかった。意識はぷっつりと刈り取られてしまい、男の人の姿はふいに消えてしまったからだ。いや彼が消えたんじゃなくて私の瞼が閉じたのだ、と考える余裕もなく私は倒れこんでしまった。




「……お、目が覚めたか?」


 瞼を開いてはじめに目に入ったのは、何の変哲もないいつもの私の部屋を背に負った金髪の美青年の顔だ。似合わないにもほどがある。こういう人にはこんな街の一室より王宮の舞踏会とかの方がお似合いだなあ、と考えたところでばっと身を起こした。


「はあっ⁉どうして私の部屋に、あっこれ夢なの⁉」


 そうだ、夢だ!だって、私の生活の中に居る男の人なんて家族と護衛の人と、あとたまに現れる誘拐犯ぐらいのことでこんなに若い男の人となんて話すことすら滅多にないのだ。……うん、何かむなしくなってきた。悲しい生活である。ともかくこんな美青年が私の部屋に居るなんて有り得ない。これは夢だ。夢に違いない、と再び目を閉じようとしたその時、ぎゅっと頬をつねられた。


「⁉ 痛い!」

「やっと起きたと思ったらなに馬鹿なこと言ってるの!起きてお礼を言いなさい、ユリア!」


 そう言って叱ったのは母さんだ。ひりひりと痛む頬を抑えながら改めて部屋を見回してみると、ベッドの傍の椅子にあの男性が腰かけていた。真っ黒なローブに、金色の髪と穏やかに微笑むきらきらしいかんばせ。夢ではない。男性とのふれあいが少なすぎて私が作り上げた幻想でもない。


「あの……?」

「何だ?」


 話しかけると男の人は首を傾げた。


「ええっと、どうしてこの様なところに……」

「あんたまだ寝ぼけてるの?この方があんたを助けて、ここまで連れて来てくださったんだよ。おまけに心配だからって目覚めるまで傍についていて下さって」

「ああいえ。お嬢さんが倒れたのは俺のせいでもありますから」


 男の人は母さんに向かってふりふりと手を振った。


「あなたのせい?」


 どういうことだろう。だって私は誘拐 (未遂)犯に襲われそうになったところをこの人に助けてもらったはず。と、考えたところで私の記憶はそこで途切れていることに気が付いた。


「あなたは、一体……」

「続きは客間でね。いつまでもあんたの部屋に居るのも何だろう」


 母さんがパンパンと手を叩いた。その言葉を契機に、私たちは何だと言われてしまった部屋を後にした。




 客間のソファに座ると、従業員の女の子がお茶を持ってきてくれた。


「さすが街一番の宿屋だ。立派な家具ですね」


 男の人がそう言って部屋を見回した。

 私のうちはここ王都で宿屋をしている。宿屋と言っても旅人を泊めるだけのものとは違って、この人が言った通り地方から出てきたお金持ちが滞在したり街に遊びに来たお貴族様が休憩するための部屋も用意している大きな規模のものだ。良く言えば父さんが商売上手、悪く言えば成金なので見栄えも良い。だからそんな宿屋の娘である私は身代金目当てで誘拐犯に狙われることが多いのだ。そうして今日も例のごとく狙われていたのだけれど……あれ。


「連れてきてくれたって、どうして私のうちが宿屋って知っていたんですか?」


 ふと浮かんだ疑問を男性にぶつけると、彼はぴんと人差し指を立てて言った。


「ひとつ。あなたからは湯屋とレストランの匂いがした。この両者が組み合わさるのは宿屋くらいのものだ。ふたつ。身なりから見て、あなたはただの街娘ではない。相当に大きな商家の娘だと考えた。それらの点から、ここの宿屋のお嬢さんだと判断したんだ」

「へえ、すごいですねえ」


 私は目を丸くした。まるで物語のなかの名探偵さんみたいだ。


「まあ、冗談なんだけどな。ここの宿泊客だから知っていただけだ」

「は……えっ⁉」

「あいにく俺は、犬が吠えなかっただけで真犯人を当てられるような名探偵ではないんだ」


 ……一気に気が抜けた。涼しい顔で紅茶を飲んでいる彼からは、食えないオーラをびしびしと感じる。そんな私の様子を見て、母さんがくすくすと笑った。


「見たことが無かった?ブランドルさまは一週間ほど前からお泊りなんだよ」

「知らない。私最近宿のほうにはあまり行ってないし」

「俺も一方的に姿を見ていただけですから。ああ申し遅れたな。俺はオズヴァルド・ブランドルと言う。よろしく、ユリアさん」


 ブランドルさまが手を差し出してくるままに、私もその手を握り返した。大きな手だ。まるでお貴族さまのようにきらきらしい顔をしていらっしゃるのに、その手には固いペンだこの感触があった。


「どうかしたか?」


 握手をしたまま私が考え込んでいるのを見て、ブランドルさまが声を掛けた。慌てて手を放すと彼は不思議そうな顔をしていた。


「すみません。この子ったらブランドルさまのように若くて格好の良い男性と話すのに慣れていないから緊張してしまっているんです」

「母さん!」


 フォローの方向性が違う!男性との触れ合いに飢えすぎていて放すのが惜しかったのだろうかとか思われたらどうするんだ。違うんです、父の職業柄お客さんと握手することが多いために手の平の感覚から色々考えてしまうのは癖みたいなものなんです。それは確かに緊張していないと言えば噓になるけれどそこまで初心じゃない、と思う。多分、きっと、恐らく。

 自分の男性耐性に自信が無くなりつつきっと母さんを睨んでみると、逆に母さんは目を吊り上げた。ものすごく嫌な予感がする。


「そうだユリア、あんたまた護衛を撒いたんだってね。だから誘拐なんてされそうになる羽目に陥るんだよ。今回で分かったでしょう」

「でも、母さん……」

「『でも』じゃない!」


 母さんの雷が落ちた。だってだって、護衛のダフネルさんは私の行ったところを母さんに報告してしまうんだもの。書店で三時間立ち読みしていたことや定食屋さんに大盛り定食を食べに行ったことがばれたら怒られてしまう。

 母さんは、私を女の子らしい娘に育てたいらしい。そして、然るべき大店おおだなのお嫁さんに行かせようと目論んでいる。だから学校の後はお友達とカフェでお茶したり、街で話題の髪飾り屋さんへ行くことを望んでいるのだ。私もそういう女の子らしいことがしたい日もあるけれど、書店のお爺さんに色々とお話を聞きながら本を選びたい日もある。 

 あと筋肉さんなダフネルさんは、私の買い物を待っている間に店の外で腹筋をしているからちょっと嫌だ。だから今日も、ダフネルさんが学校の前で私が出てくるのを待ちながら懸垂している間にそっと裏門から抜け出したのだ。それで誘拐されそうになっているのだし、確かに私が悪いのだけれど。

 私がしゅんとしているとブランドルさまは、


「よくああいう奴に追われるのか?」


 と、聞いた。母さんはお客さんの前で大声をあげたことを彼に詫びてから頬に手を当てて言う。


「そうなんです。実際に誘拐されたことは無いんですが、この子がぼーっとしているのもあって狙われやすいみたいで。だからこっちは心配しているのに、ユリアったらまた護衛から逃げちゃって……っと、申し訳ありません。お客様にこんな内輪の話を」

「いえ、良いんです。――なら、俺が助けになれるかもしれません」

「え?」


 私と母さんの声が重なった。


「俺の職業はもうお教えしましたか?」

「いえ、主人からはただ王宮で働いていらっしゃるとだけお伺いしていますが」


 ブランドルさまは王宮で働いているんだ。じゃあもしかして、本当のお貴族さまだったりするのか。あ、でもお貴族さまならこんな怪しげな真っ黒なローブよりもっとキラキラワシャワシャしたお召し物を身に付けられているか。


「ええ。俺は城で魔術師として働いていたんです」

「……魔術師⁉ということは、宮廷魔術師ということですか⁉」

「はい、宮廷の方の魔術師です」


 驚いている母さんの横で、私は何か言う事すらできなくてただただぽかんと口を開けていた。

 宮廷の方も何も、魔術師は宮廷にしか居ない。魔術師さまは、お貴族さまよりもっと、具体的には王家の次ぐらいに高貴な方々だ。建国の際に今の国王さまの祖先の方と共に尽力した魔術師さまの血を引く彼らは、滅多に私たちの前に姿を見せることが無い。だから、私たち庶民にとって魔術師さまというのはほとんどお伽噺の中の存在だ。いや庶民だけではなく並みの貴族でも、魔術師さまを実際に目にする機会はほとんど無いと言う。魔術を操るその技は家系によるもので、建国から三百年程経った今や魔術師さまは両の手で数えるくらいしか居ないからだ。

 その希少な宮廷魔術師さまのひとりが、今私の家のソファで紅茶を啜っている。何だかその手指さえ神々しく見えてきた。


「あの、私の助けになるって言うのは……」


 やっとものを言うことが出来た。ブランドルさまは、薄く笑って答える。


「俺は魔道具の研究をしているんだ。その魔道具で、ユリアさんの身を守るものをつくれないかと」

「はあ……」


 魔道具って何だろう。曖昧な返事をかえした私に、彼はその笑顔のまま言った。


「良かったら俺の店を見に来るか?やっと空き家が見つかったので今日移るところなのだが」

「あの、ブランドルさま。お申し出は非常に有難いのですがどうしてそこまで良くしてくださるのでしょう」


 母さんの質問に、私もうんうんと頷いた。宮廷魔術師さまの知り合いなんて勿論いないから分からないが、彼らはこんなに親切なものなのだろうか。


「そうですね。……ひとつは、このような大きい宿屋と懇意にしていれば商売をしやすいだろうという下心です。もうひとつは、ユリアさんにお願いがあります」

「私に?」


 オズヴァルドさまは、私の方を見て言った。


「ああ。俺の仕事を、手伝ってはくれないだろうか」


 ……仕事?と、いうと彼がさっき言った魔道具と言うものが関係しているのだろうか。そう言われても、私はもちろん魔術のことなんて詳しくないし、見たことすら無い。何も出来ることなんて無いと思うのだけれど。


「仕事とは言っても難しいことではないんだ。ただ俺に料理を教えたり、商品の感想を言ってもらうような単純なもので」

「どうして私が?」

「若いお嬢さんの意見が欲しいのと、諸々の事情により大々的な手伝いの募集を掛けにくい立場にあるからな。もちろん無理にとは言わないが」

「……なるほど」


 事情は分かった。私の率直な気持ちを言えば、やってみたい。毎日学校と家の往復、それとたまに友達とお茶したり護衛を撒くくらいの代わり映えのしない生活。辛いことはないし恵まれているとは思うけれ

ど、このままの生活を続けてただ嫁に行くだけの人生を考えるとため息が出ることもある。

 しかし、結婚前の商家の娘が働きに出るというのはあまり歓迎されない気がする。ほら、母さんも微妙な顔をしているし。


「ユリア、お受けさせていただきなさい!」

「父さん⁉」


 すぱーんっと音を当てて、扉の奥から現れたのは父さんだ。父さんは私を手招きして言った。


「お前も聞いただろう?ブランドルさまはお前が必要だとおっしゃっているのだ。困っている人が居れば助けるのが人として当然のことだろう」

「……本音は?」

「ブランドルさまは羽振りの良いお客さまだし、何より宮廷魔術師の方との関係こねがあれば商売に役立ちそうだと思う」

「…………」


 ブランドルさまの方に目を向けると、彼はにっこりと笑った。


「ああそうだ。この券、良かったらあなたにあげようか。実家に届いたのだが俺には必要無いからな」


 その手に握られていたのは、五番街の高級菓子店の紹介券だ。普通菓子店に招待もなにもないのだけれど、その店は会員しか入ることが出来ないのだ。私も父さんのコネやら何やらを使って行ってみたいと思っていたのだけれど、終ぞ手に入れられたことが無かった。それが、目の前に座る人の手の中に。


「……分かりました。お手伝い、させてください」


 こうして私は、商魂たくましい父さんと高級菓子の魅力によりブランドルさまのお店で働くことになったのだった。


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