8 恋と憧れ
日常回はコメディ色が強めになります。
予めご了承ください。
あの喧嘩の日から二ヶ月。季節は移り変わり新緑の芽吹く春の頃。
彼らの別れはひどくあっさりとしたものだった。
ルークは家族や幼馴染との挨拶を終えると、王都へと向かう乗合馬車――護衛として雇われているであろう冒険者の姿も見える――に乗り込み旅立って行った。
別れの挨拶代わりに「精々頑張れ、破滅的馬鹿」と言ってやると、「お互い様だよ、極地的馬鹿」と返してきた。
他の見送りの連中は、自分たちを珍妙なものでも見るかのような顔で見ていたように思える。
――ルークの母親だけは何故か微笑ましそうに笑っていたが。
「それで……良かったのかよ、あれで」
「……何の話?」
現在クルトはトルテと共にいつもの広場に向かっている途中である。
大事な話があると言って彼女に付き合ってもらったのだ。
――アイクとケルンは気を利かせたつもりなのか姿を消した。
久しぶりのトルテと二人きりという状況に少々浮かれつつも、胸に湧いた疑問を問いかける。
「だってお前……ルークのこと好きなんだろ?」
「……はあ?」
とてつもなくあり得ないものを見たかのような視線を向けられ、慌てて言葉を続ける。
「いや、だってお前……その、えっと……」
「……あー、そういうことね」
とはいえ、慌て過ぎてまともな言葉にならないクルト。
そんな幼馴染の少年の様子に何を悟ったのかトルテは軽く頷く。
「まあ、好きと言えば好きよ」
――ただし彼女がルークに向ける感情は、恋愛感情というよりも憧れのそれである。
確かに今になって思い返してみれば、黒歴史になりそうなほどに逆上せ上がった時期もある。
しかし歳を重ねる毎に、自然と彼女は自分の気持ちの正体に気がついたのだ。
確かに『好き』ではある。しかし一生を共にしたいかと言えば、それはやはり違うのだ。
(それにルーくんがパン屋ってのもね)
トルテの実家はパン屋を経営している。そこに彼が婿入りしてパンを作る――想像にしてもあり得なさすぎて笑えてくる。
(そういう相手としてはむしろ――)
と、目の前で訳がわからないという様子で唸っている幼なじみを見るが、はっきり言ってこの少年に繊細な乙女心の機微が理解できるとも思えない。
「クルトは馬鹿だからね」
「んなっ!?」
いきなり馬鹿呼ばわりされたクルトが呻く。相手が他の幼馴染なら言い返すか殴りかかるところだが、トルテに対しては強く出られない。惚れた弱みとは恐ろしいものだと思う。
「まっ、とにかくそれはクルトの勘違いよ」
「そ、そうなのか……」
もしも本気でルークに惚れ込む相手がいるとしたら、その人は相当苦労することになるだろうと思う。
なにしろ高い能力に反し自己評価が低く、そのうえ他人から向けられる感情に対しておそろしく鈍感なのだ。
ひょっとしたら彼が入学する王立学院にいるかもしれない何処かの‟誰か”に同情めいた想いを抱いていると――
「ト、トルテッ!」
いつの間にか目的地の広場に辿り着いていたのだが、なにやらクルトが重大な決意を固めたかのような顔付きをしてこちらを見つめてくる。
なにか嫌な予感がする。それなりに長い付き合いだがらわかるのだが、こういう時のクルトはろくなことを言い出さない。
思い返せばあの森での一件でもそうだった。
「お、俺と結婚を前提に付き合ってくれ!!」
「えっ? ……嫌よ」
「ぐはッ!?」
すぐ近くに遊んでいる子供たちがいるという状況下で、唐突にとち狂ったこと言い出したクルトを情け容赦なく一刀両断する。
見事なまでにカウンターを食らったクルトは、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか堪え弱々しく尋ねる。
「な、なんでだ……?」
「だってクルト馬鹿だし」
「ゲホッ!?」
「鈍いし」
「グゲッ!?」
「勢い任せだし」
「ガハッ!?」
「おまけに乱暴なところもあるわよね」
「…………」
一切遠慮のない駄目出しにすでに死に体のクルト。
先日ルークに叩きのめされたときも、ここまでのダメージは受けなかっただろう。
しかしここでトルテから蜘蛛の糸が垂らされる。
「……でもまあ、これから先の成長次第では考えなくもないかもしれないわね」
「ほ、本当かっ!?」
ガバッと起き上がったクルトは勢い込んでトルテに尋ねる。
「とりあえず最初から結婚とか言わず、もう少し段階を踏むようにすること」
「わかった! じゃあ結婚はいいから付き合――ブゴッ!?」
「もう少しシチュエーションとかにも拘んなさいよ」
全く成長できていないクルトの腹に、シャーネ直伝の正拳突き――腰を落とし抉り込むように打つべし――を叩き込み呆れたように告げる。
周囲の子供から向けられる視線がとてつもなく恥ずかしい。
このあたりが成長しない限りちょっと無理かなー、とトルテは思った。
――クルトの想いが実を結び、この二人が交際を始めるのはこれから三年後。
実に二百三十六回目の告白が成功したときのことである。