7 幼年期の終わりにて
「――ルーク、俺と決闘しろっ!!」
「……なんで?」
自宅に訪ねてくるなりそう宣ったクルトにルークは首を傾げて問い返した。
――季節は厳しい冬を過ぎて、雪解けの春が近づく時節。夏に王立学院の入学試験を受けて、その結果がしばらく前に届いたところだ。
合格の知らせを聞いた幼馴染たちは祝福してくれたのだが、クルトだけは苦虫を噛み潰したような表情で黙っていた。
そしてそれから数日、いきなり訪ねてきたかと思えば前述の発言である。ルークとしては訳がわからない。
――とりあえず家で話すようなことでもなさそうなので場所を変えることにする。
ちなみに偶々居合わせた母には、
「ちゃんと喧嘩するのよ?」
などと意味不明な耳打ちをされた。
どうやら母にはクルトがどうしてこんなことを言い出したのか、なんとなく察しがついているようだった。
二人が向き合っている場所はいつも皆で遊び場にしていた広場。
世代が変わり以前の自分たちと同じ年頃の子供たちが遊び場にしているが、まだ肌寒い季節なので人気はない。
「……王立学園、受かったんだよな」
「……うん、まあ」
返事を聞いたクルトの顔が険しく歪む。奥歯を噛みしめ両拳をを固く握りしめる。
「入学するのか?」
「そのつもりだけど――ッ!?」
返事をする途中で殴り掛かってきたクルトの拳を慌てて身を捻って躱す。
「ちょっ、クルト!?」
「うるせえっ! 俺はお前をぶん殴る!!」
ルークの思考は混乱に支配されていた。正直どうしてクルトがこんなことをするのかまるでわからない。
確かにクルトは直情的なところがあるが、決して理不尽な暴力を振るうような少年ではないのだ。
――自分がそこまで嫌われていたという可能性はさすがに考えたくない。
(……逃げた方がいいかな?)
この場は一度引いて、後日互いに落ち着いた状態で話し合う――そんな選択肢が頭を掠める。
しかし拳を握るクルトの表情を見てその考えを改める。
クルトはひたすらに真剣だった。どこまでも真摯で、その表情に遊びなど一切ない。
彼の行動の理由は今も変わらず自分には理解できないが、これはクルトにとってそれほど大事なことなのだ。
こんなクルトに背を向けることは友達としてできない。
「おらぁッ!」
――クルトが大きく右腕を振りかぶる。その動きは同世代の少年に比べればよく鍛えられたものだ。
あの小さな冒険の日以来、変わったのはルークだけではない。
クルトもまた不甲斐ない様を晒した自分が許せなかったのか、シャーネに頼み込み己を鍛えていた。
しかしそれでも――遅い。
騎士としての適性を持った姉の動きを間近で見てきたルークにとって、クルトの拳を躱すことなど造作もないことだった。
だが躱さない。クルトの一撃を敢えて受ける。
「てめぇ……ッ!」
わざと拳を受けたことを察したのだろう。クルトの顔が屈辱に歪む。
しかしその顔が本当の意味で歪むのはこれからだ。なぜならば――これは喧嘩なのだから。
思えば昔から気に食わなかったのだ。
本ばかり読んでる軟弱野郎かと思えば、妙に頭が良くておいしいところを持っていく。
グループのリーダーであるシャーネの弟で、どこか大人びたところがある。
魔術の素質を持って生まれ、王立学園への入学が決まった。
――なのに自分に自信がなくて周りに対して遠慮する。
本当の意味で自己を主張しようとしない。自分を対等の存在として見ていない。
――トルテの気持ちにも気づいていない。
だからこそ決闘を申し込んだ。馬鹿なことをしてるのはわかっている。
だがこういうやり方しか思いつかなかったのだ。
――その結果、ボコボコに殴られ大の字に倒れ伏しているのだからもはや笑うしかない。
ルークは地面に横たわる自分の側に腰を下ろしている――結局まともに殴れたのは最初の一回だけで、後は一方的に叩きのめされた。
その一回ですらわざと受けてもらったという体たらくだ。
(……もっと自信持てよ)
こんなに強いんだから――、と心の中で愚痴る。悔しいので口には決して出すつもりはないが。
「――ルーク、お前トルテのことはどうするんだよ?」
「……トルテ?」
だから代わりに別のことを問う。まるで意味がわかっていない様子に腹が立つ。
「あいつ……お前のことが好きなんだぞ」
「……そうなの?」
思ってもみなかったという様子で聞き返してくるので、思わずもう一発ぶん殴りたくなる。
「見りゃわかるだろーが。馬鹿か、お前は?」
「……僕はてっきり彼女は姉さんのことが好きなのかと思っていたけど」
「うぐっ……!?」
確かにトルテはシャーネのことを慕っていた。それはもう下手したら『お姉さま』とでも呼びかねないほどに。
「……確かにトルテはシャーネ姉のこと好きだけど、それはねーだろ。女同士だぞ」
「と言うことはトルテに直接確かめたわけじゃないの?」
「……まあな」
クルトの心情的には直接確かめるのは憚られた。
シャーネに対する疑惑を否定するのは彼個人の願望も含まれている。
「――で、結局どうするんだよ?」
「……どうもしないかな」
「なんだと……?」
クルトの右拳が握り締められる。返答次第ではこれから第二ラウンドを始める覚悟だ。
「トルテの気持ちに関してはクルトの勘違いの可能性もあるし、……それに僕たちがここでどうこう言うものじゃないだろ」
「……告白されたらどうするんだよ?」
「僕はその可能性は低いと思ってるけど……、仮定の話をするなら――トルテのことは好きだけど、あくまでも友達としてだ。そうはっきり言うよ」
改めてルークの顔を見る。少なくとも茶化したり馬鹿にしたりしているふうには見えない。
彼なりに真剣に考えたうえで出した答えなのだろう。
――なんとなく苛立ってくる。
「おい、ルーク」
「なんだ?」
「俺はっ、お前にはっ、絶対っ、負けないからな!」
大きく決意宣言する。するとルークは戸惑ったかのように、
「あ、ああ……頑張れ?」
などと言ってきた。そうじゃないだろっ、と大声で怒鳴って惚けた顔を引っ張りまわしたい衝動に駆られるが、それは自重して代わりに別の言葉を口にする。
「この世紀末馬鹿がっ!」
「なっ!? 馬鹿はクルトの方だろう? 決闘とかいきなり言い出して」
「うっせぇ! お前よりは俺のほうが百倍ましだ!」
「ぬぐっ……ちょ、超絶馬鹿のくせに!」
「んだとっ、こらぁああああっっ!!」
――この日、人気のない広場で二人の馬鹿が日が暮れるまで罵り合っていたという。
先に言っておきましょう。勘違いです!