59 分断
――どうやら気を失っていたようだ。
体の感覚からして意識を失っていた時間はそう長くはないと思われる。
おそらく数分と言ったところだろうか。
頬に感じるのは湿り気を帯びた重い空気。
地面は固く冷たい岩肌の感触。手触りからして人工的なものではなく自然物のようだ。
周囲は薄暗いが、全く見通しが出来ないというほどではない。
「……皆は?」
しばし置かれた状況から思考を整え、同行していた他の者たちの姿を探す。
意識を失う前の記憶からおそらく無事ではあるだろうが、それでも危険がないとは言い切れない。
全員が同じ場所に『転移』させられていればいいのだが――
「クロエっ!」
ルークは自分が倒れていた場所から少し離れた場所に、見慣れた銀髪の少年が横たわっているのを見つけた。
慌てて駆け寄り、呼吸を確かめ脈を測る――意識はないようだが、特に異常はなく無事のようだ。
「……良かった」
ホッと安堵の息をついた。
見たところ外傷もなく、『転移』の際に意識を失っただけだろう。
事前に気づき心の準備が出来た自分ですら、少し気を失ってしまったのだから無理もないが。
クロエの無事を確認したルークは改めて周囲を見回した。
人間数人が行動しても支障のない程度の広さ。岩肌に覆われた閉ざされた空間。
しんと沈んだ湿気のある空気……岩壁でうっすらと仄暗く輝いているのはヒカリゴケの一種だろうか。
おそらく洞窟か何かの中なのだろうが、自分とクロエ以外の人影はない。
残念ながら他の四人は別の場所に『転移』してしまったようだ。
(できれば早めに合流したいけど……)
だからといってクロエをこの場に放置していくわけにはいかない。
強引にでも起こした方がいいだろうか、と様子を見てみる。
思えば意識のないクロエを見るのは初めてな気がする。
以前先輩と一緒に寝起きしたことがあったが、その時もじっくりと顔を見たりはしなかった。
日に焼けることのない色素が抜けたような白い肌、細い首筋と尖るような顎先。
湿気を帯びた白銀の髪が額に張り付き、どこか艶めかしく――
(いやいや、この状況でなにを考えてんのさ……)
軽く目を瞑り頭を振る。
確かにクロエは整った顔立ちで中性的な容姿をしているが、彼はれっきとした男性だ。
自分は今一つその手の事に関する感情がよく分からないが、それでもそんな嗜好は持っていない。
ちゃんと女性を可愛らしいと思うのだから、これは気の迷いというものだ。
「……んっ……」
「クロエ……?」
ルークの葛藤に気がついたわけでもなかろうが、横たわったクロエが軽く身じろぎする。
意識が戻ったのかと顔を覗き込むと、うっすらと瞳が開かれた。
普段はきつい印象を与える紅玉の瞳はボンヤリと開かれ、どこか幼げな印象を感じる。
覚醒していく意識を表すかのように、ゆっくりとその瞳に理性的な光が灯り――
「……わぁ!?」
「――あいたっ!?」
次の瞬間、強烈極まりない頭突きがルークに炸裂した。
完全に油断していたところに見事な一撃を見舞われ、思わず意識を再び失いそうになる。
しかし流石にこれで気を失うわけにはいかないので何とか耐えた。
「ああっ!? ご、ごめん……大丈夫?」
「だ、大丈夫……大丈夫。それよりもクロエ、体の具合はどう?」
かなり激しく額をぶつけたはずだが、クロエの方はなんともないらしい。
心配そうな様子でルークに声をかけてくる。
姉もそうだが、騎士適性持ちは些か頑丈過ぎやしないだろうか?
「う、うん。私は大丈夫だけど……」
「そうか、良かった。……私?」
「わああっ!? なんでもない! なんでもないから!」
「はあ……?」
聞きなれぬ一人称に首を傾げるルークだが、慌てたクロエが手を振り首を振り全身で否定するので、この件に関しては流すことにした。
突然見知らぬ場所で目を覚まし混乱しているだろう。
「――とりあえず他の皆を探そうと思うんだけど……いいかな?」
「あ、ああ。俺の方は大丈夫だけど……ここはいったい何なんだ?」
言われて周囲を見渡したクロエが怪訝な顔をして質問する。
意識を失う前の光景とは全く違うのだから、その疑問も当然であった。
「その辺りも歩きながら説明するよ。まずは動こう」
言って立ち上がったルークに続き、クロエも立ち上がった。
ルークたちが倒れていた場所から続いていた通路のような場所を二人は歩く。
周囲を警戒しながら慎重に進んでいるので歩みは遅くなりがちだが、状況を説明するのには好都合だ。
「――本当にここは何なんだ? 自然の洞窟のように見えるのに、妙に歩きやすいんだけど……」
通路の床に視線を落としながら発せられたクロエの疑問にルークが答える。
「たぶん天然の洞窟に誰かが手を加えたものなんじゃないかな? それなら僕たちが置かれた状況も少しは納得できるし」
「状況……ああ、そうだったな。さっきも訊いたけど、そもそもどうして俺たちはこんな場所にいるんだ?」
「推測になるけど……あの時に感じた感覚からして、たぶん『空間転移』でこの場所に跳ばされたんじゃないかな?」
推測ではなくほぼ確信しての言葉だったが、クロエは逆に疑念を覚えたようで怪訝そうな顔をした。
「『空間転移』……? 確かにそれなら納得できるけど、あれは高位の魔術士でも使える代物じゃなかっただろ?」
別地点の空間と空間を繋ぎ、人や物を一瞬で移動させる魔術式――『空間転移』。
極めて有用な魔術ではあるが、その難易度は数多の魔術の中でも群を抜いており、その複雑で膨大な魔術式を構築起動できるのは、王国の魔術士団でも一人か二人いるかどうかといったところである。
あの場でそんな魔術が使われたと言われてもピンとはこないだろう。
しかしそうした常識を覆すものも世の中にはあるのだ。
「そうだね……だから古代遺物が使われたんじゃないかと思うんだ」
「古代遺物……。なるほど……確かにそれならあり得るか?」
ルークの発した単語にクロエも頷いた。
遥か昔に滅びた古代文明の遺産――古代遺物。
現代の技術を凌駕するその遺物は、往々にして常識を無視した事象を引き起こす。
魔術なしの『空間転移』くらいであれば十分に可能な範囲だろう。
「そのものを確認したわけじゃないけど……。あの時の姉さんの行動が起動の条件を満たしたんじゃないかな?」
その結果がこの状況なので、流石であると感心すべきかどうかは悩むところなのだが。
「たぶん他の皆も別々の場所に『転移』してると思うから、まずは合流を第一目的にしよう」
そうして二人は通路を更に先に進み始めた。
――自分の目の前を歩く少年の背中をクロエはじっと見つめる。
突然こんな場所に放り込まれたのは正直参ったが、彼と一緒だったのは不幸中の幸いだった。自分だけだったらもう少し不安だっただろう。
現状、別れてしまった他の者たちとの合流を目指しているが、彼女たちであれば無事だろうと思ってる。
しかしそれはそれとして――
(もう少し何かあってもいいんじゃないかな……?)
目が覚めた時に視界目前にあったのは彼の顔。
思わず慌てて身を起こし、思いきり額をぶつけることになってしまった。
自分でもみっともないと思うほど動揺してしまったが、あれは仕方がないと思うのだ。
だというのに――
(全然動揺してないみたいだなぁ……)
ルークは自分の事を未だに男性だと思っているし、動揺していたらそれはそれで拙い気はするのだが、心情的には納得しがたい。
もちろん自分の隠し事が原因だとはわかっているのだが。
(それでも何か反応が欲しいと思っちゃうのは、たぶん私の我が儘なんだよね……)
クロエが目を覚ます少し前にルークが振り払った感情。
それを知ることもない彼女は、前を行く彼に気づかれぬよう小さくため息をついた。




