58 油断
宿で合流し互いに得た情報を報告し終えたルークたちは、その足でエンディス湖に向かうことになった。
当然のことながらバルバトスは使わない。あの存在感のありすぎる黒馬を使っては、見つけてくれと言っているようなものである。
街道を進むルークは一応気になっていたことを確認しておくことにした。
「でもいいんでしょうか、僕たちまで同行して?」
ルークたちの立場は学生である。
エンディス湖で起こっているらしい異変に関して調査するにしても、自分たちは足手まといになるのではないかという懸念があった。
「何を言ってるんだルーク? 自慢じゃないが、私は調査なんて得意じゃないぞ。むしろルークたちには是非手伝ってもらいたいくらいだ」
「それは本当に自慢にならないから……。今回は調査が目的だから人手が欲しいのよ。君たちなら自衛に関しても問題ないでしょうし」
しかし監督役の二人はルークの懸念をあっけらかんと否定した。
それに――、とテスラが続ける。
「湖の方にはアーガイン卿が兵士を配置してるみたいだしね。万が一見つかった時も、君たちがいれば実戦演習だって言い訳できるでしょうし」
アーガイン卿には釘を刺されてしまったが、要は兵士を納得させて彼の耳にまで届かなければいいのだ。
仮にバレたとしても大きな問題になるとも思えない。
まあ少しばかり上の方に苦情がいくかもしれないが、そのあたりは織り込み済みである。
「むっ、どうやらアレはその兵士たちのようだな」
エンディス湖の方向へと視線を向けたシャーネが目を細めて呟いた。
釣られてルークも目を向けたが、見えるのは真っ直ぐに進む整備された街道と周囲の景色だけである。
姉が言ったような兵士の姿はどこにも見えない。
ひょっとしたらと思いクロエに顔を向けるが、首を振って否定された。
どうやら見えていないのは自分だけではないようだ。
「数は……20人くらいか? 装備も悪くないな。……ん? どうやらアーガイン卿に仕えている騎士や魔術士もいるみたいだぞ」
「……随分と厳重な警備ね。一応街道には『斥化石』が間隔を置いて埋め込んであるから、湖までの道を塞ぐだけならそこまでの人数はいらないはずなんだけど……」
しかし兵士の人数から装備品まで言い切る姉の言葉からすると、彼女にははっきりと遠方の様子が見えているのだろう。
しばらく会わないうちに視力の方もかなり人外染みてきたようだ。
「このまま進むとその兵士たち鉢合わせしそうだな……どうするんだ?」
「勿論回避一択ね。強引に押し通っても問題があるし」
「……街道を外れるんですか? 後でバレた時に追及されませんかね?」
「街道を歩いている時に偶然化外を発見したのよ。その化外を追いかけているうちに運悪く兵士たちの所は素通りしちゃったの」
ダンとリーシャの質問に答えるテスラの言葉に顔が引き攣るのを感じる。
それは些か強引すぎやしないだろうか。
「それで本当に大丈夫なんでしょうか? 正直かなり無理がある気がするんですが……」
「大丈夫よ。なにせこっちにはシャーネがいるんだし」
「――ああ、なるほど」
「待てルーク、何故その理由で納得する。そしてテスラ、今のはいったいどういう意味だ!?」
テスラの返事に思わず頷きを返したルークにシャーネが突っ込む。
彼女としては非常に納得がいかないところである。
自分がいったい何をしたというのだ。
「いや、姉さんなら納得させられるだけの実績を積み上げているんじゃないかと思って」
「なんならその実績を今から丁寧に説明したほうがいいかしら?」
「うっ!? ……いや遠慮しておく」
妙ににこやかな相棒の言葉に首をぶんぶんと振ってお断りする。
この話題を掘り下げるのは非常にまずい気がする。
顔は笑っているのだが目だけは笑っていない。まるで永久凍土のようだ。
ここは戦略的撤退が正解だ――とシャーネの野生の勘が全力で警報を打ち鳴らしていた。
「――しかしお前たち、随分と仲が良くないか?」
話題転換も兼ねて少し気になった事を訊いてみる。
親友と弟の仲が良いのは結構な事なのだが、それはそれとして釈然としないものを感じないではない。
弟はもう少し人見知りだったはずなのだが――。
「まあ、共通点があったからでしょうね」
「共通点? ……そんなものあったか?」
「あんたにはわかんないと思うけどね」
「むう……」
なんのことだかわからず首を傾げながら頬を膨らませるシャーネ。
若干子供っぽい所作ではあるが、それが妙に似合うのが彼女らしいとも言える。
(共通点って言ったらあんたのことくらいしかないでしょうが……)
――とは言ってやらない。
シャーネの後ろのルークと目を合わせると、彼は苦笑して肩を竦めている。
どうやら同じく説明する気はないらしい。
「無駄話はここまで。ここからは街道を離れて進むから周囲には注意してね」
テスラの言葉に一行は兵士たちを避けるための迂回ルートへと足を踏み入れた。
――街道を外れて道なき道を進むこと数十分。
順調に湖へと近づくルークたちは、自分達の置かれた状況に違和感を感じずにはいられなかった。
なにしろ道中は順調すぎた。
街道と違い整備されていない場所が悪路であるのはともかく、化外はおろか獣一匹さえ見かけないのはどういうわけか。
「――以前来た時と比べると生き物の気配が酷く薄いな……どう思う?」
「大型の化外が現れた時とかは似たような状況になるけど……それにしてはアーガイン卿の落ち着きっぷりが腑に落ちないわね」
眉根を寄せたシャーネの問いにテスラも訝し気に答えた。
仮にそんな状況であればもっと大きな騒ぎになっているはずである。
しかし他に思いつくこともなく疑念ばかりが膨らんでいく。
(この辺り……見覚えがある?)
そんな中でルークは彼女たちとは別種の違和感に捕らわれていた。
エントの街になど今まで来たことはない。この場に来るのも勿論初めてだ。
だが足を進めるたびに自分の中の何かが訴えかけてくるのだ――この場所を知っている、と。
イライラする。とても不快だ。
頭の中で得体のしれない蟲が這いずっているような感覚。
その強烈な既視感に意識を奪われていたからこそ――対処できなかった。
「――ッ!? ルーク!」
「……えっ」
クロエの切羽詰まった叫び声に意識を戻したルークは、気がついた時には彼女に抱え込まれていた。
一瞬置かれた状況を呑み込めず困惑するが、姉の裂帛の気合が込められた掛け声にどうにか意識を立て直す。
「ハアッ!」
視線を向けた先ではシャーネが何者かと切り結んでいた。
突如気配もなく現れた人影の基本的なシルエットは人型に近い。
しかし手足は奇妙に細く長い。本来顔のある頭部は丸い卵型で、ノッペリとした凹凸のない無貌だ。
人ではない……だが化外でもない。得体のしれないナニカだ。
一人と一体が刃を交えている場所は先程までルークが歩いていた場所で、クロエが咄嗟に動いてくれなければ命を落としていたかもしれない。
「セイッ!」
少し離れて援護の構えを見せていたテスラたちだったが、どうやらその必要はなかったらしい。
大切な弟を危険に晒され頭に血が昇ったシャーネだったが、剣を振るうちに落ち着きを取り戻し、気合一閃――動きをさらに加速し、ナニカの手足と頭を切り飛ばすことに成功した。
「……ありがとう、クロエ。おかげで助かったよ」
「それはいいんだが……」
礼を告げるルークにクロエは言い淀んだ。
――稀に彼はこのような顔をする。
何かを吐き出したいような、だけど同時に全てを拒絶するような。
果たしてここで踏み込むことは正しいことなのか。
「大丈夫なのか? らしくないぞ」
「……大丈夫だよ。少し気が逸れていただけだから」
それでも敢えて気持ちを言葉にした。
理屈ではなく感情でそうすることが正しいと思った。
ルークはそんなクロエを安心させるかのように軽く微笑んで答えた。
「ルーク、ちょっと来てくれ!」
油断なく襲撃してきたナニカを見張っていたシャーネが声を上げる。
どうやらもう危険はないと判断したらしい。
「これは……自動人形かしら?」
「それにしては少し不格好な気がしますけど……」
動きを止めたナニカを前にテスラとリーシャが話し合う。
彼女たちの側で同じようにソレを観察したルークもリーシャと同意見だった。
というよりもこれは――
「おいっ、何をする気だ?」
「……ちょっと待ってて」
ダンの上げた制止の声を無視して手早くソレを解体する。
目当てはソレの内部にある物だ。
「それは……ひょっとして輝晶鉱?」
「ええ、たぶんコレは自動人形を参考に現代の技術で造られた物じゃないでしょうか?」
ルークが内部から取り出したのは、白銀に輝き複雑な文様が刻まれた物体。
テスラにも見覚えのあるらしいそれを手に自分の見解を述べる。
疑問を感じたのはクロエだ。
「なんだってそんな物がこんな場所に……というかそんな物の存在、初めて聞いたぞ」
確かに彼女の言う通り、その様な技術は王都の魔術研究室でも確立されていない。
だが現実に目の前にある以上、否定することもできない。
「……コレがエンディス湖の異変の原因なのだろうか?」
「それはないな。コレはそれほど強くはないし、コレが原因ならもっと街の噂も具体性を帯びていたはずだ」
ダンの疑問をシャーネが強く否定した。
実際に刃を交えた彼女からすれば、この程度のことで化外や獣が姿を消すことなどあり得ない。
原因はもっと別にあるはず――そう思って周囲を歩き回る。
「……ん? なんだこれは?」
常人であれば気にもとめない些細な違和感。シャーネはそれに気づき手を伸ばしてしまう。
小さな岩と岩の隙間に細い指先が触れ――
「――ッ!? 姉さん、ちょっと待っ」
――た、という言葉は少し遅かった。
「なんですかこれ!」
「ちっ!」
「ああもう、またか……」
「――これはいったい」
周囲を強力な力場が包み込む感覚。
視界がぶれて足元が揺らぎ、目の前の光景が歪み始める。
(そういえば……アレはこの場所を守るための物だったな)
よりにもよってピンポイントでこの場所に辿り着いたことといい、相変わらず姉の勘働きは素晴らしい。
しかし――それが必ずしも良い結果に結び付くとは限らないことを、ルークはぼんやりと思い出していた。




