57 領主の屋敷にて
王国でも有数の水源であるエンディス湖。
その湖に最も近いエントの街は西方における流通の要所でもある。
よってこの辺り一帯は王国においてそれなりに重要な土地であり、治める領主の地位もまた相応のものであった。
「ようこそエントへ。歓迎しますよ、お嬢さん方」
年季の入った重厚な屋敷を執事と思われる青年に案内され訪れた一室。
シャーネとテスラが面会を求めた領主――アーガイン卿は、代々軍務卿を務めるレグレット家の派閥に籍を置く高位貴族だ。
口髭を蓄えブラウンの髪にはうっすらと白いものが混じり始めているが、元騎士であった経歴は伊達ではなく、体つきはがっしりとしていて衰えを感じさせなかった。
「はじめまして、アーガイン卿。第三魔術士団のテスラ・リードと申します。こちらはシャーネ・ラグリーズ、第四騎士団所属です」
テスラはピンと伸ばした背筋を折り曲げ丁重に一礼した。
この場にルークたちがいれば普段の彼女の雰囲気との違いに戸惑ったかもしれないが、これが公式の場での彼女の素である。
いつもは適当に纏めただけの薄紅色の髪にも丁寧に櫛が入れられ、気だるげな目付きもキリッと見開かれている。
対照的にシャーネは日頃とはうって変わって静かだ。
もとより愛らしさと凛々しさが合わさった容姿もあり、知らぬ者であれば理想的な女性騎士と勘違いするかもしれない。
「ええ、話は聞いていますよ。中々に優秀な若手だとか。ふむ、軍に属したことのある身としては貴女方のような有望な後輩の存在は頼もしいですな」
品の良い――しかし中々に金のかかっていそうな椅子にどっしりと腰かけた壮年の男の褒め言葉に、テスラは苦笑して答える。
「ありがとうございます。ですが私どもはまだまだ未熟者です」
「はっは、謙遜ですかな。……それでどうですかな、エントの街は? なにか不自由なさっていませんか?」
「ふふっ、不自由なことなどまったく。エントはとても素敵な街で、これもアーガイン卿の優れた手腕によるものでしょう」
「そう言って頂けると有難いですな。ですがそれは私の手腕ではなく、住民の努力によるものでしょう」
にこやかな笑顔で交わされる全く本心でない社交辞令の応酬。
そばで見ているシャーネは背筋が痒くなる思いだった。
しかし事前に何も喋らないようにと念押しされていたのでじっと耐える。
耐えつつ自分の役目をこなす。
「――それで今日はどうされたのですかな? 学院の実戦演習のほうで何か問題でもありましたかな?」
領主である彼は、当然この時期に行われる実戦演習についても見知っている。
この二人が監督役として学生に同行していることも含めてだ。
だからこそ彼女たちに面会の理由があるならばそれだろうと思っていた。
「いえ、そちらではなく……街の人々の雰囲気が少し重い気がしましたので、何かあったのではないかと思いまして」
「――ほう」
テスラの言葉にアーガインは表面上は落ち着いたまま思案する。
目の前に座る二人の女性。
こうしてわざわざ面会を求めてきた以上、敵対派閥の工作員の可能性は薄いだろう。
質問の内容もそれほど踏み込んだものではない。
――さて、どう答えたものか。
この場で特に心当たりはないと答えるのは簡単だ。
現状、自分の治めている街で問題が起こっているわけではないのだから。
(……いや、それは悪手か)
しかしこれから先の流れ次第では事が公になる可能性も十分にある。
そうでなくとも街の住民には軽く口止めしただけなのだ。念入りに訊き込めば事情の一端は知れることだろう。
後になって自分が全く状況を把握していなかった、となっては色々と問題になる。
――であれば下手に隠すほうが不味い。
「ふむ……恥ずかしながらエンディス湖の方で少し厄介事があるようでしてな。街の雰囲気はおそらくそれが原因かと」
「厄介事ですか……差し障りなければ、どのような事なのかお聞きしても?」
「それがこちらも正確に把握できてはいないのです。近日中に正式な調査団を派遣する予定でしてな」
「そうですか……」
テスラが眉根を寄せて沈黙するのを前にアーガインは満足する。
――これでいい。
嘘はついている訳ではないのだから言質は取られないし、肝心な事さえ隠し通せればいいのだ。
とはいえ折角の機会なので、念のため一つ釘を刺しておく。
「ですので出来れば演習のほうは他の場所で行っていただきたいのです。湖までの街道には兵を置き、他の方々にもそう説明していますので」
「それでいいのですか? この時期は化外の数も増えていると思いますが?」
「それに関しては私のほうで対処するつもりです。お金はかかりますが、冒険者組合にも依頼を出すことにしましょう」
それが本当であればテスラからは何も言うことはない。
むしろ街の安寧に配慮する良心的な領主と言えるだろう。
加えてこの場ではこれ以上の情報を得ることは出来まい――そう判断した彼女は大人しく引き下がることにした。
「そういうことでしたら演習は他の場所で行うことにします。本日は時間を取っていただいてありがとうございました」
「いやいや、この街の事を気にしていただいたようで申し訳ない。それでは監督役のほうも頑張ってもらいたい」
最後まで鷹揚な態度を崩さなかったアーガインに一礼して、テスラとシャーネは屋敷を後にした。
それから歩くこと暫く、十分に屋敷から離れ、周囲に誰もいないことを確認したテスラが問う。
「さっきの話だけど……どう思った?」
「嘘だな」
その漠然とした問いかけにシャーネはキッパリと答えた。
「いや、嘘というか……本当の事を全部説明していないような感じだ。なにか隠しているのは間違いないと思うぞ?」
「……そう。あー、もうっ……面倒くさいことになったわね」
本当なのか――とは確認しない。
一見するとただの言いがかりのようにも聞こえるがそうではないのだ。
実のところシャーネの直感は曖昧な"勘"の類いではない。
彼女独特の感性に基づき、きちんとした過程を経たうえでの"結論"だ。
しかしその過程が常人には理解しがたく、彼女自身も上手く説明できないので、結果として直感という形になっているのである。
学生時代にその"過程"を半日もかけて説明させたテスラには、そのことがよくわかっていた。
ゆえに今回の件に関しても疑うつもりはない。
彼女が"そう"と言えばそうなのだろうと半ば悟りの境地で納得していた。
「それでどうするの? 私たちの仕事はあくまでも実戦演習の監督役だけど?」
ここで賛同してくれれば自分自身に対して言い訳が立つんだけどなー、などと考える。
――決してそうはならないのだろうけど。
「もちろん湖を調査しよう! 街の人々の不安を放置はできん!」
「……ですよねー」
とても面倒くさい。
面倒くさいのだが――仕方がない。
なんとなくではあるが、ここで頑張らないと後々もっと面倒くさいことになる気がするのだ。
「それじゃあ、まずはルーク君たちと合流しようか?」
自身の思考がだいぶシャーネよりに染まっている自覚もないままに、テスラは宿の方角へと足を向けたのだった。
 




