53 道中
バルバトスは駆ける。
己の背に跨るは忠誠を捧げし唯一無二の主。
彼女もまた決して己が手綱を締めようとはせず、走るがままに走らせてくれる。正に人馬一体遮るものなし。
できれば余計なお荷物を振り下ろしたいところだが、主命であれば否はなし。格別の慈悲をもって同行を許してやろう。
無論この街道を使うのが己だけでないことなど理解している。この速度で激突するようなことになれば惨状必死だが、己はそんな間抜けではない。
たとえ存分に楽しんでいる時であろうとも、この眼は遥か彼方まで何者をも零すことなく見通している。
バルバトスは誰に憚ることなく嘶きを上げ、大地を蹴立てて疾駆した。速度をさらに振り上げる。
――その激烈な脚力に引き摺られる馬車内部の様子など気にとめることもなく。
さて、久しぶりの疾走にご機嫌の黒馬とは対照的に、馬車の中のメンバーは中々に悲惨な状況だった。
「ぬぅ……これもまた修練……!」
腕組みし額から脂汗を流し耐えるダン。
この状況下でも変わらぬ脳筋発言にはある意味感心する。
「…………」
目を瞑り馬車内部の壁に背を預けじっと沈黙を保つクロエ。
身体能力の高さからくるのか三人の中では比較的ダメージが薄いようだ。
「……うぅ」
そして顔色を真っ青にして口元を抑えるリーシャ。
普段はそう簡単に弱みを見せない彼女だが、純粋な体調不良はどうしようもなかったらしい。
そんな三人を背中をさするなどして介抱するルーク。
この状況では無理もあるまいと思う。この馬車はとても頑丈に造られているようだが、如何せん乗り心地への配慮は薄かった。
結果、バルバトスによって猛烈な速度で引かれる馬車内には衝撃がダイレクトに伝わっているのだ。
もっともルークとテスラの二人は割と平然としていたのだが。
「……君は全然平気みたいね。思っていたよりもタフなのかしら?」
「いえ、単純に慣れの問題だと思います」
ルークの返答にテスラは少しばかり考える。
思えばシャーネの弟ということで随分と警戒していたが、考えてみれば彼と彼女は姉弟とはいえ別の人間である。
てっきりシャーネの同類とばかり思っていたが、立場的にはむしろ自分の方に近かったりするのだろうか?
(う~ん、だとしたらちょっと気の毒ね)
なにしろ幼い頃からアレの引き起こす騒動に付き合わされていたことになるのだから。
しかし見たところ両者の間は険悪なものではなかった。弟の方はよく知らないが、姉の話を聞く限り仲の良い姉弟だったようだ。
流石に弟相手であれば自重できるのか、それとも弟の方が姉に嫌悪を抱けなかったのか。
後者であれば自分と似たようなもので親近感も沸くのだが。
「姉さんっ……姉さん! ちょっとっ……もう少し速度を落として!」
「んー? ルーク、今なにか言ったかー?」
「だからっ、バルバトスの速度をもう少し緩めて!」
馬車内の友人たちの様子を見かねたルークは、声を張り上げ姉に馬車の速度を落とすよう頼む。
初めは風にかき消されて聞こえていなかったようだが、何度か繰り返すことでようやくシャーネも気がついたのか、バルバトスの手綱を引く。
主より速度を落とすよう指示を受けた黒馬は苛立ったように首を幾度か振ったが、不承不承足を緩めた。
「むぅ、すまなかったな。……バルバトスが随分と喜んでいるみたいだったので、ついつい好きにさせてしまった。これからはもう少しゆっくりと進むことにしよう」
馬上から振り返って謝罪したシャーネは宣言通り馬車の速度を落とした。
それでも通常の馬車に比べればかなりの速度なのだが、先程までの速度に慣れてしまった一同には随分と楽に感じられた。
現在馬車は、王都の西方にあるエントの街へ向かって進んでいる。
そこまでの距離はそれほど長いものでなく、通常の馬車でも一昼夜あれば着くのだが、バルバトスが引く馬車であればもっと短い時間で辿り着けるだろう。
それこそ今の速度のまま全力疾走させれば半日で着くかもしれないが、そんな無茶をする必要などないのだ。
むしろテスラとしては今回の任務に託けてのんびりしたかったので、ルークがシャーネを制止してくれたのは有り難かった。
「ダン、調子の方はどう?」
「……ふっ、よもや馬車にここまで追い込まれようとは思わなかった。俺もまだまだ未熟というところか」
「その感想は何かおかしくないかな?」
こんな返事が出来るのであれば問題あるまいと判断し、クロエの方へと視線を向ける。
するとタイミングよく目を開き、こちらに対して片手を上げた。
「俺の方は問題なしだ。最初はきつかったけど、もうだいぶ慣れてきた。ただ……」
そう言ってクロエが見る先には相変わらず顔色を悪くしているリーシャがいた。
「……暫く放っておいてください」
青い顔をして宙を仰ぐ彼女の背を、傍に寄ったクロエがゆっくりとさする。
彼女の事はクロエに任せた方が良いだろうと思っていると、そこにテスラが話しかけてきた。
「それじゃあ、今後の予定について説明するわね」
「……いくらなんでも唐突過ぎませんか?」
この状況下で話すようなことなのか、とルークが問いかければ、テスラは薄く笑って答えた。
「むしろ他に話すようなこともないでしょ? 他の子たちには君の方から後で伝えておいて」
「はあ……」
何かが間違っているような気もしたのだが、馬車内では特にすることがないのも事実。
ルークは大人しく話を聞くことにした。
「知っての通り、今私たちはエントの街へ向かっているわ。到着は……そうね、夜には着くんじゃないかしら?」
速度を落とした上で通常の馬車の半分程度の時間で到着するのだから、バルバトス恐るべしである。
「エントの街については知っているかしら?」
「確か……王国でも有数の水源の一つであるエンディス湖が近くにあって、王都西方における流通の要所になっているとか」
「うん、それだけ知っていれば十分ね」
ルークがこれから向かう街についての概要を説明すると、テスラは満足そうに頷いた。
「補足することとしては、そのエンディス湖目当ての野生動物や化外も多く集まっていて、定期的に魔術士団や騎士団による駆除が行われるってことね」
豊かな水源の恩恵に与ろうとするのは何も人間だけではないということである。
そうした外敵に備えてエントの街の防備はそれなりのものだとか。
「今回の実戦演習は、そのエンディス湖近くに生息する化外を対象に行うことになっているわ」
「……中型や大型の化外が出現するということはないですよね?」
なにか思うところがあったのか深刻そうな表情で問いかけるルーク。
しかしテスラは少年の危惧を顔の前で手を振って否定した。
「ないない。そんな化外は既に正規の部隊が駆除してるわよ。私たちの担当は、小型だけど繁殖力が高くて隠れるのが上手いようなやつよ」
「ならいいんですが……」
ほっと安堵した様子を見せる少年の姿にテスラは内心で首を傾げた。
学生の身で中型や大型の化外に出くわすことなどないはずなのだが――。
(まあ、そのせいで新入りなんかはソレらとの初戦闘で命を落とす割合が高いんだけど……)
それを考えれば自分は幸運な方なのかもしれない。
今も鼻歌交じりで馬上の人になっている友人のせいで、学生の時分に色々と得難い経験をすることになった。
おかげで初任務や初戦闘の際にも平常心を失わず、適度な緊張感を持って挑むことができたのだから。
(そのうちお礼でもした方が良いのかしらね……)
などと考え、次の瞬間には気の迷いと思い直す。
いくらなんでも学生時代の事を考えれば礼などあり得ないだろう。
それでも未だに友人を続けているあたりが彼女の人徳なのだろうが――。
そんなことを思いながらテスラは前方で揺れる金髪をぼんやりと眺めため息をつく。
――そんな彼女の横顔が何故だか笑っているようにルークの瞳には映った。




