52 馬?
互いに今回の演習で担当する生徒との手合わせを終え、シャーネとテスラは結果を報告しあっていた。
「クロエ君の方は全く問題なかったな。むしろ今からでも騎士団でやっていけそうだ!」
「……あんたがそう言うならそうなんでしょうね」
テスラの返事は投げやりにも聞こえるが実状は違う。
シャーネの実力は確かであり嘘とは無縁の性分の女だ。
この手のことでは全幅の信頼を持つことができると判断しているからだ。
「こっちの方はもそれほど問題なし。ダン君は小型の化外相手なら十分戦えるレベル。リーシャさんの方は慎重な性格だから無茶はしないだろうけれど、戦闘能力は低いみたいだから常に誰かが側にいた方が良さそうね」
それと――とテスラは続ける。
次の反応は予想できるので本音は流したいところだ。
「……弟くんの方はとんでもないわね。正直聞いていた以上だったわ」
「そうだろう! ルークは凄いんだ!」
実に良い笑顔で誇らしげに胸を張るシャーネ。
その拍子に同性でも目を奪われる胸元が揺れ、思わずイラっとくる。
(いったい何をどうすればあんな急成長を遂げるのよ……。入学した時は大差なかったはずだし、食べてる物もそんなに違わなかったじゃないの?)
そんなふうに世の不平等を呪うテスラだが、彼女の胸も女性としては平均的なサイズで形も良い。
この場にクロエとコルネリアがいれば、何を贅沢なことを言っているんだと怒っただろう。
「それでは四人とも合格。全員演習に参加ということでいいだろうか?」
「いいんじゃない、問題ないでしょ」
生徒側には伝えられていないことだが、この手合わせで問題があると判断された者は演習に参加することも許されない。
これは単純な戦闘能力だけではなく、判断力や礼儀作法など統合的に評価される。
――まあ、判断基準は現場の担当者に一任されているので、割といい加減な部分もあるのだが。
「――というわけで諸君は今回の実戦演習に無事に参加できる運びとなった。おめでとう!」
先の手合わせがある種の試験を兼ねていたと知らされたルークたちは、シャーネの言葉に安堵の息を零した。
そんな中、リーシャが片手を上げて質問する。
「あのー、私はそもそも手合わせ自体行わなかったんですが、それでも参加していいんでしょうか?」
「……いいのか?」
判断がつかなかったシャーネはテスラへと質問を投げた。
「問題ないわ。元々この手合わせは戦闘能力だけを測るものじゃないし」
「……と、いうことだな!」
テスラからの返答にシャーネが頷き、リーシャの参加も許可されることとなった。
そこでルークが口を開く。
「それならそろそろ移動しませんか? エントの街への馬車も限られてますし」
「いや、ルーク。そのことならば心配無用だ!」
馬車の数を気にしていたルークだったが、その危惧は姉によって払拭された。
全員の注目を浴びたシャーネは誇らしげに腕を組みつつ説明する。
「こちらの方で演習地までの行き来のための馬車は用意してあるからな。これから案内しよう」
そう言ってシャーネはすぐに歩き出し、慌ててその後に付いていった一行が辿り着いた先は、西門近くに建てられた厩舎であった。
見渡せば厩舎のすぐ傍には簡素な一台の馬車が置いてある。
「あれが今回使う馬車だ。乗り心地は保証できないが頑丈さは折り紙付きだぞ」
言われて見みれば確かに頑丈そうで、内部には六人が乗り込んでも十分なスペースがあった。
「それじゃあ、私は馬を出してくるからな。少し待っていてくれ」
言い残し厩舎へと歩いていくシャーネ。
その後ろ姿が見えなくなると、その場に残ったテスラが妙なことを口にした。
「とりあえず心の準備は済ませておいてね」
――その言葉の意味はすぐにわかることとなる。
基本的に"馬"というものは馬車を引くための用途に使われる生物の総称であり、それは必ずしも本当の馬とは限らない。
時に調教を施された大猪であり、気性の穏やかな跳鹿などが"馬″として扱われることもある。
そういう意味においてシャーネが引き連れてきたのは真っ当な馬であったと言える。
「ええと……お馬さんですか?」
リーシャが語尾を疑問形にしながら漏らした言葉が他の三人の心境も表していた。
馬――なのだろう、おそらく。
「……姉さん、その馬は?」
「うむ、紹介しよう! この子は我が愛馬、名をバルバトスと言う」
頼もし気にその"馬"の黒一色の毛並みを撫でるシャーネ。
その馬が一歩踏み出すたびにズシンッ! と地面が揺れる。
通常の大きさの馬よりも倍近い体躯を誇り、更には眼で見てはっきりとわかるほどに発達した筋肉を全身に纏う黒馬。
鬣すらも荒々しいその馬は、絶対的王者の如く五人を高みから睥睨していた。
漆黒の全身から放たれる威圧感が凄まじい。
――ブルルッ。
馬の感情など分かるはずもないのだが何となく鼻で笑われたように感じた。
「ぬぅ……! なんという覇気!」
後ろで何やら感嘆の声を上げる馬鹿は置いておいて、そっとテスラに視線を向ける。
「……以前ある場所で暴れ馬として手配されていたのを、任務を受けたシャーネが捕えたの。……それ以来彼女以外の言うことは全く聞かないのよ」
「ちなみにどのような手段で捕えたんですか?」
「……真正面からの力比べよ」
好奇心からのリーシャの質問に、テスラは妙に平坦な声で答えた。
返事を聞いたルークを除く三人は目を丸くしてバルバトスと戯れるシャーネへと視線を向ける。
とてもではないが、この黒馬相手に力比べをした女性とは思えない。それは先程手合わせをしたクロエですらそうだった。
ただしルークだけは納得したかのように深く頷いている。
――そういえば地元でも気性が荒い猛犬を睨み合いの末に屈服させていたなあ、などと一人昔を懐かしんでいた。
「それでは私が騎手をするので皆は馬車に乗ってくれ」
一通りバルバトスを撫でて満足したシャーネに促され、一同は速やかに馬車に乗り込む。
その間に彼女はバルバトスを馬車へと繋ぐ。
黒馬と馬車をを繋ぐ物は、これまたやたらと頑丈そうな太い鎖である。
「よーし、皆準備はできたか?」
馬車の中へと入り込み手荷物を置いたルークたちに、バルバトスへ跨ったシャーネから声がかかる。
返事を確認した彼女は全身から魔力を放出する。その魔力の向かう先は――バルバトスである。
騎士適性を持つ者は、その身に宿す魔力でもって自身の身体能力を強化することができる。
更に修練を積んだ者は肉体だけでなく、自身が持つ物体を強化するも可能だ。
そして魔力操作と魔力量に恵まれた騎士は、物体だけでなく生物の強化さえこなす。
勿論その強化は持続するものではなく、騎士が触れている間だけという限定的なものだが、それでも極めて有用なものである――このように騎乗した場合は特に。
――ブルルルルルッ!
シャーネより豊富な魔力を注がれたバルバトスが荒々しく鼻息を漏らす。
全身を覆う筋肉が一回り膨張し、ただでさえ大きな体躯が更に巨大になったかのように見えた。
「とりあえず……舌を噛まないように注意してちょうだいね」
「……舌? いったい何を言って――」
馬車内でテスラからの注意に素直に頷けたのはルークだけであった。
なんとなくではあるが、過去の経験から心の準備だけは出来ていたのだ。
「さあ、いざ疾れ! バルバトス!」
――ブォオオオオオオオオオオオオオッッ!!
「ぬ?」「へ?」「は?」
シャーネの掛け声にバルバトスが馬とは到底思えぬ嘶きを上げ、馬車の重みなどまるで感じぬかのように爆走を開始する。
その急加速の反動をもろに受け、馬車の内部で上がったかもしれない悲鳴は馬車の巻き起こした土煙にかき消され――あっさりと消えた。




