30 安息日5
カルロス・ディエガーは小さな農村で生まれた。家族は両親に彼を含む三人兄弟の五人家族。
毎朝兄二人と共に起床しては家畜の世話をし、父親の畑を耕し、飯を食って泥のように眠る――そんな変化のない日々を案山子のように繰り返し続けた。
そんなある日、父親が突然死んだ。原因は今でもわからない。
粗暴でよく怒鳴り、お世辞にも良い父親だとは言えなかったが体だけは頑丈だった。
だがその父親が冗談のように呆気なく死んだ。
これから先のことを話し合う兄二人の横でカルロスは震えた。
これからも今までと同じように働き続け、村の中の適当な女と所帯を持ち、子供を作って――ある日呆気なく死ぬ。
そんな父親と同じ人生を辿るであろう自分の姿がはっきりと脳裏に浮かんだからだ。
――実際のところ、これはほとんど被害妄想の類だ。
父親と似通った人生を歩んだとしても同じ結末に至るとは限らない。全てはカルロス次第だったはずだ。
だが当時のカルロスにとって、父親の末路はもはや確定した自分の未来も同然だった。
故にカルロスは逃げ出した。明確な目的もなく、ただその場に留まっていたくないという衝動に押されるままに街へとたどり着き冒険者となった。
彼が望んだのは刺激的な日々と高い報酬。とにかく平凡でない自分だ。
――始めのうちは上手くいっていた。失敗することもあったが、それすらも村から出たことのないカルロスにとっては刺激的だった。
経験を積み重ね、仲間を得、慕ってくる後輩もでき充実した日々を送っていた矢先に――呆気なく全てを失った。いつかの父親のように。
積み重ねられた経験は何時しか慢心へと変わり、依頼の仕事中に足を傷つけ冒険者としては働けなくなった。
それからはあれよあれよと言う間に落ちぶれ、気づけば貧民街に行き着いていた。
此処では冒険者としての経験があったカルロスはまだマシな方で、同じような境遇の連中を纏め、どうにか日々をやり過ごすことができていた。
――そんな彼に怪しげな依頼が持ち込まれたのは昨日のことである。
依頼内容は明日貧民街を訪れるであろう少女を痛めつけること。殺す必要はなく痛めつけるだけ。
依頼人の素性は定かではなかったが、依頼の内容に反して報酬は高かった。
十分な前金を貰ったカルロスとしては少々怪しげな依頼であっても完遂するつもりだった。
そして今日、聞いていた通りやってきた少女には二人ほど同世代らしき少年が一緒だったが、その程度であれば何の問題もないはずであった。
既に他の連中にも準備させたし、あとは手はず通り少女を痛めつけ、後金を貰うだけだった。
簡単な仕事だ。その筈だった。
にもかかわらず――いったい何がどうしてこうなった?
「ハッ!」
「ゴブッ!?」
「ゲハッ!?」
銀髪の少年――中性的な容貌だが真っ平らな胸が少年だと確信させる――が拳で殴りつけ足で蹴りつける度に、冗談のように手下たちが吹き飛んでいく。
「【迅雷】」
「ギィッ!?」
「ガッ!?」
茶髪の少年の言葉と共に放たれた雷撃が浮浪者たちを昏倒させていく。
肝心の標的の少女はと言えば、二人の少年に守られ傷一つなく、周囲を面白げに観察する余裕すらある始末だ。
ここまでくればカルロスとて現状を悟らざるを得ない。
――彼らは魔術士と騎士の適性持ちだ。
自分たちの努力などあっさりと飛び越えていく生まれながらの強者。
自分のようなどこにでもいる落伍者ではなく、正しく選ばれた存在。
それが今、自分の目の前に立ち塞がっている。
「くそがぁああああああっ!!」
「おいっ、バーナー!?」
激怒しつつ銀髪の少年に跳びかかったのは、カルロス率いる一団の中でも一際巨大な体躯を誇る男。
カルロス自身頼りにしている男で、日頃から適性持ちを酷く嫌っている男だった。
「――シッ!」
「ガフッ!? ……ち、ちく……しょう……っ」
カルロスと同じく少年たちが適性持ちだと気付き、我慢しきれず飛び出したのだろう。
だがそこらの大人であれば蹴散らす猛進も、紅玉の瞳の少年の前ではまるで無意味だった。
あっさりと懐に入り込まれ、鳩尾に強烈な一撃を見舞われ意識を失ってしまう。
(ちっ、こりゃー付き合いきれねーな)
この時点でカルロスはこの仕事に見切りをつけた。
未だに諦めず少年たちに襲い掛かる手下どもに怒鳴りつける。
「お前ら、ここまでだ! とっとと退いて、何時もの場所で落ち合うぞ!」
そして即座に反転して脱兎のごとく走り出す。念のため事前に逃走ルートは確かめておいたのだ。
彼がこの浮浪者たちを纏め上げられたのは、単に腕っぷしの強さだけが理由ではない。
こうして物事に執着しない潔さもまた理由の一つなのだ。
そんな彼の号令を受けた手下たちは、既に意識を失った者たちをあっさりと見捨て、バラバラに逃走を開始した。
◇ ◇ ◇
「――あっ!?」
頭目らしき男の号令で、浮浪者たちは一斉に別方向へと逃げ出していく。
その姿を見て思わず声を上げたクロエが視線で問いかけてくるが、軽く首を横に振ることで否定する。
「さすがにああもバラバラに逃げられたらね。深追いは止めておこう」
「そうだね、相手が退いてくれるなら放っておこうよ」
ルークに続いてユリアも賛同したことでクロエも納得する。
「それにしてもこいつら何だったんだ? 衛士を呼んで引き渡すか?」
「――いや、それよりもさっさと此処から離れようよ」
「……それでいいの? 衛士を呼ぶくらいなら手間じゃないよ?」
意識を失い仲間から見捨てられ倒れ伏す男たちを見てクロエが提案するが、これにもユリアは首を振った。
さすがに不審に思い確認するも彼女は軽く笑うのみ。
「彼らみたいなのはね、放っておいた方がいいんだよ」
そこまで言われては強硬に反対する理由もない。
ルークたちはユリアの言葉に従って貧民街を後にした。
――ルークたちがその場を去った後。
建物の物陰から貧民街の住人たちが姿を現す。
彼らは力のなさ故にカルロスのグループに日頃から虐げられていた者たちだ。
彼らは意識を失った男たちに近づくと、手早く所持品を奪っていく。
そしてその作業が一段落すると、今度は彼らの手足を事務的に折っていく。
殺しはしない。死体が出れば衛士が介入してくる可能性があり、それは面倒だ。
しかし今後のために自分たちが優位に立てるよう努力することも忘れない。
――どうせ今なら罪は先程の三人組が被ってくれるだろう。
隙を見せれば容赦なく啄まれる。
この光景もまた此処の日常である。
「――さて、向こうの方は上手くやってくれたかな?」
ルークとクロエの背中を押し貧民街を去るユリアの小さな呟きは、前を行く二人の耳には届かず、静かに雑踏に紛れて消えた。




