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宿らされた者  作者: 鋼矢
第二章
31/65

29 安息日4

 ユリアが最後に目にしておきたいと言った場所――それは平民たちの住宅区でもある王都の東方区、そのさらに外れにある貧民街(スラム)だった。

 真っ当な住人であれば自然と避けるその場所を、三人は周囲を警戒しつつ歩いていた。

 見回せば狭い道の両脇には古ぼけた集合住宅が並び、空気もどこか埃っぽく澱んだものを感じさせる。

 午前中に東方区を回った際にリーシャから話だけは聞いていたものの、やはり実際に目の当たりにするのは訳が違う。

 

 そんな街中を歩くルークたちの顔は普段目にすることのない光景を前に強張っている。

 だが、これもまた確かな現実なのだ。今まで偶々彼らが目にすることのなかった華やかな王都の一面。

 国の中心として繁栄している王都だが――否、王都だからこそこうした場所は確実に存在するのだ。

 

 衛士の巡回活動範囲に含まれないこの場所は、当然治安も悪く、住人には脛に傷を持つ者も少なくない。

 時折人の気配を感じて目を向ければ、暗がりからこちらを窺う視線とぶつかる。

 その視線に宿るものは敵意か、それとも嫉妬か。


「……王都にもこんな場所があるんだ」

「俺も来るのは初めてだな。親のいない子供や働かない浮浪者が住みついているらしいけど……」


 クロエから返された言葉にルークは顔を顰める。暖かい家族に恵まれて育った自分は本当に幸運なのだと実感する。

 同時にこう(・ ・)はなりたくないという感情が胸の内に湧き、彼らに対し何ができるでもない卑小な自分を自覚する。

 そして――何故かこの場所に懐かしさを感じてもいた。間違いなく初めて来た場所にも拘わらず。



「……ユリアはどうしてここに来たかったんだい?」


 そんな想いを振り払い同行者の少女に問いかける。

 当初、彼らはユリアの要望には反対の立場だったのだ。しかしあまりにも強い彼女の懇願に根負けしたのだった。

 すると彼女は今までとはまるで違う真剣な声音で応えた。


「――二人には悪いけど明確な目的があるわけじゃないんだ」


 ただ――と続ける。


「きちんと見ておきたかったんだよ。ボクたちが暮らしている場所の姿を。綺麗なところだけでなく、目を背けたい場所も含めて」


 だからこそ此処(スラム)に来たのだと彼女は語る。


「ただ見ただけで何かができるわけじゃないけど、それでも知っておきたかったんだ」


 そう言って貧民街を見るユリアの瞳はどこまでも透き通っていた。

 哀れみもなく憤りもなく悲しみもない――静かに事実を見据えるアメジスト色の瞳。

 そんなユリアの背を前に言葉を失う二人に彼女から問いが投げかけられる。


「――君たちならこの場所を見てどう思う? どうしたいと思う?」


 ルークとクロエはじっと考える。この質問が今までのような揶揄い混じりのものではなく、真剣なものだと気付いたからだ。

 であれば、たとえ稚拙な思想であってもよく考えて答えねばならない。


「――僕は学ぶ場所があったら良いと思う」

「学ぶ場所? 学院みたいなところかな?」

「うん。王立学院で学んでいると良く思うんだ。もっと多くの人が知識や技術を学べる場所があったら良いのにって」


 もちろん国民全てに王立学院並みの教育を施すなど不可能だ。予算や人員の問題もあるし、およそ現実的な政策とは言えないだろう。


「戦う技術を得られれば兵士や冒険者の道もあるし、農法を学べば農村で働けるかもしれない」


 しかし人員の割り振りが上手くいっておらず、働き手が足りない職場というものは確かにあるのだ。


「そんな『次』に繋がるものを学べる場所があったら良いと思うんだ」


 決して一朝一夕とはいかないだろう。そうやって辿り着いた先で幸福になれるとは限らない。

 ひょっとしたらもっと苛酷な環境に置かれるかもしれない。

 ――それでも此処(スラム)で燻っているよりはマシだと思うのだ。せめて道を選べる選択肢を与えたい。


「――ふむ、なるほどね」

「俺は――」


 ルークの考えにユリアは軽く頷く。

 その様子からは得心したのか反論があるのかは窺えない。

 そんな彼女に今度はクロエが言葉を紡ぐ。


「身寄りのない子供を引き取って育てる施設があったら良いと思う。……今でも一応そういった施設はあるけど、規模はそんなに大したものじゃないから」


 クロエの脳裏にはここまでの道すがらに見てきた幼い子供たちの瞳が浮かんでいた。

 未来に対して何の希望も持たず、それでいて生きることに貪欲で、まるで飢狼のような瞳だった。

 彼らのような子供たちが自分の住む国にいることが素直に悲しいと思う。


「――せめてあの子たちが独り立ちできるくらいまで保護することができたなら……それはきっと良いことだと思う」

「ふむふむ、そっか……。それが君たちの考えなんだね」


 幾度か首を振って頷くユリアを前に罪悪感に駆られる。

 結局自分たちの言っていることはただの綺麗事で、実際に何かできるわけではないのだ。

 彼等よりも恵まれた立場にいるがそれだけで、何も変えられない子供――二人は自分たちをそう認識せざるを得なかった。


「うん、参考になったよ。やっぱり二人についてきてもらって良かった。本当にありがとう」


 だがそんな二人をユリアは笑う。笑って、本心から礼を言い二人に頭を下げる。


「え、えっとっ……」

「なんでお礼?」

「……最初に言ったよ。今日はこの場所を見に来たんだよ。こうしてこの場所を知ることができて、君たちの考えを知ることもできた。ならちゃんとお礼を言わないとね」


 ユリアの礼に戸惑うルークとクロエだったが、その戸惑いを彼女は一顧だにしなかった。

 そうして見るべきものは見たと判断したのか踵を返す。




「それじゃあ、そろそろ帰ろうか?」

「――いーやいや、お帰りにゃあちっとばっかし早いんじゃねーの、お嬢さん?」


 しかしルークとクロエに声をかけたユリアにさらに声がかけられる。

 声の方へと目を向ければ、そこには身なりの悪い一人の中年男性。ニヤニヤと下卑た笑いを見せながら行く手を遮るかのように佇んでいる。


「――どちらさまかな?」

「はっは、生憎と名乗るほどのもんじゃございませんよ。ただまあ、お嬢さんにはちょっとお付き合い願いたくてね」


 ユリアの問いに男は答える。どうにも敬語に成りきれていないふざけた口調で。


「悪いけどボクは君には用がないんだ。出直してくれるかな?」

「あーそいつは残念。……それじゃあ、強制的にご招待ですよっと」


 そう言った男が軽く片手を振り上げると、あちらこちらの路地裏の暗がりから男と同じような身なりをした中年男性たちが姿を現す。おそらくは此処(スラム)に住み着いている浮浪者だろう。

 それぞれ差異はあるものの皆酷く濁った眼をして、角材や鉄棒などを手に携えている。

 彼らから感じられるのは、歩いている最中に感じたものとは違う明確な悪意だ。


「お友達の方は運が悪かったってーことで。んじゃ、やっちまいなっと」


 最初に声をかけてきた男は軽く号令をかける。これから行うことに対しての罪悪感を微塵も感じさせない軽薄な掛け声。

 それに応え浮浪者たちは一斉に三人に襲い掛かった。

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