28 安息日3
ユリアと名乗ったあからさまに怪しい少女に街を案内することになったルークとクロエだが、早くもその選択を後悔しかけていた。
「へー、かなり大雑把な味付けだけど悪くないね」
「おう! こいつはうちの自信作だからな。それじゃあお代の方を払ってくれるかな、お嬢ちゃん?」
「お代?」
「うん、これは知っているよ。確か娼婦というやつだろう?」
「だ、誰が娼婦だい!? あたしは冒険者だよ!」
「ん? でもその露出狂染みた格好はどう見ても……」
「やあやあ、実に良い眺めだな。街並みが一望できる」
「おい! 記念像に乗っている馬鹿がいるぞ!」
「なにぃ!? 引き摺り下ろせ!!」
食欲をそそる匂いを漂わせる屋台、一仕事終わったばかりなのか酒を飲んで寛ぐ冒険者、街の広場に建てられた記念像――それら全てが物珍しいのか物怖じせずに突撃していくユリア。
しかしかなりの世間知らずらしい彼女は行く先々で騒動を起こし、その度に彼らは後始末に奔走させられることになった。
当人に悪意は全くないようだが、結果として周りを混乱させているのだから困ったものである。
「いや、すまないね。いろいろと珍しいものだからはしゃいでしまって。次からは気を付けるよ」
これでまるで悪びれないのであれば文句の一つも言いたいところだが、彼女は本心から申し訳ないと思っているらしく、謝罪に関しては真摯だった。そして口にした通り、同じ過ちを繰り返すこともなかった。
ルークとクロエはこのどうにも奇妙な少女をどう扱っていいものか考えあぐねる。
道を行き交う人々、街を賑や湧かす露店――目を輝かせてそれらを前にはしゃぐユリア。
決して悪意の人間ではない、むしろ善性の少女だ。しかし行動が危うく対処に困る。それでいてこちらに悪感情を抱かせない――そんな不思議な人徳が彼女にはあったのだ。
「おっと、このお店は――」
興深げに街を回り続けるユリアが足を止めたのは一軒の店の前。
その店の外装は華やか且つ開放的で、店内には色取り取りの衣服が並んでいるのが見える。
どうやら女性服を専門に扱っている店らしい。
「――この店に入るの?」
戸惑いがちにルークは問いかける。さすがにこの店に自分は場違いではなかろうか。
そんな彼の内心を表情から読み取ったのか、
「うん、せっかくだから見ておきたい。ああ、でもルークは外で待っていていいよ」
「そっか。それじゃあ、そうさせてもらおうかな」
思わずほっと安堵の息をつく。店内を眺めれば女性客ばかりのようで気後れしていたのだ
その傍らでそれならば自分も外で待っていようと思っていたクロエだが、そうは問屋が卸さなかった。
「ただしクロエは付き合ってくれるかな。一人じゃちょっと寂しいからね」
「……?」
「な、なんだよ、それ!?」
そんなユリアの言葉にルークは軽く首を傾げただけだが、クロエは少々声を荒げた。
何故自分が女性服専門店などに入らねばならないのか。
「ユリア、さすがにこの店にクロエが入るのは場違いだと思うんだけど?」
「いやいや、そんなことはないさ。ねえ、――」
「――っ!?」
ルークの疑問を一笑に付したユリアはクロエに近づくと軽く耳打ちする。
次の瞬間いったい何を言われたのか、クロエの顔が強張った。
「……わかった。一緒に入るよ」
「ふふっ、ありがとう」
「クロエ?」
まるで死刑執行を待つ囚人のように観念した様子のクロエとは対照的に、愉しげに礼を言うユリア。
さすがに放っておくことはできなかったので、クロエに声をかけるのだが、軽く首を横に振ることで答えられた。
「それじゃあルーク、すまないけど暫く待っていてくれ」
「……それじゃあ、行ってくる」
「あ、うん……」
真逆の様子で店に入っていく二人を見送ったルークは、店の前にポツンと一人で立ちすくむことになった。
◇ ◇ ◇
店の外観と同じく店内も実に華やかなものだった。
並べられている衣服も、平民でも手の届く品から貴族が着ても問題ない品まで豊富に揃っている。
そんな店内でユリアは楽しげに商品を物色し、逆にクロエはそんな彼女を強く睨んでいた。
「――いったいどういうつもりだ?」
「ん? どういうもなにも、こういう店に入るなら女の子同士だろう?」
そう、ユリアはクロエにこう耳打ちしたのだ、「女の子として服を見繕ってくれないかな?」と。
「……どこで気が付いたんだ?」
クロエとしてはそこが解せなかった。今日も彼女はいつもと変わらない男装をしている。
そして不本意ではあるものの、男装にはそれなりに自信があったのだ。それを初見で見破られるとは思ってもみなかった。
「こう見えても人を見る目には自信があるんだ。まあルークは全く気付いていないみたいだけど……ちょっと鈍いところがあるかな?」
苦笑混じりの言葉に反射的に反論したくなったが、結局クロエはそれを呑み込んでしまった。
如何せん、ルークが鈍感なのは事実なのだ。
「……ルークの良いところはそういうところじゃない」
「……へぇ~」
仕方なく悔し紛れに反発するとユリアはニマ~と笑った。その笑顔を見たクロエの背筋に寒気がはしる。
これはまずい。この笑みはリーシャが時折見せるものに酷似している。
この笑顔を向けられた後は大抵碌な事にならないことを彼女は経験から知っていた。
ただし今回に限ってはその予感は半分杞憂で半分的中だった。
「まあ、今回はそれは別にいいんだ。それよりも君に頼みたいことがあるんだけど」
「頼み? 服を見繕うことか?」
自分でもはっきりと答えの出ていない問題に突っ込まれずにすんだクロエは、人知れず安堵のため息をつく。
そしてユリアの頼みとやらに思いを馳せ、店に入る前に言われたことを思い出した。
しかしユリアの次の言葉に彼女の顔は引き攣った。
「いやいや頼みたいことというのはね、……これを君が着ることだよ!」
「……いっ!?」
そう言ってユリアが差し出した一着の衣服。
始めから実用性を一切考慮に入れず、過剰なまでに装飾を意識したフリフリの女性服。
「き、着ない! そんなの絶対に着ないから!?」
顔を真っ赤にしたクロエは手を付きだし首を全力で振って、全身で拒絶の意思を示す。
しかし現実は無情だった。というかユリアは狡猾だった。
「そんなに嫌がるなら仕方ないか、無理強いは良くないしね。そうだな、……それじゃあルークを呼んでボクに似合う服を見繕ってもらおうかな?」
その言葉に表情を固くするクロエ。脳裏にはユリアに言われた光景が思い浮かんだ。
――様々な衣服を着こなすユリア。それを見たルークが感嘆の声を上げ、さらにユリアは別の服を試着する。
ルークがユリアに似合う服を思案し、それにユリアが応える。
それはまるで恋人同士のような光景で――なんだろう。何故だかわからないが、それはなんとなく嫌だ。
「……着る」
「ん?」
「着るよ! 着ればいいんだろ!?」
半ば自棄になったかのように叫び、服を受けとるや否や試着室へ駆け込むクロエ。
それを黙って見送ったユリアはニンマリと笑った。
「ふふっ、本当に微笑ましいね。……そうだな、折角だから他の服も着てもらおうかな?」
そう言ってユリアは他の商品も物色し始める。この場にリーシャがいれば、二人はきっと意気投合したに違いない。
そんなユリアのお楽しみ――クロエにとっては苦行――はこれから暫く続くことになる。
◇ ◇ ◇
「……ああ、お帰り」
店から出てきた二人を迎えたルークの表情は疲れきっていた。
別に肉体的な疲労があったわけではないのだが、店の周囲を歩く女性から向けられる視線から受けた精神的疲労は半端なかった。
これなら二人に付いていったほうが楽だったのではないかと思ったのだが――
「――なんか大変だったみたいだね」
「……ああ」
自分以上に疲れきったクロエの様子に考えを改める。
やはり女性服専門店に男子が入るというのは、思っていた以上に気疲れするものなのだろうと思う。
――一緒に入ったユリアは心から満喫したといった様子だが。
「あれ? 何か買ったのかな?」
「あっ、こ、これはその……土産だ!」
クロエが店に入る前は持っていなかった紙袋にルークが気付き問いかけると、彼女は慌てて返事を返した。
ユリアから勧められた一着を半ば強引に買わされたのだが、さすがにそれを正直に答えるわけにはいかない。
そこで適当な言い訳で誤魔化したのだが――
(リーシャへのお土産かな? やっぱり実は婚約者だったりするのかな?)
クロエにとって全く望ましくない方向へと、ルークの勘違いが進んでいることに彼女は気づかない。
そんないろんな意味ですれ違っている二人を面白そうに眺めていたユリアは、表情を改めると二人に声をかけた。
「二人とも、今日はボクの我が儘に付き合ってくれてありがとう。おかげで本当に楽しかったよ」
そう告げる彼女の顔はルークとクロエが初めて目にする真剣なものだ。
「最後にもう一ヶ所だけ行きたい場所があるんだけど……いいかな?」
彼女の口にした場所の名を聞いた二人は、どうしたものかと頭を悩ませるのだった。